小澤征爾の思い出2024/02/10 23:59

昨日の小澤征爾氏の訃報に接し、まずは心より哀悼の意を表します。
まだまだこれからという時に、というわけでもなく、とうとうこの時がきたか、という思いではあります。

自分がクラシック音楽を聴き始めたとき、すでに大スターでした。特に日本では、カラヤン、バーンスタインと肩を並べる三大巨頭として、クラシックが趣味ではない人にも名が知れ渡る人気ぶりでした。

実演を聴くことができたのは2回しかありません。

最初は1981年10月のボストン響との来日公演初日、大阪フェスティバルホールでの「田園」と「春の祭典」という濃いカップリング(これがAプログラム)。正直、細部はよく覚えていませんが、初めて聴いた海外一流オケの圧倒的パワー(特にヴィック・ファース氏の強烈なティンパニ)に感銘を受けました。このとき、田園のスコア表紙に書いてもらった小澤氏と、さらにコンマスのシルヴァースタイン氏のサインは生涯の宝物です。さらには、このときのBプログラムであるウェーベルン「5つの小品」、シューベルト「未完成」、バルトーク「オーケストラのための協奏曲」が、権利にうるさいアメリカのオケとしては珍しくNHK-FMで生中継されており、そのエアチェックのカセットテープも後生大事に持っています。ここで聴いたオケコンがあまりに刺激的で、私のバルトーク好きを決定づける原点となりました。余談ですが、この演奏会では小澤氏が「短い曲なのでもう1回聴いていただきたい」と言ってウェーベルンを2回繰り返すという異例のハプニングも、生放送なのでそのまま放送されていました。


2回目は、長年の因縁と紆余曲折を経て、演奏家へのチャリティーという名目で1995年に実現した32年ぶりのN響との共演。N響との確執はリアルタイムでは知らないので特に関心も感慨もなかったのですが、何より小澤のオケコンが聴ける、というその一点で必死にチケット取りました。演奏会当日の直前に発生した阪神淡路大震災の追悼に「G線上のアリア」が最初に演奏され、ロストロポーヴィチによるアンコールの「サラバンド」が同じく追悼で演奏された後、全員で黙祷し、拍手のないまま散会という異例づくしの演奏会でした。オケ側に固さとミスは多少あったものの、スリリングな緊張感を保った小澤のオケコンは期待通りの感動で、ハイテンションのまま帰路についたのを覚えています。


世が世なら3回目としてチケットを取っていたのが、2012年のフィレンツェ五月祭劇場のバルトーク「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」ダブルビル。前年のサイトウ・キネン・フェスティバルで初演されたノイズム振付・演出のプロダクションをそのまま持ってくる予定だったのですが、小澤氏はこの直前から病気治療のため長期休養に入ることになり指揮をキャンセル。仕方がないとは言え肩透かしを喰らいました。

レコードで好きだったのは、やはり一番アブラが乗っていた1970年代後半から80年代にかけてのドイツ・グラモフォンへの録音で、マーラー「巨人」、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、バルトーク「役人」も素晴らしかったですが、特にレスピーギ「ローマ三部作」とファリャ「三角帽子」の完成度は、今なお自分の中のリファレンスになっています。

入手困難だった廃盤や自主制作盤が、これを機に再発してくれたら、とは切に思います。その個人的筆頭はボストン響との「青ひげ公の城」1980年ライブ。サイトウ・キネン・フェスティバルの「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」は当時NHK-BSで放送されていたようなので、その再放送もやってくれたらたいへん嬉しいのですが。

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