ハンカチ王子とイケメン若大将による日本初演、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第5番」2018/08/09 23:59


2018.08.09 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
藤岡幸夫 / 日本フィルハーモニー交響楽団
反田恭平 (piano-1)
1. ラフマニノフ(ヴァレンベルク編): ピアノ協奏曲第5番ホ短調(交響曲第2番の編曲)※日本初演
2. シベリウス: 交響曲第1番ホ短調

ラフマニノフのピアノ協奏曲はオフィシャルには第4番までしかありませんので、この「第5番」は幻の未発表曲、ではなくて、Brilliant Classicsのプロデューサーの発案で、交響曲第2番を大胆に編曲・再構成し、ピアノ協奏曲風に仕立て上げたものです。シューベルト「未完成」やブルックナー第9番の「4楽章完全版」のような仕事よりもさらにキワモノ度が高く、似たような曲としてはシチェドリンの「カルメン組曲」を連想しましたが、これは普通にシチェドリンの曲として扱われますよね。この「イロモノ」企画を「ヴァレンベルクの新作ピアノ協奏曲」と言わずに、子孫の許可も得て、批判を覚悟であえて「ラフマニノフのピアノ協奏曲第5番」として発表したのは、当然確信犯的なビジネスパースペクティブがあってのことでしょう。ベートーヴェンなら無理だがラフマニノフなら許される、みたいな、作曲家の格付け差別のような空気も薄っすらと感じないわけではありません。

ちょうど交響曲第2番がマイブームになり始めた頃の2009年にこの珍曲の存在を知り、発売されて間もないCDをロンドンで買いましたが、通しで1回聴いた後「うーむ」と唸ってしまい、それ以降あまり聴くことはなかったというか、聴こうと思ってもついオリジナルのほう(マゼール/ベルリンフィル盤やパッパーノ/聖チェチーリア盤)に手が伸びてしまいました。ラフマニノフの交響曲第2番は、メロウな旋律ということでは同氏のピアノ協奏曲第2番と比肩する人気曲ですし、これをピアノやボーカルに編曲したいという衝動はよくわかります。平原綾香の「adagio」なんかがそうですが、ワンフレーズだけ切り出してもメロディとして成立しないので、結局出来損ないの曲になってしまいかねない、ということがよくわかります。個人的にはクラシックの編曲モノは原則として否定的というか、「劣化コピー」と感じない優れた編曲に未だ出会ったことがない、というのが正直なところです。

前置きが長くなりましたが、「ラフ2」のマイブームが今でも継続中の自分としては、肯定派ではないにせよ、この問題作の日本初演ということであれば、これは是非とも立ち会っておかねばなるまいと。毎度の感想ですが、ミューザの平日夜の演奏会はいつも盛況な客入りです。後でわかったのですが、ソリストの反田恭平が今人気の若手ピアニストとのことで、マニアックな演目なのにソールドアウトだったのはそのおかげでしょうか。弱冠23歳の反田君は長髪を後ろに束ね、ハンカチで汗をふきふきする姿が可愛らしく、確かにファンがつきそうです。残念ながら席が遠かったせいか、ピアノがあまりストレートに届かず、随所にミスタッチもあって、印象は弱かったです。

あらためて実演で聴いて、ピアノ協奏曲風にするために随分とオーケストレーションや構成を削り込んだんだなあと、逆にその厖大な労力をおもんばかってしまいました。全体的に音を薄っぺらくした一方で、第1楽章エンディングのシンバル、大太鼓、ティンパニとか、終楽章のチューブラーベルとかの打楽器が増えていて、派手なピアノと相まって色彩感は増しています。構成では、元々4楽章から成る交響曲を3楽章の協奏曲に無理やり当てはめる解法として、どちらも三部形式の第2楽章と第3楽章をざっくりツギハギして「第2楽章」にするという暴挙に出たことが、やっぱり気に食わないです。暴力的な「びっくり開始」になってしまう「第2楽章」トリオ部も(おそらくピアノだと技巧的に追いつかないという理由で)想定外にテンポが落ちてしまうのがカッコ悪いです。これならば、元の第2楽章を丸々すっ飛ばす構成の方がよっぽど良いのではないかと思いますが、私の大好きな第2楽章の美しい第2主題(モデラート)が日の目を見るチャンスはいずれにせよありません・・・。他にも、「第2楽章」の最後、弦のコラールになる箇所がピアノに置き換えられるのはせっかくの流れを分断するよなあとか、終楽章エンディングの変なリズムは、ありゃ誰のマネじゃ、とか、いろいろ言いたいことはありますが、総じてシンフォニックな要素が削がれており、やはり交響曲第2番はまぎれもない「シンフォニー」だったのであって、ピアノ協奏曲第2番とは似て(もいないし)非なるもの、との認識を強くするだけでした。

メインのシベリウスは、よく考えたら創立者の渡邉暁雄から最近のインキネンまで、脈々と引き継がれているはずの日フィルの伝統です。個人的にはこの交響詩のような第1番がシベリウスでは一番好きな交響曲なんですが、巡り合わせが悪く、実演で聴くのは実は今日が初めて。指揮者はこちらも初めての、藤岡幸夫。往年の日活映画スターのような、脂の乗った男前です。初演なのでかなりぎこちなさがあった前半と打って変わって、指揮者は伸び伸び、オケは活き活き。特別凄かったとか心を打ったということでもないですが、弦が非常に良かったし、管もトランペット以外はしっかりしていました。特にクラリネットには美味しい選曲続きでしょう。ティンパニも硬質でキレが良く、私好みです。今までそんなに好んで聴きに行くオケではなかったですが、シベリウスを聴きに日フィルに行く、というのは今後も期待大かなと思いました。

アンコールは、何かシベリウスの小曲でもやるかと思ったら、エルガーの「夜の歌」。藤岡氏はBBCフィルハーモニックとプロムスに出演した実績もあるんですね。

ヴォルコフ/読響:「不安の時代」と「革命」とレニーへのオマージュ2018/05/30 23:59

2018.05.30 サントリーホール (東京)
Ilan Volkov / 読売日本交響楽団
河村尚子 (piano-2)
1. プロコフィエフ: アメリカ序曲
2. バーンスタイン: 交響曲第2番「不安の時代」
3. ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番ニ短調

悪くないプログラムと思うのですが、客入りはもう一つで空席が目立ちました。そのおかげか、超久々にサントリーホールの最前列が取れましたが。

イスラエル人なのに名がイランとはこれいかに、というヴォルコフですが、写真から想像する以上に瘦せ型で学者のような風貌。音もさぞ学究的かと思いきや、意外とエモーショナル。というか、理知的と情緒的のバランスがほど良い感じです。1曲目のプロコフィエフはほぼ初めて聴くなので、よくわかりませんが、プロコとしてはよそ行き顔の上品な仕上がり。

続く「不安の時代」は、バーンスタインの交響曲の中では唯一声楽が入らないので、比較的演奏会のプログラムに乗りやすい曲ですが、何故かこれまで縁がなく、全曲通しての実演は初めてです(「仮面舞踏会」だけはヤングピープルズコンサートで聴いたことあり)。そもそもバーンスタインの交響曲は3曲いずれも、ウエストサイド物語やキャンディードのようなエンターテインメントの明るさはなく、クソ真面目に小難しく地味な曲という印象を持たざるをえませんが、この第2番は特に分裂症的で、第2部中間部のジャズピース「仮面舞踏会」だけが奇妙に浮いています。読響もここに来るとやけにノリノリでリズミカルに演奏していましたが、スイング感はいま二つくらい。ピアノの河村さん、運指は完璧と思いましたが、とりあえず楽譜を音にしました、という以上のものは伝わらず。この曲だけではよくわからんです。ピアノの配置が普通のコンチェルトと違って正面を向いていたので、逆に演奏中のお顔は見られませんでしたが、見た目可愛らしい人で、オケの人々からも愛されているのがよくわかりました。

そもそもこの「不安の時代」と「タコ5」というプログラムは、バーンスタインがソ連ツアーの直前にザルツブルク音楽祭に出演した際のプログラムと同じとのことで(パンフの中川右介氏の解説で初めて知りました)、その因縁深いメインのタコ5の演奏が、終楽章のコーダの前までは、ほぼまんまレニーへのオマージュだったので驚きました。細かいニュアンスがいちいちレニーで、音楽の喜びにあふれています。オケもヘタれずがんばりました。この曲の解釈として、今となっては正統派とは言えないのかもしれませんが、単純に、いいものを聴かせてもらったという満足感でいっぱいです。どうせオマージュならば、最後までレニー解釈(コーダ前からスコア指示の倍速で突っ走り、最後の最後で強烈なリタルダンドをかける)を貫いて欲しかったです。

カンブルラン/読響:終着点の「マーラー9番」2018/04/20 23:59

2018.04.20 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
1. アイヴズ: ニューイングランドの3つの場所
2. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

カンブルランはこのシーズンが読響常任指揮者として最後とのこと。読響の演奏を他の指揮者の時と比べれば、カンブルランの統率力は文句の余地がなく、選曲も相対的に私好みで、充実したものでした。どこのオケを振ろうとも安心してチケットが買える指揮者として、今後も贔屓にさせていただきます。

1曲目はほぼ初めて聴く曲でしたが、まさに「アイヴズ」サウンド。私の好きな「宵闇のセントラルパーク」や「答えのない質問」とも通じるものをビシビシと感じましたが、後で調べれば、マーラー9番を含め、作曲時期はけっこうカブってますね。アイヴズもマーラー同様、曲の途中で唐突に民謡や流行歌を挟み込んでくる人ですが、マーラー9番のほうはそういう引用の箇所がいくつかあっても、もはやそれがわからないくらい自然に溶け込んでいるのに対し、アイヴズは依然としてゴツゴツとした境界面を楽しむ作りとなっているのが、ほぼ同時期に作曲された曲の対比として興味深かったです。

メインのマーラー9番は好んで聴きに行く曲ですが、プロオケで聴くのは4年前のインバル/都響以来。カンブルランのマーラー(4番)を前回聴いたのもちょうどそのころでした。もっとサックリとした演奏を想像していたら、第1楽章の、遅めのテンポで重層的な響きを保ちつつ、非常に濃厚な表情付けがたいへん意外でした。バーンスタインのごとく「横の線」のフレーズ単位でいちいち粘るようなユダヤ系の味付けではなく、「縦の線」に熱を伝達するべくアイロンを押し付けているような(うまく伝わっている気がしませんが…)、カンブルランらしからぬ熱のこもった演奏でした。実際長めの演奏時間でしたが、実測値以上に「遅さ」を感じさせる、濃いい演奏。中間の第2、第3楽章は、依然として遅めのテンポながら、角の取れたフレンチスタイル。特に第3楽章はもっと激しく揺さぶる流れにもできたでしょうに、クライマックスは終楽章に取っておくモダンな戦略がニクいです。そして、終楽章のホルンには感服いたしました。もちろん、この演奏がマーラー9番のベストかと問われたらそうではありませんが、読響のホルンは都響やN響と比べて充実度が数段上だと常々感じております(もっと言うと、ホルンに関しては日本のオケでワールドクラスで戦える可能性があるのは読響くらいと思います…)。

インバル/都響:完成された「未完成」と「悲愴」@ミューザ川崎2018/03/31 23:59



2018.03.31 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. シューベルト: 交響曲第7(8)番 ロ短調 D759 《未完成》
2. チャイコフスキー: 交響曲第6番 ロ短調 Op.74 《悲愴》

怒涛のインバル第3弾の最終回は、個人的には自分自身も川崎勤務から離れる最終日に、ミューザ川崎という恰好のお膳立て。今回のインバル3連発はどの曲もそうでしたが、未完成、悲愴ともに聴くのは久しぶりで、未完成は2009年のハイティンク、悲愴は2012年のゲルギエフ、いずれもロンドン響で聴いて以来の超久々です。

未完成は昔からどうも苦手な曲で、好んで聴きに行くことは絶対にありませんので、こういう風におまけ的に聴くことがあるくらいです。苦手な理由は、この曲がまさに「未完成」であることが一つの要因と思います。この後、終楽章あたりで壮大なカタルシスが待っている展開であれば、退屈な前半も捉え方が全然変わってきて、まだ我慢ができるのかもしれませんが、ここで終わってしまうと「え、本当にこれだけ?」と。自分の中の「興味なし箱」の奥底に入れてしまい今に至る、という感じです。そんな程度の関心しかないので、花粉症の薬でぼーっとしていたこともあり、あー今日も重厚に始まったなーと思っているうちに、気がつけば終わっていました。

気を取り直してメインの「悲愴」。昔部活で演奏したことがあり、細部まで一応今でも頭と身体が覚えています。インバルはあまりチャイコフスキーというイメージがありませんが、やはり低弦をきかせ、金管を鳴らしまくるた派手な音作りではあったものの、感傷を極力抑えた理知的な演奏でした。いくつかタメるところを決めて、逆にそれ以外はインテンポで走り抜けるという、インバルならではのメリハリの作り方で、なおかつそのタメる箇所が独特なのが、インバルの個性になっています。第3楽章もオケを相当に鳴らしまくって盛り上がり、おかげで楽章エンドで数人が拍手、しかも一人はブラヴォー付きというオチまで付きました。日本人が、本当につい思わず「ブラヴォー」と叫んでしまう局面って、人生で数回あるかないかだと思うので、その人はよっぽど感動したのでしょうね。ただ、オペラはともかく、悲愴のようなシンフォニーでこれをやられると、その後の緊張感がずいぶん削がれていやな気分が残るので、ブラヴォー言いたいだけの人はもっと場所を選んで出かけて欲しいと、個人的には思います。

おまけ。満開のピークを過ぎた、線路沿いの桜。


インバル/都響/タロー(p):タローのメローなショスタコと、壮大なる「幻想交響曲」2018/03/26 23:59

2018.03.26 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Alexandre Tharaud (piano-1)
1. ショスタコーヴィチ: ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 Op.102
2. ベルリオーズ: 幻想交響曲 Op.14

怒涛のインバル第2弾。まず1曲目のショスタコは、ディズニーの「ファンタジア2000」で使われ、知名度が一気に上がった曲です。前に聴いたのはちょうど8年前、カドガンホールのロイヤルフィル演奏会でした。このときはこの曲を献呈された息子マキシムが指揮の予定が、病気でキャンセルになり残念だったのを覚えています(というか演奏はよく覚えていない…)。

まず何より驚いたのは、タローがiPadを譜面として使用していたこと。私もご多分にもれず、IMSLPからパブリックドメインのPDFスコアを大量にダウンロードし、iPadで眺めたりはしていますが、奏者が演奏用の譜面として使うのは初めて見ました。確かに合理的な利用法ですが、譜めくりはどうするんだろうと。オペラグラスで注視していたところ、ジャストのタイミングで譜面が素早くめくれていってました。タローが自分で操作しているようには見えませんでしたが、果たして舞台袖から譜めくりサポートの人が遠隔操作できるのか?Bluetoothは、まあ仕様上舞台袖でも距離は届くのかもしれませんが、いろいろと事故が起こりそうで、私なら怖いから真横に座って操作してもらいます。後で調べてみたら、譜面として使用するためのiPadアプリは以前からあり、首の動き等で演奏者が自分で譜めくりもできるそうです。とは言え、タローがいちいち首をかしげていたようにも見えなかったので、よっぽど微妙な動作で譜めくりができるとなると、やっぱりめくれないとかめくり過ぎとかの事故が怖いなあと。

ということで、正直、演奏内容よりもiPadの操作のほうに注意が行ってしまったのですが、初めて聴くタローは、思ったより小柄で細身。年齢よりずっと若く見えます。いかにもショパンなんかをさらさらと弾きそうな感じで、パワー系とは真逆のタイプに見え、よく鳴っていたオケに押される局面もありましたが、終始マイペース。オケに引きずられることもなく軽快に弾き抜き、第1楽章などはむしろアチェレランドを自ら仕掛けたりもしてました。第2楽章はショスタコらしからぬメロウな音楽で、コミカルな第1、第3楽章との対比が面白いのですが、よほど好きで自信があるのか、アンコールはこの第2楽章を再度演奏していました。

あと気になったのは、インバルの指揮台が正面ではなく左向きに角度を付けてあって、見据える先はホルン。この日は確かにホルンが全体的にイマイチで、迫力に欠けるし、音は割れるし、音程も危うく、足を引っ張っていました。他のパートも顔を見るとトップの人が軒並みお休みのようで、「若手チャレンジ」のような様相でした。

「幻想」も久しぶりだなと思って記録を辿ると、前回は6年前、ドヴォルザークホールで聴いたインバル/チェコフィルでした。前はざっくりとした印象しか残っていないのですが、小技に走らず、大きなメリハリのつけ方を熟知している正統派の名演だという感想は、今回もほぼ同じでした。チェコフィルの滋味あふれる音色とは比べられませんが、オケの鳴りっぷりと重厚な低音は都響が勝っていました。遠くから聞こえる(はずの)オーボエと鐘がけっこう近かった他は、何一つ変わったことはやっていませんが、いつの間にか引き込まれてしまう、嘘ごまかしのない正面突破の演奏でした。

インバル/都響:3連発の第1弾は、怒涛の「レニングラード」2018/03/20 23:59

2018.03.20 東京文化会館 大ホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. ショスタコーヴィチ: 交響曲第7番 ハ長調 Op.60 《レニングラード》

3月後半は怒涛のインバル3連発です。まず最初は、久しぶりの文化会館で、ショスタコの大作「レニングラード」。生演は2012年にロンドン・フィルとロシア・ナショナル管の合同コンサート(指揮は昨秋初来日したユロフスキ)で聴いて以来の、6年ぶりです。

花粉症ピークのこの季節、自分自身の体調も正直最悪に近かったのですが、ほぼ満員の聴衆は、何と静かなことよ。やはり、他ならぬインバル/都響のレニングラードだから足を運んでいる人が多いようです。そしてその期待どおり、音の厚み、バランスと音程のコントロール、どこを取っても申し分なしの一流の演奏でした。都響のインバル・マジックとでも言うのか、実際ここまで着いてきてくれるオケに対して、インバルも満足だったことでしょう。演奏解釈は後半に重点を置く戦略で、有名な第1楽章などはけっこう軽やかに高速で駆け抜け、空虚にオケを鳴らしまくっていましたが、第3楽章の彫りの深い表現との対比がたいへん効果的でした。終楽章の最後までへばることなく音を出しきり、薄っぺらさから濃密さへの変化をきっちりと付け切る、メリハリの効いた演奏には感心するするばかりでした。このテンションで、もう82歳になってしまった巨匠インバルの身体がもつのだろうかと、ちょっと心配です。

ノセダ/パリ管:どこまでも愛想のない新フィルハーモニーホール2018/02/01 23:59



2018.02.01 Philharmonie de Paris, Grande salle Pierre Boulez (Paris)
Gianandrea Noseda / Orchestre de Paris
Irina Lungu (soprano-3), Dmytro Popov (tenor-3), Alexander Vinogradov (bass-3)
Choir of the Orchestre de Paris (cond. by Lionel Sow)
1. Alfredo Casella: "La donna serpente" Suite No. 2
2. Debussy: Images (Gigues, Iberia, Rondes de printemps)
3. Rachmaninov: The Bells, choral symphony

3年前に落成したパリの新しいフィルハーモニーホールはずっと気になっていたので、出張の折にタイミングよく聴きに行けたのはラッキーでした。最後にパリ管を聴いたのは5年前(指揮は佐渡裕)。当時の本拠地サル・プレイエルは、フィルハーモニー完成後、クラシックの演奏会から手を引いたそうで、感慨深いものがあります。


フィルハーモニーは中心部からはちょっと北東に外れた、メトロ5番のPorte de Pantin駅から徒歩5分くらいの位置です。シテ科学産業博物館もあるヴィレット公園の中にあり、夏場であればまた雰囲気は違うのかもしれませんが、冬場のとっぷり暮れた夜だと(パリ管の開演時間は20時30分です、遅い!)、町外れにあるただの寂しく怪しい暗がりです。駅を出ても案内板もないし、街灯も少なく、ホールにたどり着くまでの道がとにかく暗い。ただでさえ油断のならない町パリ、他に人がいなければ絶対に夜歩きたくないロケーションです。

後で「地球の歩き方」を見ると、カフェ、レストランが充実などと書いてありましたが、全くの嘘。建物内のカフェは狭くてすぐに満席、置いてある商品もしょぼくて、充実どころかヨーロッパではプアな部類でしょう。コンサート・カフェなる施設もありますが、建物を出て駅前まで戻らなくてはなりません。ここも混んでいたので、結局駅前のマクドナルドで腹ごしらえしました(後述)。

建物内に入った印象は、とにかく殺風景。前のサル・プレイエルにしても、打ちっ放しコンクリートのような内装がどうも好きになれなかったんですが、こちらも負けず劣らずぶっきらぼうなデザイン。ホールに入るのに、非常口の鉄扉のようなドアを開けたら、まさかの暗い廊下。それを抜けて次の鉄扉を開けると、また舞台裏のような人に見せるものではない空間が広がり、その次の扉でやっとホールの中に入れました。そこかしこで中途半端に何かが足りない感をいちいち覚え、デザイナーに来客に寄り添う思想はまるでないと結論。ただし、ホール内とそれ以外での落差が大きいので、単純に予算が足りなかったのかなとも思いました。

ホール内はさすがに立派で、曲線を多用したモダンというか未来的なデザイン。ワインヤード式のホールに客席が大きくらせん状に配置されているのはミューザ川崎と通じるものがあります。しかし、ホールの外のイメージが残っているのか、この曲線美も私にはどうも造形先行、ドライで暖かみがないように思えてなりませんでした。肝心のホールの音響ですが、最前列真ん中近くの席だったので、良し悪しは正直判断できず(パリ管の名手と歌手はできるだけ至近距離で聴きたかったので…)。



指揮は、たまたまですが、昨年ワシントンナショナル響でも聴いたばかりのジャナンドレア・ノセダ。いかにもノセダらしい渋い選曲で、同郷イタリアのカゼッラ「蛇女」第2組曲、ドビュッシー「管弦楽のための映像」全曲、ラフマニノフの合唱交響曲「鐘」という構成。作曲された年代は映像→鐘→蛇女という順番ですが、いずれも20世紀前半の作品。昨年のダラピッコラ同様、カゼッラも名前からして知らなかった近代イタリアの作曲家ですが、わかりやすい曲調と色彩感豊かなオーケストレーションは、同世代のレスピーギと通じるものがあります。ドビュッシー「映像」は、真ん中の「イベリア」だけ単独で演奏されることが多く、全曲通してというのは私も初めてです。案の定、「イベリア」が終わったところで半数くらいは拍手。まあ、それだけ熱演だったので、これは仕方がありません。以上の前半戦2曲はパリ管のコンマスや木管の惚れ惚れする音色がたいへん心地よく、しかも、終始汗だくで振りまくっていたノセダにうまくノセられ、全体的にフランスオケらしからぬ?熱意と気合を感じた演奏に、時代も変わったのかなと。後半の「鐘」は初めて聴く曲で、正直評価に困ったのですが、若めのロシア人を揃えたソリストが皆それぞれ恐れを知らぬ堂々とした歌唱で良かったです。

出張の間隙をついて何とか聴きに行けたコンサートですが、今回は特に体力的にキツキツで、ところどころ集中力が彼方に飛んでおりました。というわけで細かい部分が記憶に定着しておらず、今回は音楽の話というよりホールの悪口ばかりですいません。

余談ですが、パリのマクドナルドは全てタッチパネルでオーダーするシステムに変わっていました。たった一人の調理スタッフがちんたら仕事をしていて、待ち人が結局カウンター前で長蛇の列。効率化の意味まるでなし。接客の人件費削減というお題目で導入したのでしょうけど、調理スタッフまで減らしたらこうなるのはわかったはず。フランスでマクドに行くときは、混んでそうな店や時間帯は避けるが吉です。

マテウス/読響/ピーター・アースキン(ds):打楽器ドンパチを上手にさばいたエル・システマの新星2017/12/02 23:59

2017.12.02 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Diego Matheuz / 読売日本交響楽団
Peter Erskine (drums-2)
1. バーンスタイン: 「キャンディード」序曲
2. ターネジ: ドラムス協奏曲「アースキン」(日本初演)
3. ガーシュイン: パリのアメリカ人
4. ラヴェル: ボレロ

ちょうど1年前の今シーズンプログラムの発表から、ずっと楽しみにしていたコンサートです。5月には前哨戦としてコットンクラブにピーター・アースキン・ニュートリオのライブも見に行きました。ステージ奥の一番高いところに置かれたTAMAのドラムセットは多分そのときと同じものですが、メロタムとスプラッシュシンバルが増えて、若干フュージョン仕様になっているような。キックくらいはマイクで拾っているでしょうが、他は特にマイクやピックアップをセットしているようには見えませんでした。


ディエゴ・マテウスはベネズエラの有名なエル・システマ出身で、N響やサイトウキネンには過去何度か客演していますが、読響はこれが初登場とのこと。振り姿もサマになる、いかにもラテン系の若いイケメンで、まずは小手調べと披露した明るく快活な「キャンディード」序曲。モタらず、ノリが良く、この前のめりな指揮にオケがちゃんとついて行っているのが良い意味で予想を裏切り、なかなかの統率力をいきなりさらっと見せました。

続く「ドラムセットとオーケストラのための協奏曲《アースキン》」は2013年にピーター・アースキンのために作曲された作品。3本のサックスに大量の打楽器を含む大編成オケと、もちろんドラムセット、さらにエレキベース(意外と地味でしたが)まであり、ステージ上はお祭りの賑やかさです。作曲者のターネジは、前にも聞いた名前だなと思ったら、私は見に行けませんでしたが、2011年に英国ロイヤルオペラでの初演が物議を醸した「アンナ・ニコル」の作者でした。4つの楽章はそれぞれ以下のような表題があり、1は娘さんと息子さん、2は奥さん(ムツコさん)の名前から由来しています。

 1. Maya and Taichi’s Stomp(マヤとタイチの刻印)
 2. Mutsy’s Habanera(ムッツィーのハバネラ)
 3. Erskine’s Blues(アースキンのブルース)
 4. Fugal Frenzy(フーガの熱狂)

1回しか聴いていない印象としては、曲がちょっと固いかなと。確かに、ドラムセット以外にも打楽器満載で、ラテンやブルースのリズムを取り入れ、派手な色彩の曲に仕上がっていますが、バーンスタインのように突き抜けた明るさがなく、どことなく影が見えます。また、ドラムの取り扱いが思ったほど協奏的ではなくて、普通にドラムソロです。アースキンはさすがに上手いし、安定したリズム感はさすがですが、インプロヴィゼーションの要素がほとんど感じられず、やはりクラシックの舞台では「よそ行き顔」なんだなと感じてしまいました。嫌いなほうではないのですが、単なる「打楽器の多い曲」という印象で、期待したスリリングな「協奏曲」とはちょっと違いました。またやる機会があれば、是非聴きたいと思います。

後半戦は、管楽器のトップには試練の選曲が続きます。2曲とも1928年に作曲、初演されたという「繋がり」がミソ。「パリのアメリカ人」の実演は5年ぶりに聴きますが、管楽器のソロが粒ぞろいで驚きました。日本のオケで、ソロの妙技に感心する日が来ようとは。マテウスの指揮も全体を見通したもので、散漫になりがちなこの曲の流れを上手くまとめていました。ただし、ジャジーなスイング感はイマイチ。ラテンの人がジャズも得意とは限りません。

「ボレロ」の実演を聴くのはさらに久々で、7年ぶりでした。「ボレロ」が入っていると名曲寄せ集めプログラムになってしまうことが多いから、あえて避けてきた結果とも言えます。ここでも管のソロはそれぞれ敢闘賞をあげたいくらいのがんばりで(まあ、トロンボーンがちょっとコケたのはご愛嬌)、世界の一流オケが安全運転で演奏するよりも、かえって熱気があり良かったのではと思います。マテウスはこの曲でも若さに似合わぬ老獪さを発揮し、クレッシェンドを適切にコントロール。バランス感覚に優れている指揮者と思いました。このエル・システマの新星は、あくまで明るいラテン系のキャラですが、実力は本物だと確信しました。今後の活躍に期待です。

ノセダ/ワシントン・ナショナル響:シーズン開幕は「パッサカリア」縛りで2017/11/11 23:59



2017.11.11 The John F. Kennedy Center for the Performing Arts, Concert Hall (Washington D.C.)
Gianandrea Noseda / The National Symphony Orchestra
Corinne Winters (soprano-2)
1. Webern: Passacaglia
2. Luigi Dallapiccola: Partita for Orchestra
3. Beethoven: Symphony No. 3 in E-flat major, Op. 55, "Eroica"

出張のおり、初のワシントン・ナショナル交響楽団を聴いてまいりました。エッシェンバッハの後を継ぎ、今シーズンから音楽監督に就任したノセダの、これがオープニングの演奏会になります。客入りは良く、温かく迎えられていたように感じました。

その記念すべき1曲目がウェーベルンの作品番号1番「パッサカリア」とは、なかなか意味深です。このオケを生で聴くのは初めてですが、さすがアメリカのオケ、というような馬力や華やかさは感じませんでした。金管がちょっと緊張気味で、音が安定しない。現代曲はあまり得意なオケではないのかなと。あと、ティンパニの配置がアメリカ式でなくドイツ式だったのが意外でした。ノセダは7年前のロンドン響で聴いたときはどうだったか忘れてしまったのですが、超高齢指揮者以外では珍しく、椅子に座っての指揮。Philharmonia版のちっちゃいポケットスコアを使っていたのは、7年前と変わりません。音楽は生真面目なスタイルで、無調・12音階に突っ走る前のウェーベルンを「歌」として捉えていたように私は感じました。

1曲目の後マイクを取り、音楽監督としてのオープニングシリーズでなぜこの選曲なのかを解説、モダンな作曲家があえて古いスタイルの音楽に枠をはめて作曲に挑戦したものばかりを選んだ、と言ってました。それはもちろん見え見えでわかりますが、最後はグダグダになり、肝心の「なぜこの選曲なのか」の理由についてははっきり言及しませんでした。

2曲目はダッラピッコラという20世紀のイタリア人作曲家の「パルティータ」。実は作曲者の名前からして初めて聞きました。12音技法に傾倒した人らしいですが、4曲からなるこの組曲は、まだ調性が残っている初期の作品。第1曲が「パッサカリア」ということで、前の曲とコンセプトが繋がってます。イタリアの陽気な太陽よりも、ちょっとブルーがかった冷たさを感じる作風です。聴きなれない曲ですが、ノセダの歌わせ方が上手いのか、すっと引き込まれる魅力を持っています。第4曲だけソプラノ独唱が入り、コリーヌ・ウィンターがしずしずと入ってきました。前のシーズンで英国ロイヤルオペラデビューも果たした期待の新鋭で、ルックスは抜群の美人。見た目若そうだし、オペラ歌手らしからぬウエストの細さは、こりゃあ人気が出るでしょう。ただし、この曲だけじゃちょっとわからないけど、正直、それほど綺麗な声でもなかったかなと。線が細く、どこかヒステリックになってしまう歌唱は、役どころを選ぶのではないでしょうか。「ルル」なんか、いいのかもしれません。

本人の公式サイトより。後ろから見るとさらにセクシーな衣装でした。

メインは私の苦手な「エロイカ」。前半はイマイチと感じていたホルンが、休憩後メンバーがガラッと変わり、レベルアップしたので、意外と飽きずに最後まで聴き通せました。この選曲も、終楽章が4分の2拍子のパルティータ風というところが1曲目と呼応しています。ちょっと理屈っぽい気もしますが、うまい選曲だと思いました。ノセダは、オケの人数は絞ったものの、ピリオド的奏法のアプローチはせずに、普通のモダンオケを使って、裏技なしで明快に仕掛けを見せていく誠実タイプ。今度はいかにもイタリア人らしい、明るくリズミカルな陽のベートーヴェンでした。終演後の熱狂は、地元聴衆の期待感の表れでしょう。上々の滑り出しと思います。

ケネディセンターは商業施設としてはだいぶ時代遅れ感が否めず、開放的な設計ではないので構造がわかりにくい建物でした。コンサートホールは座席が古くてスプリングがお尻に刺さるのが難点。2400席以上もあり、音響はお世辞にも良いとは言えません。ただし、ステージが低めなので、いっそ最前列とかで聴くのがよいかも。あとは、アメリカでは普通なのかもしれませんが、地下鉄・電車を降りてすぐにホール入り口があるわけではなく、日本や欧州の主要ホールと比べるとアクセスが悪い。またタイミングが悪いことに、隣のオペラハウスと終了時間がかち合い、大量の人が一斉に出てきてタクシーの列に並ぶも、待っていた第一陣のタクシーが一通りはけたらなかなか戻ってこず、地元の待ちきれない人々は続々とUberで車を呼んで逃げていました。結局シャトルバス、地下鉄を乗り継いでなんとか帰れましたが、夜は本数が極端に少なくなるので、ちょっとビビりました。



小泉/都響/イブラギモヴァ(vn):とっても個性的なバルトークと、とっても普通のフランク2017/10/24 23:59

2017.10.24 サントリーホール (東京)
小泉和裕 / 東京都交響楽団
Alina Ibragimova (vn-1)
1. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112
2. フランク: 交響曲ニ短調

ロンドンでは結局1回しか聴けなかったアリーナ・イブラギモヴァ。そのアリーナが待望の来日、しかもバルトークの2番、これは聴き逃す手はありません。ふと振り返ると、昨年はバルトークの曲自体、1回も聴きに行けておらず、ヴァイオリン協奏曲第2番も一昨年のN響/サラステ(独奏はバラーティ)以来。

アリーナも日本でそこまでの集客力はないのか、もっと盛況かと思いきや、結構空席が目立っていました。田畑智子似のちょっと個性的なキューティは、三十路を超えても健在でした。さてバルトークの出だし、第一印象は「うわっ、雑」。音程が上ずっているし、音色も汚い。しかしどうやら狙ってやってるっぽい。この曲をことさらワイルドに弾こうとする人は多いですが、その中でも特に個性的な音楽作りです。ステレオタイプなわざとらしさは感じないし、不思議な説得力があるといえば、ある。ちょうど耳が慣れてきたところでの第1楽章のカデンツは絶品でした。繰り返し聴いてみたくなったのですが、録音がないのが残念。オケはホルンが足を引っ張っり気味で、小泉さんの指揮も棒立ちの棒振りで完全お仕事モード、どうにも面白みがない。ただし、終楽章は多分ソリストの意向だと思いますが、かなり舞踊性を強調した演奏で、オケもそれに引っ張られていい感じのノリが最後にようやく出ていました。エンディングは初稿版を採用していましたが、せっかくの見せ場なのにブラスに迫力がなく、アリーナはすでに弾くのをやめているし、物足りなさが残りました。どちらかというと私はヴァイオリンが最後まで弾き切る改訂版の方が好きです。

メインのフランク。好きな曲なんですが、最後に実演を聴いたのはもう11年も前の佐渡裕/パリ管でした。小泉さん、今度は暗譜で、さっきと全然違うしなやかな棒振り。ダイナミックレンジが広くない弱音欠如型でしたが、力まず、オルガンっぽい音の厚みがよく再現されている、普通に良い演奏でした。小泉和裕は、初めてではないと思いますが、ここ20年(もしかしたら30年)は聴いた記憶がありません。仕事は手堅いとは思いますが、やっぱり、小泉目当てで足を運ぶことは、多分この先もないなと感じます。