サンクトペテルブルグフィル/テミルカーノフ/ヴェンゲーロフ(vn):名手、復活!2012/03/24 23:59


2012.03.24 Barbican Hall (London)
Yuri Temirkanov / St Petersburg Philharmonic Orchestra
Maxim Vengerov (Vn-1)
1. Prokofiev: Violin Concerto No. 1
2. Shostakovich: Symphony No. 7 ‘Leningrad’

ロシアの名門、私の年代だったら「レニングラード・フィル」と呼ぶほうがしっくりときますが、生演を聴くのは初めてです。ロシアのオケを劇場ではなく演奏会で聴くのも、よく考えたら初めてかも。当初はアルゲリッチがソリストの予定でしたが、曲目がずっとTBCになっていたのでこりゃー今回も危ないなと思っていたら(彼女には過去2回キャンセルを食らっていて未だ聴けず)、1ヶ月前になってようやく想定通りソリスト変更と曲目のお知らせが。ところが代役のソリストは大方の人の想定を超え、マキシム・ヴェンゲーロフというサプライズでした。10代から類い稀なる技巧派ヴァイオリニストとして一世を風靡していたものの、肩の故障が原因で2008年に34歳の若さでヴァイオリン演奏活動からの引退を表明。以後は指揮と教育活動に専念していましたが、待望の声に応えてか昨年から徐々に演奏活動を再開し始め、この日がイギリスでの本格的復帰コンサートということになりました。ヴェンゲーロフはブダペストに住んでた頃に一度来たのですがチケットが買えず、結局聴けずじまいだったんです。アルゲリッチのキャンセルは残念ですが(もう演奏活動は期待できないんでしょうか)、ヴェンゲーロフは思わぬ拾い物でした。

颯爽と登場したヴェンゲローフは、意外と小男。昔の写真からはだいぶふっくらとしました。プロコフィエフのコンチェルト第1番、私は霧の中からヴィーナスがしなりしなりと現れて心かき乱すかのように、幻想的、女性的なイメージがあるのですが、ヴェンゲーロフは男らしくすぱっと切れ味の良い演奏。のっけから流麗ながらも線の太いヴァイオリンは、ただの技巧派ではないことをありありと感じさせます。ずっと目を閉じながら、あまり身体を揺さぶらずに、ほとんど右手の動きのみでダイナミクスを出すタイプのようです。実際演奏中に切れた弓の毛を何度も引きちぎっていましたし、右手の圧力は相当なもので、右肩を痛めてしまったのはこのせいかなあと。途中ちょっとチューニングが狂ったりもしましたが、透き通るハイトーン、鋭く切り込むフレーズ、正確無比な高速パッセージはさすがヴェンゲーロフの名に恥じないもので、懐の深さを顕示していました。痛める前を知らないのでアレなのですが、全盛期はさぞ凄かったのだろうと確信持って想像できますね。おそらく肩はもう完治はしていて、後は無理のないペースで力をセーブしながら、指揮者との両立でやっていくつもりなんでしょう。鳴り止まない拍手に応え、アンコールはバッハのサラバンド。叙情的表現力も衰えていないところを見せつけました。


メインの「レニングラード」は冗長なのであまり好んでは聴かない曲なのですが、最近予習も兼ねて車や電車の中で繰り返し聴いていると、バルトークも茶化して自作に引用した第1楽章の「ちちんぷいぷい」行進曲が耳から離れなくなり、その麻薬性にヤラれてしまいました。ここを筆頭にロシアのオケはどこもソ連崩壊後に実力が著しく劣化したとまことしやかに言われます。私の経験でもロシアの劇場付きオケはどこもひどいのばっかりで、今日もどうなることやらと不安半分だったのですが、どうしてどうして、腐ってもレニフィル、いたって優れた楽団でした。弦楽器、特に第1ヴァイオリンは素晴らしく統制が取れており、音がめちゃめちゃ奇麗。低弦も一体となってずっしりと下支えをします。ホルン8本、トランペット6本、トロンボーン6本+チューバと揃った強力ブラス部隊はちょっと反応が重く、引きずる傾向があったものの、北の大地で鍛えられた馬力と体力はさすがでした。向かって右端に金管、左端に低弦とすっぱり分けた音響効果も功を奏していました。欲を言えば木管の音にもうちょっとデリカシーがあれば良かったかなと。第1楽章の要である小太鼓はだいぶ苦しそうで、音符を落とさないだけでせいいっぱい、リズムの牽引車となるまでは至りませんでした。そりゃーそうですわ、私だって自分が楽団員だったら「ボレロ」以上に苦行のようなこの曲は絶対にやりたくないですもん。

テミルカーノフは指揮棒を使わず両手両腕を駆使して即物的に音楽をまとめていきます。無愛想加減がいかにもソ連、東欧の指揮者という感じ。恣意的な色付け肉付け一切なしの質実剛健な演奏は、巨大な建造物を描き出すには適していましたが、無駄に長いというこの曲の特徴というか弱点もさらけ出していました。途中の退屈を何とか抜け切り、コーダはもちろん爆音でこれでもかと盛り上がって、終ってみればやんやの大喝采、お義理じゃない本当のブラヴォーの嵐でした。アンコールはエニグマ変奏曲の「ニムロッド」。ロイヤルフィルの首席指揮者も勤めていたテミルカーノフはさすがにロンドンの聴衆の心の掴み方を知っていますね。


翌日25日は久々のフリューベック・デ・ブルゴス指揮でLSOの演奏会が入っていましたが、ソリストのユジャ・ワンが病気のためキャンセル。代役はアリーナ・イブラギモヴァという、まさにこの日と同じくピアノ→ヴァイオリンへの変更だったため、曲目もバルトークのピアノ協奏曲2番からメンデルスゾーンのVn協奏曲に変更となりました。この演奏会、私はバルトークが聴きたかっただけなので、まだ聴いたことがないアリーナにも後ろ髪は引かれましたが、このところ仕事が立て込んでいることもあり、連チャンはやめとけという天の声だろうと、チケットリターンしました。ちょっと残念。