ブダペスト旅行 (1) - ハンガリー総選挙2010/04/07 07:06

イースター休暇でブダペストに行ってきました。前回は会う人が多くて忙しすぎたので、今回はほとんど誰にも告げず、家族だけの完全リラックス旅行。ロンドンに来てから、旅行というとまだブダペストへの「里帰り」しかしてません(苦笑)。

見聞を何回かに分けて書こうと思いますが、まずは、今回行ってから初めて「あー、そうか」と気付いたこと。

4年ぶりのハンガリー総選挙が4/11に近づいています。4年前の喧噪が懐かしく思い出されました。あのときは、政権与党の社会労働党MSZPと、政権奪還に必死な野党FIDESZが熾烈な選挙戦を繰り広げ、選挙前後で暴動騒ぎも絶えず、戦車を乗っ取って走り回す人まで出現し、騒然とした雰囲気でした。


この人は2002年まで首相だったFIDESZのオルバーン党首。次期首相になるのは200%確実と言われています。ちょっと老けて落ち着いた顔になっちゃいましたかね。

共産圏から脱却して自由選挙が始まってから、総選挙のたびに政権が左右を行ったり来たりするのが恒例だったハンガリー。2006年の選挙では、ジンクス通り政権を「右派」に取り戻すべくアグレッシブなキャンペーンを行っていた右系野党のFIDESZですが、与党MSZPに対する徹底したネガティブ広告と、財源の見込みのないポピュリズムバラマキ公約など、なりふり構わぬ選挙戦が結果的にはあだとなって、有権者からそっぽを向かれ、ジンクスが破れて野党が連敗してしまいました。何となく、そのころの日本の民主党を思い起こさせる自滅ぶりだったのを思い出します。

しかし、MSZPのジュルチャーニ首相(当時)は、政権確保後すぐに選挙対策用の耳に優しい公約はなかば破棄して増税に舵を取り、「ハンガリーのため」と言って国民に負担を強いましたが、公表していた財政情報のねつ造などが明らかになったため市民の怒りが爆発、記念日のたびに暴動が起きたりして、先進国にはほど遠い、政情不安定な状況になっていました。

そのころ私はハンガリーを離れたのですが、その後も与党から公金横領のスキャンダルが続出したりして、与党の支持率はもはやずっと地をはうような数字だそうで、次の選挙では政権交代はもはや必然の事実となり、人々の感心は、FIDESZが議席を憲法改正もできてしまう2/3まで増やすのか、最近勢力を伸ばしてきたネオナチ極右政党がもしかしたらMSZPを上回って国会の第2党になるんじゃないか、というところに集まっているそうです。


この人は現与党MSZPの次期首相候補者だそうですが、これまたずいぶん若くてさわやかな人を持ち出してきたものです。さっそく落書きされていますが(笑)。まあしかしどんなにあがいても今回ばかりはMSZPに勝ち目は全くないとのことで、自業自得とは言え、個人的にはたいへんお世話になった人がMSZPの職員なので、ちょっと気の毒な気持ちはあります。昨年会ったときもずいぶんと老け込んでいたので、心労は耐えないのだろうなと。

それにしても、ブダペストは選挙直前とは思えない静けさでした。とは言ってもハンガリーでは日本のように街頭演説をやかましくするわけではないのでどのみち静かは静かなのですが、ポスターをほとんど見かけませんでした。4年前は町中の壁という壁、ビルというビル、街灯という街灯に選挙候補者のポスターが張りまくってあって、戦闘ムードがプンプンしていました。今回は、FIDESZはもう鉄板で勝利が確実なため、無理な公約は全くする必要がないし、前回の反省から、とにかく失敗をしないように沈黙を通している、ということでした。

この「公約なき選挙」が果たしてハンガリーに繁栄と幸福をもたらすのか、微妙なところです。心あるFIDESZ党員にとっては、責任重大の正念場として、正直頭の痛いところだとは想像します。一度政権運営に失敗している経験を十分に吟味して、二の轍を踏まないようしっかりやって欲しいと切に思います。

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