ブダペスト祝祭管/フィッシャー:バルトークホールでバルトーク2011/11/06 23:59


2011.11.06 Béla Bartók National Concert Hall (Budapest)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
Zoltán Fejérvári (P-2)
1. Bartók: Hungarian Peasant Songs
2. Bartók: Piano Concerto No. 1
3. Schubert: Symphony No. 5 in B-flat major
4. Tchaikovsky: Romeo and Juliet - Fantasy-Overture

3日前に「青ひげ公」を聴いた後、休暇で1年ぶりのブダペストに行ってバルトークコンサートホールでまたまたバルトークを聴く、我ながら「バルトーク三昧」してます。

このホールに来るのは実に4年半ぶり。悪かったアクセスが改善されていないのは最初からわかっていたので、お出かけはレンタカーで。地下駐車場の夜の無料開放がまだ続いていたのは嬉しかったです。ホールの中はカフェバーとインフォメーションが場所を交換していたり、ボックスオフィスがCDショップになっていたり、また外壁の原色ピカピカ照明がなくなっていたりと、微妙にいろいろと変わっていました。ホール内の内装は変わらず赤青の原色パネルが目を引き、座席はちょっと高めの背もたれに少々圧迫感がありますが、このあたりは懐かしいもんです。




開演前、オケの練習風景とソリストのインタビューを収録した宣伝用ビデオが上映されていました。その中で別の日のソリストが「コチシュとフィッシャー/ブダペスト祝祭管のバルトークが自分の目標だった」というようなことを話しており、祝祭管の演奏会でコチシュの名前を聞いたのが新鮮でした(コチシュはこのオケの創設者の一人でありながらフィッシャーと対立して飛び出し、それ以降客演していないのはもちろん、何かと言えば目の敵にしています)。


フィッシャーとブダペスト祝祭管はロンドンに来てから何度か聴いていますが、じっくりと丹念に音楽を作り込んで行くタイプのオケなので、やはりホームで聴くのが吉です。1曲目の「ハンガリーの農民歌」は実に骨太の弦アンサンブルが歌わせ方の隅々までハンガリーのイントネーションで首尾一貫して奏で、木管・金管は非常に素朴な音色で田舎の香り付けをし、のっけからその彫りの深さに参りました。ホールの程よく長い残響も健在で、故郷に戻ってきたような懐かしさを感じました。

ピアノ協奏曲、元々は3回ある定期演奏会のうちコンチェルトだけ日替わりで全3曲をシフ・アンドラーシュが演奏するという、今シーズンの目玉企画だったわけですが、1月にシフが政治的理由で祖国との決別宣言をしたためにキャンセルとなってしまい(決別と言ってもオケとは良好な関係が続いているので、これに先立つ米国ツアーでは予定通りシフが帯同して3曲とも弾いていたようですが)、結局3曲各々に別の代役ソリストを立てました。この日のコンチェルトは第1番、ソリストはフェイェールヴァーリ・ゾルターンというハンガリー人の若者だったのですが、この抜擢は彼にはちょっと荷が重過ぎたようでした。音がスカスカに軽く、まるでシューベルトでも弾くかのようになめらかなのは良いとしても、オケに着いていくのが精一杯の平板なピアノでした。いかにもこの曲を(もしかしたらバルトーク自体を)弾き慣れていないのがありあり。一方のオケは、打楽器群を指揮者の目の前に置くという、これはフィッシャーのみならず誰でもやっている定番の配置ですが、さすがに十八番でアクセントの付けどころ、リズムの強調しどころを知り尽くした濃厚な伴奏。最後のコーダではピアノが半ば脱落していたし、まだ若いとはいえ、ちょっと気の毒に感じる飲まれっぷりでした。曲名はわかりませんが、アンコールで弾いていた穏やかなピースを聴くに、この人は元々デリケートで叙情的な演奏が持ち味で、ならばせめて1番ではなく3番を当ててあげればよかったのになあ主催者も人が悪い、と思ってしまいました。まあ何事も経験あってのキャリアですから、彼もハンガリー人ならばこうやってある意味贅沢な洗礼を受けたのは、今後の成長に必ずプラスとなることでしょう。

休憩後のシューベルト第5番は、ミニマルで端正な古典交響曲の外見を保ちながらもロマン派の優美さがそこはかと漂ってくる、品のある佳曲です。さすがは「仕掛けのイヴァーン」、よく見るとチェロとコントラバスは定位置におらず、他の弦楽器の中に混ざって分散しています。低音が程よく分散する他に、お互いの音が聴きやすくなるというメリットがあるようですが、効果はあくまで微妙なものでした。それよりも一呼吸一呼吸がいちいちよく練り込まれたフレージングはまさにこのコンビならではの完成度で、たいへん歌心のある演奏でした。

最後のチャイコフスキー「ロメジュリ」では、今度はハープ奏者(美人!)が指揮者の目の前に置かれ、メリハリの利いた展開でぐいぐいと押し進めます。とは言え第二主題では速めのテンポでホルンを強調しない淡白さを維持し、甘ったるいチャイコフスキーに陥るのを食い止めていました。音が太くて適度に華美な好演だったのですが、米国ツアーの直後でお疲れモードだったのか、シンバルが派手にリズムを外して脱落したのはプロにしては珍しい事故でした。

やはりこのオケとホールは相乗効果で素晴らしいものであることを再認識できました。またこのホールで聴く機会があればと思いますが、旅行ベースだとなかなかタイミングが合わなくて…。次は3月のロンドン・ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、曲目はスペイン交響曲とシェエラザードです。