都響/インバル:集大成、マーラー/クック編の第10番2014/07/20 23:59

2014.07.20 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第10番嬰へ長調(クック補完版)

インバルは今年の4月から桂冠指揮者に退いたので、大野和士が正式着任する来年4月まで都響の音楽監督は空位なんですね。それはともかく、今日(と明日)の演奏会は、インバル/都響が2012年から取り組んできた第2次マーラー・チクルスの番外編で、「ありがとうインバル」の送別的意味合いが強いです。

3月の第9番はたいへん充実した演奏でしたが、今日もまた、驚くべき完成度に仕上げてきたこの人たちには降参するしかありませんでした。特に第1楽章の集中度は、先のフルシャのときと比べても明らかにテンションが違います。もったいぶらずに冒頭から本題をサクサクと語っていくような進行で、大仰にテンポを揺らしたり、音量を極端に押さえつけたりという彫りの深い表現がなかった分、このアダージョが全く新たな大曲の開始というよりは、第9番の終楽章から繋がった音楽であることを意識させるプロローグになっていたかと思います。

第2楽章が終わると小休止を入れ、インバルはいったん引っ込みました。チューニングをやり直すと、第2楽章で多少緩んできたかに聞こえた音が、短い第3楽章のプルガトリオで再びキリっと瑞々しさを取り戻しました。その後は最後までブレークなしで緊張感を切らさず進みます。太鼓叩きとしては聞き逃せない、終楽章の大太鼓連打では、わざわざそれ専用に深銅の2台目を用意。奏者は女性でしたが、黒布をかぶせてミュートした、ドライで腹に突き刺さる強打は立派なもの。終演後、ティンパニよりも先に立たされる大太鼓奏者というのも珍しいことです。また、大太鼓強打にかぶさるフルートは、京大オケ出身の主席寺本さんが渾身の濃密ソロを聴かせてくれました。ホルンとトランペットは、若干きつい箇所もありましたが総じて素晴らしいできばえで(インバルのときは魔法のように音色が変わり、音が確実になります)、指揮者が真っ先に立たせ讃えたのも納得できる健闘ぶりでした。このように管・打楽器が光ったのも、最後まで集中力が切れなかった弦アンサンブルのリードがあってのこそ。私も正直第1楽章以外は退屈に思っていたのですが、最後まで飽きることなく聴き通せました。指揮者のタクトが下ろされた後、いつものように叫びたいだけ人のウソくさいのとは違って、心から絞り出されたようなブラヴォーがとっても印象的でした。

さて、久々に100%日本で過ごした今シーズン(欧州に倣い9月開幕でカウント)は、ライブビューイング3件を除くと結局22回の演奏会に行きました。月平均2回のペースは最盛期と比べたら3分の1以下ですが、何としてもこれを聴いておかねば、という動機付けが極端に難しくなった環境の中で、まあまあ精一杯の数字でした。在京プロオケの様子はだいたいわかったので、来シーズンはさらに厳選して通うことになりそうです。

都響/フルシャ/アンデルシェフスキ(p):ハルサイと、奔放なバルトーク2014/06/25 23:59

2014.06.25 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jakub Hrůša / 東京都交響楽団
Piotr Anderszewski (piano-2)
1. オネゲル: 交響的楽章第1番《パシフィック231》
2. バルトーク: ピアノ協奏曲第3番 Sz.119
3. ストラヴィンスキー: バレエ音楽《春の祭典》

注目株のフルシャ/都響を聴くのは、昨年11月以来です。まず1曲目の「パシフィック231」を実演で聴くのは初めて。有名な曲ですが、あんまりプログラムに上らないかも。冒頭の甲高い汽笛の後、早速機関車が起動しますが、重々しくてキレがなく、ダラリとした走りっぷりは全く意外でした。リアリティを狙ってやってるのかもしれませんが、描写としてはリアルでも、音楽が表現したかったのは当時の人々の「衝撃」だったと私は思うので、それが伝わってこないのはオケの限界か、はたまた、演奏解釈としては弱いんじゃないかと。

続いてバルトーク。ピアノの編んでるシェフ好き、じゃなくてアンデルシェフスキは1年ほど前にロンドンで1度聴いていますが、言うなれば超天然系。今日も我が道を行く、今まで聴いたことがないバルトークでした。昨今のバルトーク弾きは技術度でいうと相当に高度な人ばかりかと思うのですが、ミスタッチなど全く気にする様子がない自由奔放ぶりがたいへん新鮮だったのと同時に、スタイリッシュでピカピカした演奏にはない、東欧の空気がしっかりと流れていた気がしました。ただし、ピアノに引きずられたのか、オケにはまだキレ戻らず。拍手に気を良くしたアンデルシェフスキはピアノに座るなり弾き出したのがバルトークの「チーク県の3つの民謡」。譜面通りじゃないものをいっぱい盛り込んだ、個性的ながらも正統派の民謡アプローチ、と後から無理矢理に解釈を当てはめてはみたものの、本人はけっこう思うに任せて気ままに弾いているようにも思えました。もう1曲、知らない曲でしたがどう聴いてもバッハ(パルティータからサラバンド、らしいです)を弾いてくれて、最後まで期待を裏切らない超ユニークな演奏で楽しませてくれました。

メインの「ハルサイ」を日本のオケで聴くのはよく考えたら初めてかも。オケは良く鳴っていましたが、バーバリズムを押し出す演奏ではなくて、リズムのキレはやっぱり悪かったです。破綻とまでは言わないにせよ、トランペットとホルンはちょっと厳しかった。全体的にいっぱいいっぱいという感じで余裕がなかったです。ちょうど今朝見たサッカーW杯日本代表の試合のようなもどかしさ。まあ、一流オケの奏者でも、何度やってもこの曲を演奏するときは緊張して、個人練習に力が入ると言いますし。奏者にとって気の毒なのは、ハルサイの場合、聴衆のほうも曲を熟知しているのでごまかしようがない、ということですか。話を戻すと、若さに対して多少先入観があったのかもしれませんが、フルシャはリスクを取ってオケを振り回すようなキャラではなく、意外と老獪なセンスが持ち味の人で、ハルサイのようなヴィヴィッドな曲は案外得意じゃないのか、と思えました。

ツィガーン/都響:ローマの祭、セビーリャ交響曲、道化師の朝の歌ほか2014/05/12 23:59

2014.05.12 東京文化会館 大ホール (東京)
Eugene Tzigane / 東京都交響楽団
1. ラヴェル: 道化師の朝の歌
2. ラヴェル: 組曲《クープランの墓》
3. トゥリーナ: セビーリャ交響曲 op.23
4. レスピーギ: 交響詩《ローマの祭》

ユージン・ツィガーンは日本人の母親を持つアメリカ人指揮者ですが、名前から推測すると民族的ルーツはロマ系ハンガリーでしょうか。顔の外見は北方よりも南方、もろラテン系の感じでしたが。ユージンと言えば、まず思い出すのはピンク・フロイド、次にオーマンディ…。

さて今日は、コストパフォーマンスで定評のある東京文化会館の5階席を初体験してみました。奏者の息づかいまで聴こえるかぶりつき席が好みの私は、今までなら絶対選ばない(そこしか無いなら行くのを止める)席ですが、東京の演奏会の価格設定にはそろそろ疑念を抱いてきており、各ホールでいろんな席を試しているところです。5階席は椅子が高くて斜度が急なのに転落防止の柵もないので、ちょっと恐いです。高所恐怖症の人には向かないでしょう。天井が近いせいか、ステージとの距離があるわりには至近距離のボリューム感があります。ダイナミックレンジが広くて分離は悪くなく、大太鼓もマンドリンもよく聴こえました。演目にもよりますが、確かにコスパの良い席と認識しました。それにしてもここは、不思議なホールです。側面の壁のよくわからんオブジェとか、下に凸の天井とか、反響を複雑にしていると思うのですが、昔からどこに座っても悪い音に当たった記憶があまりありません。

本日のプログラムはフランス、スペイン、イタリアのラテン系世界遺産ごちゃまぜ風ですが、1曲目の「道化師の朝の歌」はラヴェル得意のスペイン趣味に溢れた曲なので、スペイン色が若干強いですか。個人的にはあまり聴かない曲で、前回聴いたのはもう5年も前のミュンヘンフィルですが、その遥か以前にこのホールで聴いた山田一雄の生前最後の演奏(オケは新響)がアマオケとは思えない豪演で度肝を抜かれたのをおぼろげに憶えています。ツィガーン/都響のはあまりスペインっぽくなくて、躍動感に欠けリズムに乗り切れてないせいかと思ったのですが、身体がまだ温まってなかったかも。

続く「クープランの墓」、これは実演で聴くのは初めて。こちらは擬古典的フランス風の小洒落た小品で、ぐっと絞った編成でより透明度の高い演奏になってました。しかし、全体的にもっと柔らかい音が欲しいところ。トランペットなんかちょっとヤケクソ気味で、私的にはぶち壊しでした。

3曲目のトゥリーナ「セビーリャ交響曲」は全く初めて聴く曲です。コンセプト的には「ローマ三部作」のスペイン版のような写実的交響詩ですが、これは正直言って曲がつまらない。楽想から構成から色彩感から、どこを見てもレスピーギとは比類のしようもなく、この曲がポピュラリティを獲得できなかったのもむべなるかな。

ここでやっと休憩、前半はちょっと冗長でした。後半メインの「ローマの祭」は大好きな曲ですが、この曲には深みなんかよりもっと直裁的にフィジカルなカタルシスを求めます。金管が最後までヘタレず、オケがガンガン鳴っていれば基本はOKの曲ですが、そう言う意味ではホルンもトランペットもトロンボーンも、各々に残念な箇所はあり、厳しいかもしれませんがインバル指揮のマーラーで見せたような集中力をここでも発揮してもらいたかったところです。ただし最後の畳み掛けは無理をしてでもリズムの加速優先であるべきで、そこは私の好みとも一致して、都響のプロの意地を垣間見ました。計10人の大打楽器チームも健闘しました。この曲はやっぱり生で聴くのが格別ですわ。とここで思い出した余談は、この曲を初めて生で聴いたのも山田一雄(オケは京大)だったなあと、しみじみ…。

今日のプログラムだけでは何ともわかりませんが、ツィガーンはオケのドライブはちゃんとできるし、スマートなハンサムボーイで見栄えも良いんですが、時には泣き、時には土臭く歌う情感の引出しがまだ少なそうなのと、小さくまとまっていて、カリスマ性というかオーラが足りないです。時には斧を振り回すような狂気を目指してもよいんではないでしょうか。

あとさらに余談は、上から見ていてふと目に止まった優香似の美人ピッコロ奏者。あとで調べたら、中川愛さんという、東響から都響へ昨年移籍したフルーティストだそうです。今後、都響の演奏会では要チェックです!(何を?)

都響/インバル:渾身のマーラー9番2014/03/17 23:59

2014.03.17 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

インバルのマーラーは、4年前にロンドンでフィルハーモニア管との「復活」を聴いて以来です。その時はフェスティヴァルホールのリアストール後方席だったので、ステージが遠くて音がデッドな上に、深く覆いかぶさった二階席のおかげで最悪の音響のため全然楽しめませんでした。今日もストールの後方だったのですがそこはサントリーホール、二階席が覆いかぶると言ってもフェスティヴァルホールより全然浅く、ブラス・打楽器が直に飛び込んでくる好みの音響で安心しました。

さて全体を通しての印象は、繊細で丁寧なマーラー。解釈はくっきりとしていてわかりやすい。例えば、タメるところは聴衆に「ここはタメである」とはっきりわからせるような演奏でした。それでも軽くなったり、下品になったりしないのは、楽器バランスとダイナミックレンジが適正にコントロールされていたから。緊張感溢れる第1楽章に続き、息抜きの第2楽章は写実的な田舎風。第3楽章の前で指揮者は一度袖に引っ込み、オケは軽くチューニングし直しましたが、多少くたびれてきていた音色が一転、再び研ぎすまされて光沢が出たのには感心しました。激しい第3楽章で音量が爆発しても、金管は一貫して柔らかい音を出していたので、日本のオケでこれだけ余裕のある演奏もなかなか聴いたことがありません。第4楽章がこれまたドラマチックな入魂の熱演で、ホルンは地味ながらも頑張ったし、クライマックスで弦はボウイングなんか気にせず各人が粘る粘る。ラストの消えゆく弦の弱音は極めてデリケートで、最後まで集中力を欠かさない、たいへん上質の演奏でした。

今日のマラ9は、この曲のベストかと問われればYESと答えられないけれど、ここまで何回か都響を聴いてきて、一流の指揮者が指揮棒一つでしっかり自分の音楽を作れるだけの地力がオケにあるのだな、と思い知らされました。こんなこと、ロンドンでは当たり前だったかもしれませんが、ここらあたりじゃ全然当たり前じゃないという事実をふと思い出させる一夜でした。

都響/インバル/庄司(vn):最強のバルトーク・プログラム2013/12/20 23:59


2013.12.20 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
庄司紗矢香 (violin-1)
1. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番
2. バルトーク: 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)

拙HPの演奏会備忘録にある通り、2003年以降に出かけた演奏会は全て記録を付け統計を取ったりしておりますが、この10年で同じ曲を繰り返し聴いた回数のベスト3は、私の場合「くるみ割り人形」「青ひげ公の城」「バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番」なのでした。従って今日の演目は、自分的には一粒で二度美味しい最強のプログラムです。

庄司紗矢香さん、ロンドンにもよく来ていましたがタイミングが合わず、生演は今日が初めてです。インバルは昨年チェコフィルをドヴォルザークホールで聴いて以来。コンチェルトは、冒頭ハープのメジャーコードから、焦らず急がずのゆっくり進行。ただ遅いだけじゃなくて、スルメを噛みしめるようにスコアをしゃぶりつくします。音楽の縦軸としては、輪郭を際立たせた透明度の高い演奏と言えるのでしょうが、横軸の流れが悪いのが気になりました。つまり、この曲はバルトークにしては曲構成の緻密さがユルく、まともに演奏すればブツ切れの断片寄せ集めになってしまいがちなので、ソリストを巻き込んだ何かしらの「ドラマ」を作って横の流れを上手く繋いでいく工夫が、まさに指揮者の腕の見せ所だと思っているのですが、インバルはぶっきらぼうに、断片は断片のまま突き放します。庄司紗矢香もこの難曲を涼しい顔をして澱みなく弾いていましたが、全体的にニュアンスが足りない、というか、ない。指揮者と独奏者のインタラクションをあまり感じられず、盛り上がれないままちぐはぐに終わった印象を受けました。席が横のほうでヴァイオリンの音が直接届かなかったので、かぶりつきで聴いたらまた印象は違うのかもしれません。少なくともソリストは満足していないなと感じたのは、アンコールでハンガリー民謡の編曲を演奏した際、それまでとは打って変わって活き活きと前に出る音で、私もやればこのくらいはできるのよ、というささやかな抵抗にも思えました。

さて、メインの青ひげ公。欠かせない曲の一部であるはずの吟遊詩人の前口上を省略し、前半に輪をかけての超遅い開始に、かなりいやな予感がしました。が、幸いそれは杞憂でした。徐々にヴェールを脱ぐように見えてきたのは、オケがさっきとは違い、ドラマがあること。ダイナミクスとテンポを細やかにコントロールした説得力のある劇的表現で、明らかにインバルはアプローチを変えてきています。都響は元よりしっかりとした音を出しているのに、第5の扉ではオルガン前に金管のバンダを揃えて盤石の音圧補強。第7の扉の最後に青ひげ公が「4番目の女は〜」と歌い出す直前の、私の特に好きな場面では、一瞬の空気の変化をすっきり際立たせてユディットの心の揺れを演出。正直、9月に聴いた井上/東フィルとは、失礼ながら役者が違いました。インバル、天晴れです。

3年ぶりくらいに見るコムローシ・イルディコはさらに巨大になっていましたが、彼女独特の、強がり女の劇場型ユディットは健在。今日のインバルの演奏にはたいへんよくマッチしていました。未知数だったスイス人バリトンのマルクス・アイヒェは、非ハンガリー人なのでそんなに期待はしていなかったのですが、どうしてどうして、素晴らしい歌唱。ちょっと声質は軽い気がしますが(青ひげ公はやっぱりバスのほうがいいと思う)、この役に生真面目に取り組んでいるのがよくわかり、好感が持てました。後半でも、惜しむらくは、席。やはり歌手ものはフンパツしてでも真正面の前のほうで聴くべきだったと反省しきりです。

都響/フルシャ:「アルルの女」と「オルガン付き」2013/11/23 23:59

2013.11.23 サントリーホール (東京)
Jakub Hrůša / 東京都交響楽団
小田桐寛之 (trombone-2)
室住素子 (organ-3)
1. ビゼー: 「アルルの女」第2組曲
2. トマジ: トロンボーン協奏曲
3. サン=サーンス: 交響曲第3番ハ短調 Op.78「オルガン付」

フルシャはロンドンで聴くチャンスがいっぱいあったはずですが、今まで逃していました。今更気付いたのですが、現都響の首席指揮者のインバル(前チェコフィル常任)とは「チェコ繋がり」ですね。今日は都響が休日の昼に開催している「プロムナードコンサート」という名曲演奏会で、そうは言っても指揮者、ソリスト、演目は通常の定期演奏会と比べても手抜き感がしないのは好ましいです。目当ては、ロンドンでは結局聴くチャンスがなかったサン=サーンスです。

サントリーホール平土間は超久々でした。2階がかぶさる後方の席は音が良くないという記憶だったのですが、かぶりが浅いため正面だと別段変な反射はなく、また、豊かな残響に負けて振り回されないだけのしっかりした音をオケが出していたのが良かったと思います。都響もえらい久しぶりに聴いたのですが(多分前回は故ベルティーニのマーラー復活)、昔の記憶通り、統率の取れた優秀オケでした。指揮者の力量でもあるのでしょうが、パートバランスが整っていて弱点が目につきません。金管、特にホルンが若干粗い気もしますが、総じて息切れすることなく最後までちゃんと指揮者に着いて行っており、日本のオケにしては珍しく馬力と根性があります。個々のプレイヤーも力があるんでしょうね。団員は都の公務員だから、レッスン等の副業に勤しむあまり本業である演奏活動が疎かになるということがない、のかなあ。私は今は東京都民ではないので税金で直接支える立場にないですが、都知事はこの価値あるな文化事業を絶やすことなくサポートしてもらいたいものだと思います(と書いているうちに、都知事は変わってしまいそうですけど)。

「アルルの女」第2組曲をプロのオケで真面目に聴くのは、初めてかもしれない。第1組曲は昔部活で演奏したことがありますが。特に第2組曲は通俗過ぎる名曲なので軽く流してしまう人も多そうですが、フルシャのリードはたいへんシンフォニックでシリアスなもので、好感が持てました。

トマジのトロンボーン協奏曲は初めて聴く曲で、ソリストは都響トップの小田桐さん。こちらは20世紀の音楽とは言えフランスっぽいエスプリを感じる小洒落た小品でしたが、肝心のトロンボーンがあまりピリッとしなくて、結局何だかよくわからない曲でした。金管楽器のコンチェルトは難しいですね。特に楽団員がソリストをやってる演奏では、楽しめた記憶がありません。ソロで腹くくってやってる人のほうが、サービス精神満載で面白いのは仕方ありません。

メインのサン=サーンスは、久々に聴いたサントリーホールのオルガンがまず素晴らしかったし、演奏効果の上がるよく出来た曲ですので、しっかり盛り上がりました。最後まで頑張れるブラスセクションが居てのことでもあります。このレベルの演奏がいつでも期待できるのであれば、日本の楽団もなかなか捨てたものではありません。というわけで、フルシャ/都響は今後も注目株なのでした。