マダラシュ/都響/シュパチェク(vn):ハンガリー × チェコ = コバケン?2022/10/08 23:59

2022.10.08 サントリーホール (東京)
Gergely MADARAS / 東京都交響楽団
Josef ŠPAČEK (violin-2)
1. リスト (ミュラー=ベルクハウス編): ハンガリー狂詩曲第2番
2. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番 (第2稿)
3. ドヴォルザーク: 交響曲第8番 ト長調

何やかんやで間隔が空き、半年ぶりの演奏会。都響は2年8ヶ月ぶり、バルトークのコンチェルトは5年ぶり、ドボ8は好きな曲なのに何故か巡り合わせが悪く、何と18年ぶりの生演です。今日の演目はちょっと不思議で、ハンガリー人指揮者とチェコ人ソリストの組み合わせながら、協奏曲がハンガリーの曲でメインがチェコの曲というねじれ関係にあります。ありがちな選曲パターンだと、協奏曲はドヴォルザークかマルティヌーで、メインはオケコン、ということになりそうですが、個人的にはそうならなくて良かったです。

マダラシュ・ゲルゲイはハンガリー出身の若手指揮者。同じハンガリーにマダラス・ゲルゲイというテニス選手がいるのでGoogle検索では紛らわしいですが、指揮者はMadaras、テニスはMadarászで、苗字が違いました(語源は多分同じですが)。地元のサヴァリア交響楽団から出発し、現在ベルギー王立リエージュ・フィルの音楽監督。日本では広島響、京都市響への客演を経て東京都響が今回初共演だそう。欧州各所でオペラも振り、地味でも地道にキャリアを積み上げている人のようです。1曲目のハンガリー狂詩曲は出だしの呼吸が少し乱れて、おそらくリハの時間が十分ではなかったのかと思いますが、その後のテンポの揺さぶりを難なく乗りこなしていく百戦錬磨のリーダーシップが頼もしく感じられました。初めて聴くミュラー=ベルクハウス版のハンガリー狂詩曲第2番は、重厚で色彩的が豊かになった分、ピアノ曲の面影はさらに薄まっている気がします。

2曲目、元チェコフィルのコンマスであるシュパチェクの奏でるバルトークは、最初は適度に荒れた質感で、まさにチェコフィルの弦という飾り気のないナチュラルな音。2011〜2019年の間コンマスをやっていたとのことなので、多分その当時にも聴いたことがあるかもしれません。澄み切った美しい高音を響かせたかと思うと、速いパッセージも難なく高速で弾き切り、なかなかのテクニシャンぶりを発揮。長身でシュッとしたイケメンですが、イメージは素朴な東欧の兄ちゃん。変幻自在に楽器を操りながらも演奏に派手さや押しの強さはほとんどなく、しみじみと染み入るタイプのバルトークです。この曲を弾く西側のヴァイオリニストはけっこう派手系の人が多い印象ですが、原点に帰ってこういうバルトークも良いものです。オケのほうはあまり見栄を切らずに大人しめで、ソリストを際立たせる意図があったんではないかと、メインを聴いた後で思いました。アンコールは「母がよく聴かせてくれた故郷モラビアの小曲です」と言って、独奏曲にもなっていない、本当に素朴な民謡を静かに奏でました。多分予定外に何度もカーテンコールで呼び出されたために急遽その場でやったのかと思います。

メインのドボ8は、また元に戻って随所でテンポを(あえて?)田舎臭く揺さぶり、大見栄を切った演奏で、ふと思い出したのがコバケンこと小林研一郎。18年前に聴いたドボ8はコバケン指揮のブダペストフィルだったのですが、まさにこんな演奏だったように思います。ハンガリーでは知らぬ人がいない有名人で、チェコフィルとも縁が深いコバケンですから、もしかしたら若かりしマダラシュも私と同じ演奏会を聴いていて感銘を受け、同じ方向性を目指したのかなとちょっと妄想しました。いや、決してくさしているわけではなく、マーラーやブルックナーではないからオケも破綻することなくしっかりと音が前に出ていて、たいへん良い演奏でした。それと同時に、コバケンのドヴォルザークをまた聴いてみたくなりました。