インバル/都響:3連発の第1弾は、怒涛の「レニングラード」2018/03/20 23:59

2018.03.20 東京文化会館 大ホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. ショスタコーヴィチ: 交響曲第7番 ハ長調 Op.60 《レニングラード》

3月後半は怒涛のインバル3連発です。まず最初は、久しぶりの文化会館で、ショスタコの大作「レニングラード」。生演は2012年にロンドン・フィルとロシア・ナショナル管の合同コンサート(指揮は昨秋初来日したユロフスキ)で聴いて以来の、6年ぶりです。

花粉症ピークのこの季節、自分自身の体調も正直最悪に近かったのですが、ほぼ満員の聴衆は、何と静かなことよ。やはり、他ならぬインバル/都響のレニングラードだから足を運んでいる人が多いようです。そしてその期待どおり、音の厚み、バランスと音程のコントロール、どこを取っても申し分なしの一流の演奏でした。都響のインバル・マジックとでも言うのか、実際ここまで着いてきてくれるオケに対して、インバルも満足だったことでしょう。演奏解釈は後半に重点を置く戦略で、有名な第1楽章などはけっこう軽やかに高速で駆け抜け、空虚にオケを鳴らしまくっていましたが、第3楽章の彫りの深い表現との対比がたいへん効果的でした。終楽章の最後までへばることなく音を出しきり、薄っぺらさから濃密さへの変化をきっちりと付け切る、メリハリの効いた演奏には感心するするばかりでした。このテンションで、もう82歳になってしまった巨匠インバルの身体がもつのだろうかと、ちょっと心配です。

小泉/都響/イブラギモヴァ(vn):とっても個性的なバルトークと、とっても普通のフランク2017/10/24 23:59

2017.10.24 サントリーホール (東京)
小泉和裕 / 東京都交響楽団
Alina Ibragimova (vn-1)
1. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112
2. フランク: 交響曲ニ短調

ロンドンでは結局1回しか聴けなかったアリーナ・イブラギモヴァ。そのアリーナが待望の来日、しかもバルトークの2番、これは聴き逃す手はありません。ふと振り返ると、昨年はバルトークの曲自体、1回も聴きに行けておらず、ヴァイオリン協奏曲第2番も一昨年のN響/サラステ(独奏はバラーティ)以来。

アリーナも日本でそこまでの集客力はないのか、もっと盛況かと思いきや、結構空席が目立っていました。田畑智子似のちょっと個性的なキューティは、三十路を超えても健在でした。さてバルトークの出だし、第一印象は「うわっ、雑」。音程が上ずっているし、音色も汚い。しかしどうやら狙ってやってるっぽい。この曲をことさらワイルドに弾こうとする人は多いですが、その中でも特に個性的な音楽作りです。ステレオタイプなわざとらしさは感じないし、不思議な説得力があるといえば、ある。ちょうど耳が慣れてきたところでの第1楽章のカデンツは絶品でした。繰り返し聴いてみたくなったのですが、録音がないのが残念。オケはホルンが足を引っ張っり気味で、小泉さんの指揮も棒立ちの棒振りで完全お仕事モード、どうにも面白みがない。ただし、終楽章は多分ソリストの意向だと思いますが、かなり舞踊性を強調した演奏で、オケもそれに引っ張られていい感じのノリが最後にようやく出ていました。エンディングは初稿版を採用していましたが、せっかくの見せ場なのにブラスに迫力がなく、アリーナはすでに弾くのをやめているし、物足りなさが残りました。どちらかというと私はヴァイオリンが最後まで弾き切る改訂版の方が好きです。

メインのフランク。好きな曲なんですが、最後に実演を聴いたのはもう11年も前の佐渡裕/パリ管でした。小泉さん、今度は暗譜で、さっきと全然違うしなやかな棒振り。ダイナミックレンジが広くない弱音欠如型でしたが、力まず、オルガンっぽい音の厚みがよく再現されている、普通に良い演奏でした。小泉和裕は、初めてではないと思いますが、ここ20年(もしかしたら30年)は聴いた記憶がありません。仕事は手堅いとは思いますが、やっぱり、小泉目当てで足を運ぶことは、多分この先もないなと感じます。

フルシャ/都響@ミューザ川崎:正統派「わが祖国」、後半が面白い2017/07/26 23:59

2017.07.26 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
Jakub Hrůša / 東京都交響楽団
1. スメタナ: 連作交響詩「わが祖国」(全曲)

今年も「フェスタサマーミューザ」の季節が到来し、貴重な平日夜の演奏会です。ほぼ満員で、客入りも上々。東京・横浜からの集客を考えると週末にブッキングしたいのはわかるのですが、毎度の満員御礼を見て、平日ニーズもそれなりにあるのは確実なので、東響さんも毎月とは言わんがちょっと考えてくれないかなと思います。

スメタナの代表作「わが祖国」を生で聴くのは、メジャー過ぎる「モルダウ」含め、多分初めてだと思います。要はそのくらい個人的興味の薄い曲でしたが、あらためて全曲通して聴いてみて、やっぱりこの曲は性に合わんなとの認識を再確認しました。あくまで個人的な感想であり、私の感覚などはどう見ても少数派であることは承知の上で言いますと、特に前半の3曲が退屈です。第1曲「高い城」冒頭のつかみも悪い。ハープのデュオは、そりゃー美しく幻想的とも言えなくはないですが、自分としてワクワク感は全くなく、これから始まる退屈な時間を予感させるものでしかない。続く「モルダウ」は、元々好きな曲ではない上に、どうしても手垢まみれ感満載で、素直に耳を傾けることができず、大概このあたりでギブアップ。「モルダウ」まで聴いたのだから、大体わかった、ハイ終了、でいいだろうと。休憩を挟んで気を取り直し、聴いてみた後半3曲は、円熟を感じるシンフォニックな作りで、なかなかカッコイイ曲であると気付けたのが今回の発見でした。レコードで聴くとき、最初から順番に聴こうとしてはいけなかったのですね。

チェコ人の若手スター、フルシャは、当然のように暗譜で臨みます。超定番のご当地モノとして研究し尽くしているとは思いますが、ある意味指揮者以上に手慣れているチェコのオケを振るときと異なり、バックグラウンドの全く違う日本のオケに短時間で解釈を叩き込むのは、さぞ難儀だろうと思います。前述のように個人的に馴染みの薄い曲ゆえ、解釈の微妙な特徴はよくわかりませんが、フルシャは見るからに正統派の中庸路線で、小細工なしにしっかりとオケを鳴らして起伏を作っていました。チェコフィルのような土着の渋味が出ないのは仕方ありませんが、都響の反応は良かったと思います。オーボエ、フルートを筆頭に、ソロも冴えていました。

インバル/都響:真夏の盛りに、熱い「大地の歌」2017/07/17 23:59

2017.07.17 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Anna Larsson (contralto-2), Daniel Kirch (tenor-2)
1. マーラー: 交響詩「葬礼」
2. マーラー: 交響曲「大地の歌」

インバル/都響のマーラーは、2014年に9番と10番クック版を聴いて以来。どちらも素晴らしかったので、「遺作」交響曲シリーズとして期待は高まります。

まず1曲目は「復活」の第1楽章の原型である、交響詩「葬礼」。実演で聴けるのは貴重です。楽器編成とスコアの細部はいろいろと違うものの、曲想としてはほぼ同一と言ってよいでしょう。個人的には、「復活」のスコアで言うと練習番号15番(244小節目)からのテーマ再現部、弦の「ジャカジャカジャ」に続く、やけくそのような打楽器群の「グシャーン」という合の手がないのは寂しいです。コンミスが線細なのがちょっと気になったものの、全体的に弦のコントロールがきめ細かくて表現力に富み、都響の金管もインバルの指揮だと何故か穴がなく説得力のある音を出すから不思議です。

メインの「大地の歌」は、著名曲でありながらマーラーの中ではプログラムに載る頻度が相対的に低く、この曲だけ日本で生演を聴いていなかったので、帰国後のささやかなコンプリートが、これでまた一つかないました。ソリストはどちらも初めて聴く人でしたが、マーラー歌手として評判の高いらしいアンナ・ラーションは、エモーショナルかつ老獪な、期待を裏切らない完成度。一方のちょっと若そうなテナーのダニエル・キルヒは、最初から飛ばし気味で駆け引き無縁のストレートな熱唱を聴かせてくれましたが、案の定、張り切り過ぎで途中で息切れしていました。

インバルのリードはいつも通り説得力があり、流れは澱みなく、奏者の息もよく合っているので、全体的に引き締まった印象でした。その分壮大なスケール感には欠けていたかもしれませんが、爆演が似合う曲でも元々ないだろうし。ソロではオーボエとホルンが特に良かったです。インバル/都響は、今後もインバルが来日してくれる限り、できるだけライブを聴きに行きたいと思いました。

インバル/都響:バーンスタイン「カディッシュ」は政治プロパガンダの道具にあらず2016/03/24 23:59

2016.03.24 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Judith Pisar, Leah Pisar (speakers-2)
Pavla Vykopalová (soprano-2)
二期会合唱団
東京少年少女合唱隊
1. ブリテン: シンフォニア・ダ・レクイエム Op.20
2. バーンスタイン: 交響曲第3番《カディッシュ》

昨年の夏以来だから、久々の都響です。巨匠インバルによる「レクイエム変化球」特集。嗚呼しかし、年度末のバタバタで最近心体共にお疲れ気味で、1曲目の「鎮魂交響曲」はほぼ完落ち。皇紀2600年の奉祝曲なので襟を正して聴くべきでしたが、気がつけば終わってました…。

気を取り直して、本日のお目当てのバーンスタイン「カディッシュ」。CDは2種の自作自演を持っていますが、なかなか演奏会で取り上げられる機会がないので、生では初めて。数あるバーンスタイン作品の中でも特にシリアスなもので、オリジナルのテキストによる語り手と、ソプラノ独唱、混声合唱、児童合唱が付いた壮大な交響作品です。今回の演奏は、語りのテキストが米国の外交官・作家のサミュエル・ピサールによる改変版で、当初ピサール本人が語り手をやる予定が、昨年夏に急死してしまったため、フランス人俳優のランベール・ウィルソンが代役を務めることになり、その後ピサール版テキストの使用が氏の死後は遺族の朗読に限るとされたため、未亡人のジュディスおよび娘のリアが語り手をすることで落ち着きました。

この曲は細部が指摘できるほど聴き込んでいないので大雑把なことしか言えないですが、まず、インバル率いる都響は相変わらずのキレを容赦なく発揮するプロ集団でした。指揮者の導く通りにぐんぐんと音楽が推進されていく、その心地よさ。当たり前のようで、インバル/都響の組み合わせ以外でそれを体感できるのは在京オケではめったにありません。白装束の子供と黒装束の大人という演出をしたコーラスも、定評のある合唱団だけに一貫して澄んだ歌声は素晴らしいものでした。ソプラノはちょっと不安定ながらも要所は締めていました。

一方、個人的に気に入らなかったのはナレーション。そもそも、作者の死後に第三者がリブレットをそっくり入れ替えるという行為は、いくら生前に作曲者と親交があったとはいえ、いかがなものかと思いますし、ましてや極めて政治色の強いものをこういう形で織り込むべきではないと主張したい。オリジナルのテキストが批評にさらされ、バーンスタイン自身も気に入ってなかったのは事実のようで、同様に作者の死後、実娘のジェレミー・バーンスタインもテキストを書き直して自ら朗読したりもしていますが、ピサール版で実体験に基づくホロコーストの描写に加え、作曲の経緯と全く関係がない広島・長崎まで持ち出すのは、芸術作品を陳腐な政治プロパガンダに貶めてしまう危うさを孕んでいます。

加えて、オーケストラと並行して終始語られるナレーションは、相当の「上手さ」が求められるはずですが、今日の朗読に引き込まれるものが私にはありませんでした。逆に、ナレーションがうるさくて音楽への集中を妨げられると感じる場面が多数。いくら遺言とはいえ遺族が朗読に長けているとは限らないわけで、プロフェッショナルな語りがあってこそオケの熱演も活きるのになあと、残念さが残りました。

ガードナー/都響:「管弦楽入門」と「惑星」でイギリスを懐かしむ2015/08/02 23:59

2015.08.02 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Edward Gardner / 東京都交響楽団
東京混声合唱団 (女声合唱-2)
1. ブリテン: 青少年のための管弦楽入門(パーセルの主題による変奏曲とフーガ)
2. ホルスト: 組曲《惑星》

夏休みの日曜日マチネ、しかも娘の好きな「惑星」ということで、家族でGO!まあこの選曲ですから、他にも家族連れを多数見かけました。そんな子供向けクラシックの典型と見られがちな「青少年のための管弦楽入門」ですが、大編成管弦楽フェチの私にしてみればたいへんシビレる垂涎曲なのに、通常のコンサートプログラムに乗る機会が非常に少ないのは残念。生演で聴くのは多分これで生涯3回目です。英国若手指揮者の雄(とは言えもう40歳)ガードナーは2011年のBBCプロムス・ラストナイトでもこの曲を披露、当時その生中継をロンドンの自宅で家族と一緒に見ていたのを懐かしく思い出します。

ガードナーは記録を見てみると、イングリッシュ・ナショナル・オペラの「青ひげ公の城」で過去一度だけ聴いていますが、あれえ、2、3度は聴いてなかったっけ?どうも他の若手と記憶がごっちゃになっているようです。それはともかく、小気味よくキビキビとした指揮は気持ちの良いもので、とにかくオケを鳴らす鳴らす。日本のオケからここまでの音圧を引き出すのは大した統率力です。都響のほうも、それだけの音を破綻せず出せる力量が元々あってのことで、うまい具合に乗せられてしまったという感じ。

メインの「惑星」は、早めのテンポながら、あっさりサクサク進むというよりは、旋律にはいちいち細かくニュアンスを付けていく歌重視の演奏。打楽器は遠慮なく叩きまくり、オルガンの重低音は腹にずんずん響いて、金管も欧米オケにも引けを取らない鳴らしっぷりで、これまた爽快な演奏でした。危なっかしいところはなくて、普通にワールドクラスの好演。このままCDにできるでしょう。ガードナーはバランス良いアンサンブルに気を配り、鳴らすところはとことん鳴らし、旋律はしっかり歌わせ、スコアからその曲の理想像をつまびらかに引き出す、欲張りな正統派と言えましょうか。短めのプログラムだったので何かアンコールはやってほしかったなあと思うけど、「惑星」のリハを細かくやりすぎて、アンコールまで仕込む余裕がなかったんじゃないかと、なんとなく想像できました。またチャンスがあれば是非聴きたい指揮者です。

リットン/都響:ほぼ同い年なのにこの隔絶、ラフマニノフとシェーンベルク2015/06/15 23:59

2015.06.15 サントリーホール (東京)
Andrew Litton / 東京都交響楽団
William Wolfram (piano-1)
1. シェーンベルク: ピアノ協奏曲 Op.42
2. ラフマニノフ: 交響曲第2番ホ短調 Op.27

シェーンベルクとラフマニノフとは、一見超異質な取り合わせで、実際聴いてみてもその隔絶感はハンパなかったのですが、この二人はたった1歳違いの、正に同世代の人なんですね。1873年生まれのラフマニノフより前の世代で前衛的な作曲家というと、思い浮かぶのはツェムリンスキー、スクリャービンくらい。一方、1874年生まれのシェーンベルクと同い年はホルスト、アイヴズ、シュミット、その一つ下はラヴェル、ケテルビー、クライスラーなど。その後ウェーベルンの生年1883年までの間に生まれた作曲家には、ファリャ、レスピーギ、バルトーク、コダーイ、ストラヴィンスキー、シマノフスキ、ヴァレーズといった大御所がズラリと並び、このあたりが正に自分のストライクゾーンなのだなとあらためて認識しました。

と、長々と前置きを書いたわりに、やっぱり私には、このシェーンベルクのピアノ協奏曲はよくわからん曲です。音列は「20世紀の遺物」12音技法を駆使したものではあるけれども、オーケストレーションはゴタゴタした後期ロマン派の域を出ず、その中途半端さを補って余りある着想があるかというと、私の安物の琴線ではそれを感じ取ることが未だできないようです。そもそも、突き抜けた透明感のウェーベルン、無調を意識させない天才的音列のベルクと比較して、シェーンベルクで「これ好きかも」と思えた曲は一つたりともないのは事実。ちょっと今回は、選曲のコンセプトは評価するものの、演奏の論評は控えたいです。終演後にブラヴォーだか何だか言葉にならない絶叫をひたすらしていた男が謎でした。

さてメインのラフマニノフ2番、もちろん今日はこちらを聴きに来たわけですが、もうのっけからベタベタのロマンチスト演奏に参りました。初めて聴くリットン、彼がこの曲に深い思い入れがあるのはよくわかりました。楽譜に指定のないところまで全編これポルタメントやレガートをきかせまくり、第1楽章ラストは(控え目ながらも)ティンパニの一発を入れたり、最初はちょっと呆れたというか、ブログのネタができたと喜んでもいたのですが、そのうちに、この曲を聴くためにわざわざ演奏会に足を運んでいるのは、ある意味、まさにこういう演奏が聴きたかったからかも、と思い直し始めました。とするとこれは、決して悪口ではなく、愛すべき「B級名演」。終演後にはたいへん満足して帰路につく自分がおりました。都響は指揮者によくついて行ったと思います。和をもって貴しとなす弦に、無理をさせない管。日本のオケ向きの曲なんだなということも再認識しました。

大野和士/都響:プレ就任記念に新音楽監督が選んだのは、バルトークとシュミット2014/12/08 23:59

2014.12.08 東京文化会館 大ホール (東京)
大野和士 / 東京都交響楽団
1. バルトーク: 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106
2. フランツ・シュミット: 交響曲第4番ハ長調

来年4月から新音楽監督に就任する予定の大野和士がプレお披露目として始動。記録を見ると前回大野さんを聴いたのは2013年2月のBBC響「Sound from Japan」で、遥か昔の印象があったのに、実はまだ「去年」の出来事だったんですね。それにしても、今更「運命」「未完成」「新世界」でもないでしょうが、お披露目でこの選曲は渋すぎます。

最初の弦チェレは、第3楽章がちょっと猟奇的演出が過ぎる気もしましたが、全体的にかっちりと生真面目な演奏。まあ、バルトークはこれでいいんですよ。弦合奏のレベル高し。しかしピアノがちょっと投げやりで足を引っ張っていたような。緻密だけど淡白で引っ掛かりがないのは、ある意味面白みに欠けますが、大野さんのキャラはこんなもんでしょうか。

フランツ・シュミットの曲自体、多分初めて聴きますが、バルトークとほぼ同世代、しかも同郷(当時は同じオーストリア・ハンガリー二重帝国)の作曲家ということも初めて知りました。冒頭のアイヴズを連想させる調性不安定なトランペットソロは、他の楽章にも出てきて一種の循環形式になっています。けっこうモダンな作りか、と思わせておいて、途中はけっこうベタな後期ロマン派の音楽で、バルトークとは作風が相当違います。また、全曲通して50分という長大さに加え、第3楽章のスケルツォ以外は全て抒情楽章というさらなる体感時間引き延ばし工作には、普通なら悶絶するところですが、意外と最後まで聴けました。確かに冗長ではあるが上手い具合にメリハリが付けられており、不思議と眠くなりませんでした。まあ、人気がブレークしそうな予感もないですけどね。大野さんの生真面目さはここでも活きたと思います。出だしは上々でしょう。

曲人気でも雲泥の差がありそうな「弦チェレ」と「シュミット4番」、ほぼ同時期に書かれたこれら2曲の対比がまた面白い一夜でした。

都響/ブラビンズ/ハンスリップ(vn):今さら英国音楽その22014/11/04 23:59

2014.11.04 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Martyn Brabbins / 東京都交響楽団
Chloë Hanslip (violin-2)
1. ヴォーン・ウィリアムズ: ノーフォーク狂詩曲第2番 ニ短調(ホッガー補完版)
2. ディーリアス: ヴァイオリン協奏曲
3. ウォルトン: 交響曲第1番

2週間ほど前のサントリーホールに続く都響の英国音楽特集第二弾。最初のノーフォーク狂詩曲第2番は、作曲者の死後に復刻、補筆完成された曰くつきの曲です。日本初演はおろか、これが英国以外では初の演奏会だそう。「ウィリアム・テル」序曲を思わせるチェロの出だしからして第1番とはだいぶ空気が違います。民謡に取材していながらも、旋律的にはかなり甘めのロマンティックな作りで、まるで映画音楽のような箇所もあり。受け入れられる要素をたくさん持っている力作で、埋もれてしまうには惜しい佳曲と思いました。

続いて、クロエ・ハンスリップは2010年にウィーンでウォルトンの協奏曲を聴いて以来の2度目です。4年ぶりですが、それでもまだ27歳、若い!けど外見はさらに「肝っ玉母さん」化していました。さてディーリアス自体ほとんど聴いたことがない私は、もちろんこのヴァイオリン協奏曲も初耳。ハンスリップは楽譜を立てて演奏してましたから、彼女にとってもチャレンジなんでしょう。想像していた通り、叙情的な曲想がずっと続く癒し系の曲で、仕事帰りに聴くにはさすがに眠かった。ですので、ようわかりまへん、すいません。ハンスリップは、前に聴いた印象よりはだいぶ角が取れ丸くなったような気がしました。と思ったら、アンコールはラトヴィアの作曲家プラキディスの「2つのキリギリスの踊り」という不気味な小ピース。やっぱりちょっと尖った人のようです。

ウォルトンの交響曲第1番は難曲として知られていますが、これも全編通してちゃんと聴いたのは初めてで、頭にあったイメージとは随分違って驚きました。もちろん演奏難易度は非常に高そうですが、曲調は決して難解ではなく、むしろハリウッド超大作のようにハイカロリーで派手な曲。終楽章など、そのままハリーポッターのエンドクレジットで流れていても違和感ない感じです。この曲は、理屈抜きにカッコいい。もちろん、ブラビンスのツボを押さえた聴かせ方あってのことなんでしょう。オケは前回同様よく鳴っていたし、ことウォルトンに関しては、曲の魅力が十分に伝わりました。こういう演奏会に巡り合ったときは、本当に、指揮者とオケに感謝です。この日は客もノリノリで、終演後も満場の拍手。疲れの溜まった時期だったのですが、無理をしてでも聴きに行って良かったと思います。

都響/ブラビンズ/オズボーン(p):今さら英国音楽その12014/10/20 23:59

2014.10.20 サントリーホール (東京)
Martyn Brabbins / 東京都交響楽団
Steven Osborne (piano-2)
1. ヴォーン・ウィリアムズ: ノーフォーク狂詩曲第1番 ホ短調
2. ブリテン: ピアノ協奏曲 op.13(1945年改訂版)
3. ウォルトン: 交響曲第2番

都響の英国音楽特集。今更のようですが、かえってロンドンでは英国音楽を聴く機会がほとんどなかったので、どの曲も初めて聴く曲ばかりです。ブラビンズもイギリスの中堅指揮者のようですが、ロンドン在住時、オーケストラの演奏会情報には隈なく目を通していたはずなのに、その名前にどうも記憶がありません。Wikipediaを見てみると、2011年のBBCプロムスでブライアン「ゴシック交響曲」を指揮とあって、そうかこの人か。この演奏会はアルバートホールには行けなかったけど、Radio 3で聴いたのを思い出しました。

初めての曲ばかりなので、まあさらりと感想を。ノーフォーク狂詩曲は、いかにもといった民謡調の曲ですが、これがまたさらりと聴き流してしまう、引っかかりのない曲です。英国音楽のこの「無表情な素朴さ」が、どうも苦手かもしれない。ヴィオラが重要な役割を負っているのに、ちょっと弱いかも。ブリテンのピアノ協奏曲は、4楽章構成の長大でごった煮のような曲でした。うーむ、よくわからんかったのは承知の上で、以前同じブリテンの「チェロ交響曲」や「パゴダの王子」を聴いた時に覚えた逃げ場のない冗長感がぶり返し、この曲を好きになるにはそうとうハードルが高そうかなあと。オズボーンのピアノは、飛び跳ねて、叩く叩く。この人の元気の良さだけやたらと印象に残りました。なお、アンコールはドビュッシーの何かを弾きました(後で調べたら、前奏曲集第2巻の「カノープ」だそうです)。

ウォルトンのシンフォニーを一度ちゃんと聴いてみようというのが、この英国音楽特集2夜を聴きに来たほぼ唯一の動機でした。その点は幸い、ブラビンズはさすが十八番だったようで、実に手慣れた棒さばき。オケは安心して着いて行き、最後までヘタレず、この曲の実像を余すところなく見せ切ったと言えるのではないでしょうか。意欲作だけに決して耳に優しい曲ではないですが、初めて聴くのに展開がいちいち腑に落ちるのは、文脈をちゃんと心得ているからでしょう。ノーマークでしたが大した職人です。次も俄然楽しみになりました。