ロンドン響/トレヴィーノ/コパチンスカヤ(vn):中道と改革は同居しても別物 ― 2026/01/29 23:59
2026.01.29 Barbican Hall (London)
Robert Treviño / London Symphony Orchestra
Patricia Kopatchinskaja (violin-2)
1. Messiaen: Hymne
2. Márton Illés: ‘Vont-tér’ for Violin and Orchestra
3. Rachmaninov: Symphony No 2
今月すでに3回目のLSOです。本日の指揮者ロバート・トレヴィーノは全くお初の人で、名前も知らなかったのですが、1984年生まれのメキシコ系アメリカ人、ロンドンの首席ポストにある人ではヤクブ・フルシャやサントゥ=マティアス・ロウヴァリと同世代で、指揮者の世界では若手の部類ですが、主要なキャリアとしてはスペイン・バスク国立管の音楽監督、スウェーデン・マルメ響の首席、イタリア・RAI国立響の首席客演、来シーズンからルーマニアのジョルジュ・エネスク・フィル首席に就任予定、といったところ。うーむ…。見るからに職業人タイプの指揮者で、カリスマやスターのオーラはないものの、来るもの何でもござれの安定感はありそうです。そういう意味では今日のプログラムなど特に前半は気の抜けない曲で構成される中、嫌がらずに引き受けてくれる、オケの運営側としては重宝する指揮者だと思います。1曲目のメシアン「讃歌」は、元々のオルガン曲「聖体秘蹟への讃歌」を15年後にオーケストラ用に再構成したもので、前衛的な刺激はなく重厚な準調性音楽という感じ。このようなあまり演奏されないマイナー曲をしっかりと重厚に聴かせられるのは、期待通り生真面目な人だと思いました。
先日は素晴らしく個性的なバルトークを聴かせてくれたコパチンスカヤですが、本日も同じくハンガリーの現役作曲家、マールトン・イレーシュが他ならぬコパチンスカヤのために2019年に書いた「Vont-tér」を取り上げます。この作曲家を名前からして全く知らなかったのですが、「マールトン・イレーシュ」という名前からして早速悩ましい。ハンガリー語での人名表記は日本と同じく「姓・名」の順です。しかし、これまた日本と同じ傾向で、英語表記する際は英語の慣習に従って「名・姓」の順で書くことが多いのですが、最近は母国語に従った「姓・名」順で書かれることも増えました。で、問題は、「マールトン」も「イレーシュ」も、どちらも男性の下の名前(given name)であると同時に、姓としてもあり得る固有名詞なのです。例えば世界的に有名なソプラノ歌手にエヴァ・マルトンという人がいます。ということで、この名前を見て、まず「どっちが姓だろう」という基本的なことから確認しなくてはなりませんでした。幸いこれはすぐに、イレーシュ家のマールトン君、ということがわかったのですが。
今日のコパチンスカヤは、黒とグレーの変則な幾何学模様のオーバーオールを着て登場。靴は履いていたものの、演奏を始める前に結局脱いで裸足になっていました。曲の方はしかし、何とも言葉がみつからないような曲でした。最初から最後までまともな音を一つも出さない特殊奏法のオンパレード。ソリストだけかと思いきや、伴奏のオケも、弦楽器は弦ではなく胴を指で叩くとか、金管はマウスピースだけ持って吹くとか、そんなのばっかりで、もはやこれは音楽なのかという世界。通常モードの仕事をしていたのは、それこそ普段から音程のない打楽器くらいでした。コパチンスカヤにインスパイアされて作曲したとのことですが、確かに彼女は飛び抜けて個性的なミュージシャンで、独自の奏法をいろいろ駆使したりするけれども、正統的な演奏も高いレベルでこなせる技術力が備わった上で、さらなる高みで勝負しているというのが私の理解なので、なんか一面しか見てないのでは、という気がしてなりません。だいたい「Vont-tér」という曲名も、直訳だと「牽引された空間」になりますが、いったい何を意味するのか、曲を聴いても解説を読んでもさっぱりわかりませんでした。コパチンスカヤはお気に入りの奏者ですが、これをまた聴きたいかというと、ちょっと疑問です。
メインのラフマニノフの交響曲第2番、ロンドンに来てから聴くのは早2回目です。スローペースでじっくり進行し、適度にメロウだが甘ったるくはない、トレヴィーノだとこうなるだろうと想像した通りの中道を行く演奏でした。それに細やかに抵抗したのか、ティンパにのトーマスさんは第1楽章コーダで得意の「メロディアス・ティンパニ」(と勝手に命名)でペダル奏法を駆使し(休憩時間に何度も繰り返し練習していたので何をやらかすかはわかっていました)、もちろん最後の一発も忘れずバランス無視の強打でドン。全体を通して、さすがのLSOは音圧十分で、管楽器のソロがクラリネットを筆頭にいちいち極上。オケの凄さをあらためて堪能したものの、中庸で突き抜けたところがない演奏はあまり心に残らないのも事実。かといって無茶をすればよいというものでもありませんが、この曲をちょうどいい具合に料理するのは、なかなかに難しいことをあらためて認識しました。
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