ロンドンフィル/カーチュン・ウォン/HIMARI:天才少女のロンドンデビュー ― 2025/10/29 23:59
2025.10.29 Royal Festival Hall (London)
Kahchun Wong / London Philharmonic Orchestra
Himari (violin-2)
1. Chinary Ung: Water Rings (European premiere)
2. Sibelius: Violin Concerto
3. Dvorak: Symphony No. 9 (From the New World)
先週に続き、再びロンドンフィルです。今日は日本人とおぼしき聴衆が普段より極めて多い客層でした。特に子連れの日本人家族は、夜の演奏会では滅多に見ないので、明らかにHIMARI効果ですね。さらに、指揮は2023年から日本フィルの首席指揮者を務め、その後英国の名門ハレ管弦楽団の首席指揮者に就任した、カーチュン・ウォン。ロンドン在住の音楽好き日本人大集合でも不思議ではありません。
1曲目はカンボジア出身で米国在住の作曲家、チナリー・ウンの小品。「Water Rings」は波紋のことでしょうか。また、オペラグラスで楽譜を覗き込むと「Overture」(序曲)と書いてありました。1993年の作品ですが、今日が欧州初演だそうです(イギリスがまだ「欧州」を名乗るのか、というのはさておき…)。私はカンボジアに行ったことがなく、カンボジアの音楽といっても何も頭に浮かばないのですが、この作曲家はガムラン(ってインドネシアですよね?)に傾倒した作風が多いらしく、そういう意味では同じアジアとして通じる「耳慣れた」感が強い音楽でした。私はインドネシア風よりも、中国風よりも、むしろ日本風に近い印象を持ちました。カーチュンは日フィル定期でもこの作曲家を取り上げており、個人的な交流もありそうです。演奏後、聴衆の中からウン本人が立ち上がり、拍手に応えていました。
続いて、弱冠14歳にして名門カーティス音楽院に通う神童ヴァイオリニスト、HIMARIの登場です。何といっても今年3月のベルリンフィル定期にソリストとして出演したことで話題になり、NHKのドキュメンタリーを見て私も認識した次第です。天才少年・少女系の強引なプロモーションは正直嫌いで、だいたい眉唾で見てしまうのですが、この子の素質はホンモノかもしれない、と思わせるものがドキュメンタリーから感じられました。ちなみにベルリンフィル定期では元々ズビン・メータが指揮だったところ、体調不良で降板し、ヴァイグレが代役でした。メータと言えば、11歳の五嶋みどりと共演して「天才少女デビュー」に一役買った指揮者でもあり、庄司紗矢香とも協演が多く、日本人天才少女とは何かと縁が深い人ですね。
登壇したHIMARIは、年齢よりもさらに幼く見える華奢な女の子でした。シベリウスのヴァイオリン協奏曲は名人芸をこれ見よがしに披露する曲調ではなく、技巧に加えて抒情的な情緒が求められる大人の曲なので、子供が喜んで弾く曲とは思えないのですが、まず冒頭からの正確な運指と音程に驚かされました。いやもちろんプロなので正確さは当然のこととは言っても、現実には正確さを犠牲にした「味」を意識的あるいは無意識に混ぜ込んで、人それぞれの緩さを見せる演奏が世間の大勢です。不純物を廃し、機械が鳴らしているかのような完璧さで進んでいきますが、決して即物的ではなく、膨大な練習量に裏付けされたと思しきニュアンスも含めた、一所懸命何かを表現しようとするひたむきさが、おじさん、おばさんの心をぐっと掴むのでずるいです。年齢を考えると、驚異的に成熟しているとも言えるかもしれません。ただ一方で、第二楽章などは、あえて目を瞑って聴いていると、拙さがちょっと気になりました。やはりこの曲は単にテクニックだけでなく色気も要求される難曲で、サーカス曲ではないのです。舞曲調の最終楽章は、体型を考えると目一杯以上の力が入った音でしっかりとリズムを刻み、立派なプロの仕事をまっとうしました。終演後は前後左右各方位に丁寧に笑顔で深々と頭を下げて、好感度高いです。やはり、おじさん、おばさんは応援必至。アンコールではトリッキーな曲(後で調べたら、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ」という有名なソロ曲でした)も達者にこなして、違う一面もしっかりとPR。もちろん背後に控える「大人たち」の綿密なプロモーションあってのことかと思いますが、何とも末恐ろしい限りです。

メインの「新世界」は、大昔に部活で演奏したこともあり、今更好んで聴きに行こうとは思いませんが、嫌いな曲ではありません。カーチュンのリードは低音を効かせて重心を低く保ち、決して前のめりにならない丁寧な進行。管楽器ソロも例外なく名人揃いで、安心して聴いていられる至福のひとときでした。あまりにも知られ過ぎたメロディの数々ですが、フレーズの歌わせ方にカーチュンの個性、こだわりが見えました。このように指揮者は人と違うことをどこかでやろうとするのが普通なのに、先日聴いたカネラキスの潔いポピュリズムが、またふつふつと思い出されました。
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