ロンドンフィル/ヴィルトナー/カヴァコス(vn):マーラー6番とシマノフスキ2011/01/14 23:59

2011.01.14 Royal Festival Hall (London)
Johannes Wildner / London Philharmonic Orchestra
Leonidas Kavakos (Vn-1)
1. Szymanowski: Violin Concerto No. 2
2. Mahler: Symphony No. 6

昨年の生誕150年に続き、今年は没後100年のマーラーイヤー第二弾。年初からさっそくマーラーです。今日は元々ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが指揮者のはずがドタキャン、急きょ代役としてヨハネス・ヴィルトナーが招集されました。ズヴェーデンも初めて聴くはずだったのですが、ヴィルトナーは名前からして初めて聴きます。配布されていた小チラシで経歴を見ると、オーストリア出身、ウィーンフィルでヴァイオリンを弾いていて、指揮者に転向後はずっとオペラ畑中心に地道に活動してきた人のようです。偶然でしょうが、コンセルトヘボウのコンマスだったズヴェーデンと経歴が似ていますね。

さて、登場したヴィルトナーは恰幅のよい巨漢で終始にこやか、ズヴェーデンのコワモテ(生で見ていないので私の勝手な印象ですが)からはほど遠く、明るいキャラクターのようです。1曲目はシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第2番、CDはありましたが、正直、馴染みのない曲です。カヴァコスを聴くのはこれで5回目、この人は本当にどんな難曲でも易々と弾くし、ヴァイオリンの音がでかい。Webで調べると、最近前のストラディヴァリを売って、別のストラディヴァリを買ったようですね。今度の楽器もたいへんよく鳴っています。この人のヴァイオリンは技術的にはもの凄いものだと思いますが、低弦のほうの音が終始濁っていたのがひっかかりました。ポーランド民謡を取り入れた民族派に属する曲という解釈だったのかもしれませんが、協奏曲ながらまるでソナタのように音響がすっきりと作られている曲なので、あえてワイルドさを演出する必要もないのでは。それと、この人のスタイルはけっこう朴訥というか、表情、表現というものが演奏にほとんど現れて来ないので、けっこうあっさり系です。最近聴いた中では、テツラフの役者ぶりや五嶋みどりの情念のほうが後を引き、気になってます。しかし何にせよ、カヴァコスをかぶりつきで聴けるというその体験自体、贅沢な至福の時間であることに間違いはありません。なお、オケ伴奏は手堅すぎて印象に残っていませんが、途中もうちょっとバックで盛り上げてダイナミックレンジを広く取ればいいのにと思った箇所はありました。

さてメインのマーラー。前述のチラシには、「ヴィルトナーは、交響曲第6番の楽章配置はプログラムの記載通り演奏しますが、終楽章のハンマーは2回というオプションを選択しました」というようなことがわざわざ書いてありました。プログラムを買ってないのでこれはどういうことかと推測するに、ズヴェーデンは元々ハンマーをおそらく3回(以上)叩かせる練習をしていたということになり、すると中間楽章の順は昔ながらのスケルツォ→アンダンテに違いあるまい(昨今はすっかり正統派の地位を築いたアンダンテ→スケルツォの順で演奏する人が、ハンマーを2回を超えて叩かせるのは理論上考えにくい)と結論付けましたが、果たして実際に、演奏はスケルツォ→アンダンテの順でした。

「ハンマー2回」を選択した、とあえて強調するということは、楽章の順はプログラムとの齟齬に配慮して(不本意ながら?)ズヴェーデンに従ったものの、本来は最新の研究結果を尊重する理知的スタイルの指揮者なんだろうか、と思って聴き始めたら、のっけから予測は大外れ。ポルタメントを効かせたベタベタに甘い表現とテンポの揺らし方はまるでバーンスタインのようです。こういう耽溺スタイルのマーラーは21世紀になってすっかり廃れてしまったように思いますが、私はけっこう好きです。代役ということもあるのでしょう、大きめの身振りで型通りに拍子を振って、明確すぎるくらい明確に指示を出していきます。オケも管楽器はずらりと人数を揃え、スタミナが切れることなく果敢に攻めてきます。LPOはあまり聴かないのですが、いつも以上にがんばりが見えました。第1楽章はコーダの畳み掛けもぴったし決まって出色の出来、スケルツォでも集中力は切れず、アンダンテで少しほっと力を抜いて(カウベルはちょっとやかまし過ぎましたが)、複雑な終楽章は耽美派らしく、ヘタに組み立てなど考えず、来る球来る球を全力で打ちに行くのみです。オケは最後まで破綻せず、終始よく鳴っていました。ラストの衝撃的なフォルティシモは、インテンポで意外とあっさり流してしまったので、どうせなら最後まで耽溺系でねっとりと締めくくって欲しかったです。

もちろん今日は急きょ代役で指揮台に立ち、崩壊させずにここまでLPOを鳴らし切るべくリードできたのですから、十二分に成功でしょう。終演後は汗が滴り落ち、顔は真っ赤に紅潮して、相当血圧が上がっていた感じです。高揚して何度もコンマスや奏者に握手を求め、「また呼んでくれよな」とセールスするかのよう。フェアな評価として、非常に立派な好演だったと思います。しかし今日の演奏、どこまでズヴェーデンの解釈の名残があって、どこまでがヴィルトナーのオリジナルなのか、興味深いところです。ズヴェーデンの硬質(であろう)演奏も、またどこかで聴いてみたいものです。