ウィーン国立歌劇場/ヴァイグレ/フリードマン:分身と仮面の「サロメ」 ― 2026/05/01 23:59

2026.05.01 Wiener Staatsoper (Vienna)
Sebastian Weigle / Orchestra of the Vienna State Opera
Cyril Teste (director)
Gerhard Siegel (Herodes), Monika Bohinec (Herodias)
Lidia Fridman (Salome), Tomasz Konieczny (Jochanaan)
Daniel Jenz (Narraboth), Isabel Signoret (Page)
Thomas Ebenstein (1st Jew), Andrea Giovannini (2nd Jew)
Carlos Osuna (3rd Jew), Hiroshi Amako (4th Jew)
Evgeny Solodovnikov (5th Jew), Michael Wilder (Cappadocian)
Attila Mokus (1st Nazarene), Jusung Gabriel Park (2nd Nazarene)
Simonas Strazdas (1st soldier), Dohoon Lee (2nd soldier)
Wolfram Igor Derntl (slave), Pablo Delgado Flores (executioner)
Benedikt Missmann (performing videographer)
Katarina Klimaschka (little Salome)
Eliska Smatralova (little Salome - dance/video)
1. Richard Strauss: Salome (music drama in one act)
久々にウィーンへ小旅行でもと演奏会スケジュールを調べていたら、ちょうど4〜5月に楽友協会で「ベートーヴェンの散歩道」と称する音楽祭が開催されるのを発見、スケジュールを見ると垂涎の演奏会が目白押しの中で、特に5月2日はマチネにウィーンフィル、ソアレにベルリンフィルという仰天のダブルヘッダーがありました。その前後の国立歌劇場をチェックすると、ちょうど前日の5月1日に「サロメ」の初日があり、ちょいと詰め込み過ぎとは思いましたが、これはもう行くしかないと即決しました。
ウィーンにはそれこそ30回以上は来ているのですが、前回訪れたのは2018年の出張時なのでもう8年も経ちました。オペラに合わせて旅程を組むのはなかなか難しくて、国立歌劇場の中に入るのは20年ぶり、メインの劇場でオペラを見るのは2003年の「ワルキューレ」以来になります。
元々声楽入りの曲がそんなに得意ではなく、オペラの長さも体質に合わない私にとって「サロメ」は数少ない「好きなオペラ」です。約100分という「サロメ」の上演時間が自分の中の一つの基準になっていて、これより長いオペラ(著名なオペラは大概そうですが)はその長さゆえに観ること自体が苦痛を伴うので、よほど体調を整えて臨まないと心から楽しむことができないのが正直なところ。どこでも毎シーズンやっているオペラではないので、過去はブダペスト、ロンドンでそれぞれ1回ずつ観ただけで、劇場で観るのはこれが3回目です。誰が興味あんねん、と自己ツッコミをしつつ、そういえば過去に3回以上生演をリピートで観ているオペラって(ライフワークとして追いかけている「青ひげ公の城」は除き)何かあっただろうかと記録を探してみると、「魔笛」を5回、「マイスタージンガー」、「ばらの騎士」、松村禎三「沈黙」をそれぞれ3回観ていました。どれも「サロメ」より全然長いオペラながら、家族で観に行って楽しめるというのが共通点かと(「沈黙」はまあちょっと微妙ですが)。
やっと本題、まずは音楽的なところから感想を書きますと、何といってもセバスティアン・ヴァイグレのタクトの下、オケ(ほぼウィーンフィル)の演奏が最高に良かったです。元々が弱音欠如型の指揮者であるヴァイグレは、初日ということもあってか手加減なしでオケを鳴らしまくり、ホール特有の包み込むような残響も相まってウィーンフィルの豊潤な音が常に前面に立ち、歌手勢は割りを食ったかもしれません。弦も管もさすがノーミスなうえに音色がいちいち素晴らしいので、私のようなオケフリークはどうしてもそちらに意識を引き寄せられます。2019年から読響の常任指揮者に就いているヴァイグレさん、2023年と2024年にどちらもロシアもの中心のプログラムを東京で聴いています。読響ではツボを押さえて音厚めにまとめるドイツ職人の手腕を大いに発揮しつつも、野心や冒険はなく、キャリア的にすでに余生を送っているような達観モードに見えたのですが、やはりこの人は生来がオペラ指揮者であり、歌劇場では水を得た魚のようにイキイキとした音楽を導き出す、まだまだ現役バリバリだなと再認識しました。
主要キャストの歌手も総じて文句のつけようがない、素晴らしい歌唱でした。タイトルロールを歌ったロシア人ソプラノのリディア・フリードマンは、まだ30歳という若さながらも落ち着いた歌唱とエキセントリックな絶叫の両方を行き来できる技量を持ち、ちょっとクセあり系ですが恵まれた美貌もあって、サロメはハマり役と見ました。キャストでこれまで聴いたことがあったのは、ヘロデ役のゲアハルト・ジーゲルが過去3回、2006年ギーレン/南西ドイツ放送響のブダペスト公演「グレの歌」で道化クラウス役、2010年ロイヤルオペラの「サロメ」で同じヘロデ役、2016年東京・春・音楽祭の「ジークフリート」でミーメ役と、三カ国それぞれで遭遇していました。ハゲ親父の見た目からは想像つかない美声の持ち主です。あと、ヨカナーン役のトマシュ・コニエチヌイは過去5回、2010年のBBCプロムス・ファーストナイトのマーラー「千人の交響曲」、2013年のハンガリー国立歌劇場「アラベラ」でマンドリーカ役、2014年「ラインの黄金」、2016年「ジークフリート」、2017年「神々の黄昏」、いずれも東京・春・音楽祭のワーグナー・リング・シリーズでは一貫してアルベリヒ役を歌っていました。こちらも三カ国またがって聴いており、あらためて東京・春・音楽祭は第一線級の歌手を集めていたのだなということを認識しました。
「サロメ」はもちろんドイツ語の歌詞ですが、この歌劇場の手元字幕表示は日本語もあったのが非常に助かりました。大きめのフォントで文字数少なく表示された日本語字幕は、だいぶ内容を端折っているとは思いますが、表意文字中心なのでビジュアルの認識だけで速やかに意味が頭に入ってくるのが良いです。これが英語字幕だと「読む」という行為をしないと、なかなかパッと見だけでは意味がつかみにくいことが多いため、注意散漫になってしまうのが嫌で、結局字幕は捨てて舞台上に集中することになるので字幕の恩恵がありません。
フランス人舞台監督のシリル・テステによる演出は、古代イスラエルから第二次世界大戦中くらいに時代が置き換えられており、これは2010年にロイヤルオペラで見たマクヴィガー演出と同じで、まあありがちな読み換えかと思いました。ユニークだったのは、記録フィルムを撮影しているという設定で、手持ちカメラの映像がそのまま舞台後方のスクリーンにライブで大映しされていたのがまさにドームコンサートの巨大ビジョンのように、オペラグラスでも見えない細部がよく見えたので、これは良かったです。
長くカールしたブロンドヘアに純白のドレスを纏ったサロメには、髪型、衣装を寄せた少女の分身が途中出てきて踊ったり一緒に絡んだりします。少女サロメがいろいろ動いている間、サロメ本人は舞台袖のほうでじっとして歌だけ歌っているような時間も多々ありました。上演中は気づかなかったのですが(だってよく似てるんだもの)、カーテンコールの際に分身の少女は二人いたことがわかり、軽くショック。てっきり、現在の狂気のサロメと無垢なころの少女サロメを対比させ、二面性を表現する演出と思ったのですが、ことはそう単純ではなかったようです。うーむ、奥が深すぎて難しい。見せ場の「7つのヴェールの踊り」では、サロメと少女が一緒に踊るのですが、人を楽しませる踊りと言うよりも内面感情の吐露の振り付けで、しかも二人とも身体が硬そうで動きがぎこちないうえに、ダイニングテーブルの上に乗ったりするものだから、危なっかしくてヒヤヒヤしました。実際、テーブル上のホイップクリームを舐める場面で、クリームが吹っ飛んで髪にべったりとついてしまっていたのは、狙ったのではなく事故だったのかなと。
歌わない重要キャストである処刑人は、若くて目つきが鋭いラテン系のイケメン。クライマックスで、エプロンを血に染めて持ってきたヨカナーンの首は、生首ではなく顔だけの仮面になっており、しかも歌手に寄せて作り直している感じはしない、使い回し可能な汎用小道具の扱いでした。サロメがその仮面を処刑人に被せて一緒に踊ったりするのですが、これは初めて見る演出で、なるほどこれなら処刑人がイケメンの必要がありそうです。ただ、この段階でヨカナーンが自分の足で地に立っている意味は何だろうかと疑問です。また、最後は仮面を銀のトレイに乗せて、地面に置いてキスしまくるのですが、ストールからは単純によく見えないのと、それだったらやっぱり生首のインパクトには敵わないなあと感じ、この演出のコンセプトが今ひとつ理解できませんでした。徹底的に血みどろなマクヴィガー演出を、また見たくなりました…・。

ウィーンフィル/ネルソンス:渾身のパワープレイ、マーラー交響曲第3番 ― 2026/05/02 23:59

2026.05.02 Musikverein, Grosser Saal (Vienna)
Andris Nelsons / Wiener Philharmoniker
Wiebke Lehmkuhl (alt)
Damen des Singvereins der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien
Wiener Sängerknaben
1. Mahler: Symphony No. 3
この「ベートーヴェンの散歩道」音楽祭にはサイモン・ラトル、パーヴォ・ヤルヴィ、藤田真央、ロウヴァリ、パッパーノ/LSOなど多彩な顔ぶれが出演していましたが、この日のウィーンフィル&ベルリンフィル・ダブルヘッダーがおそらく一番の目玉だったかと思います。折しもゴールデンウィークなので、楽友協会のロビーには日本人の姿が目立ちました。自分自身ここへ来るのも随分久しぶりで、2012年のちょうど今ごろ、ウィーン家族旅行のついでにリンツ・ブルックナー管を聴いたのが最後です。ウィーンフィルを前回聴いたのは2017年ですが、このときの会場はコンツェルトハウスのほうでした。楽友協会ホールでウィーンフィルを聴いた機会となると、2003年のヤンソンスまで遡らないとなりません。

冒頭、9人のホルンによるユニゾンが鳴った瞬間に、もう完全に持っていかれました。滑らかで艶のある響き、豊かな音量と圧力感、それでいて決して粗くならない音。楽友協会の残響も相まって、「これぞウィーンフィル」と言いたくなる世界が、最初の一撃で現れました。金管がとにかく素晴らしかったです。トランペットのトップは若い奏者でしたが、技術的な不安など微塵も感じさせない完璧な吹奏。トロンボーンも単に豪快なだけではなく余裕をもって歌っているのがニクい。第3楽章の舞台裏からのポストホルンも見事で、終演後のカーテンコールで姿が見えなかった気がしますが、今日イチ拍手ものでした。弦もまた圧巻で、繊細極まりない弱音のコントロールから、全奏で最大音量まで達しても決して崩れない統率感まで、まさに極上のアンサンブルでした。その中でもコンサートマスターの音は突出して輝いており、アンサンブルの中から自然に浮かび上がるソロが至極でした。
ネルソンスの指揮は、師匠のヤンソンス譲りと思わせる、オーケストラに余計な細工を施すのではなく、とびきり上質な楽器を大らかに、存分に鳴らし切る方向の音楽作り。その一方で、この巨大な曲を最後まで弛緩させず、最大音量へ向かうペース配分とバランス感覚はさすがでした。特別に遅いテンポという印象はありませんでしたが、気がつくと演奏時間は優に100分を超えていました。
メゾソプラノのレームクールは2016年の東京・春・音楽祭「ジークフリート」でエルダを歌っていました。野太いが決して濁らない美声で、ホールの隅々までよく届いていました。楽友協会合唱団の女声合唱も舞台後方からオーケストラに美しく溶け込み、響きに自然な厚みを与えていました。一方のウィーン少年合唱団はオルガン前に配置。よく考えると、ウィーン少年合唱団は新婚旅行でミサを見に行ったとき以来かもしれない。今のメンバーは半分近くがアジア系の子どもたちに見え、時代の変化を感じます。対照的に女声合唱のほうはほとんど白人系でした。
全体を通して、腐すところが全く見当たらない好演。ウィーンフィルが本気で繰り出すパワープレイを真正面から浴びた感覚でした。しかし終演後のフライングブラヴォーは、もうちょっと待てないものかねえ。ネルソンスとウィーンフィルはマーラーの交響曲全曲録音を進行中で、この日もいっぱいマイクが立っていましたので、録音が発売されるならぜひ手元に置いておきたいです。
ベルリンフィル/ペトレンコ/G.カピュソン:引き締まった至高のアンサンブル ― 2026/05/02 23:59

2026.05.02 Musikverein, Grosser Saal (Vienna)
Kirill Petrenko / Berliner Philharmoniker
Gautier Capuçon (cello-2)
1. Stravinsky: Pulcinella Suite
2. Tchaikovsky: Variations on a Rococo Theme
3. Beethoven: Symphony No. 2 in D major, op. 36
同じ日にウィーンフィルとベルリンフィルを連続して、しかも楽友協会で聴くという究極のダブルヘッダー。マチネのマーラー3番がウィーンフィル渾身のパワープレイだとすれば、こちらは引き締まった編成と機能性で聴かせるプログラム。ベルリンフィルは前日の5月1日にエステルハージ宮(アイゼンシュタット)のハイドン・ホールで恒例のヨーロッパ・コンサートを行っており、その勢いのままウィーンへ乗り込んできた形になります。何より、ようやくペトレンコ指揮の新生ベルリンフィルを生で聴けるのが嬉しい。
1曲目「プルチネッラ」組曲は、好きな曲ですが実演で聴ける機会が珍しく、2年前のパシフィックフィル東京でようやく聴けて以来ですが、まさかベルリンフィルで聴けることになるとは夢にも思わず。オーボエ、フルート、ファゴット、ホルンが各2、トランペットとトロンボーンが各1にヴァイオリン3プルトの弦五部というミニマムな2管編成は、アンサンブルの精度は言うまでもなく、磨き抜かれたベルリンフィルの上澄みだけを掬い取ったような極上シルキーの響き。管楽器のソロは一つ一つが驚くほど巧く、フレーズの仕舞い方、音の立ち上がり、ちょっとしたニュアンスまでいちいち神経が行き届いており、小編成だからこそ個々の技量が際立っていました。ただ、トップ奏者の上澄みだけで勝負するなら他の一流オケもそこそこ負けていない気はするので、この段階ではまだ「ペトレンコの仕事」がどこにあるのかは掴みきれず。
続く「ロココ変奏曲」ではヴァイオリンが4プルトに少し増えました。チェロ独奏のゴーティエ・カピュソンは、著名なヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニスト、ルノー・カピュソンの6歳下の弟。ルノーは2012年にロンドンで一度聴いていますが、ゴーティエは初めてです。見るからに伊達男然としたイケメンですが、外見だけではもちろん終わりません。チェロの音色が素晴らしいうえに、舞台後方のバルコニー席にも驚くほどよく届きました。繊細に歌う瞬間から、芯の強いフレーズを大きく描く場面まで、変幻自在の表現力。最前列にいた母子連れが、幸福そうな笑みを浮かべながら食い入るように見つめていたのが印象的でした。まさに色気ダダ漏れの「女殺し」チェロ。

アンコールではベルリンフィルのチェリスト4人を従え、祈りを思わせる静かな小品を演奏。スマホの翻訳機能を使ってたどたどしくドイツ語で曲の説明をしていたのですが、もちろん聞き取れず。前日のヨーロッパ・コンサートと同じだとすれば、カタルーニャ民謡「エル・カント・デル・オセルス」をパブロ・カザルスがチェロ合奏用に編曲したバージョンのようです。なおアンコールの最中にパルテレ席で倒れた人が出て、6人がかりほどで運び出される騒ぎがあってちょっと騒然としました。
後半のベートーヴェンではヴァイオリンが5プルトと、編成が徐々に増えました。以前一度だけ本拠地のフィルハーモニーでベルリンフィルを聴いた際の演目が同じ交響曲第2番で、不思議と縁があります。演奏は実にキビキビとして質実剛健。高速テンポでも全く乱れないベルリン・フィルの弦の強さを堪能しました。ピリオド奏法寄りではないものの、贅肉を徹底的に削ぎ落としたスマートなベートーヴェン。この曲でようやくティンパニが登場。若い奏者が手巻き式の楽器を硬いウッドのバチで鋭く叩き込む、その音が実に痛快でした。
見る限り、ペトレンコは終始にこやかな表情で指揮をしているのですが、そこから出てくる音楽は極めてストイック。どこか鬼軍曹のような緊張感があり、オーケストラを一切緩ませない凄みを感じました。今年の1月には、今日のプログラムとは対極とも言えるマーラー「千人の交響曲」を取り上げていて、一体どんな演奏だったのだろうかと非常に気になっております…。夏にはBBCプロムスに出演するので、ロンドンでまた聴ける機会を楽しみにしております。


ロンドン響/パッパーノ/コジュヒン(p):鎮魂、不安、悲愴の時代 ― 2026/05/10 23:59

2026.05.10 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra & Chorus
Denis Kozhukhin (piano-2)
1. Britten: Sinfonia da requiem
2. Bernstein: The Age of Anxiety (Symphony No 2) for piano and orchestra
3. Tchaikovsky: Symphony No 6, ‘Pathétique’
「交響曲」が3つ並ぶ、何とも暗くて重いプログラムです。最初の「鎮魂交響曲」は、皇紀2600年奉祝曲として日本政府から当時の友好国に向けて発注された委嘱作品になるはずが、様々な理由によりお蔵入りしてしまった曰く付きの曲です。前回実演を聞いたのはちょうど10年前、2016年のインバル/都響で、あらためて気づいたのですがこのときのメイン曲はバーンスタインの交響曲第3番「カディッシュ」でした。ブリテンとバーンスタインのカップリングは今日の演奏会と同じですが、まあこれは単なる偶然かと。さて本日のパッパーノ指揮による「鎮魂交響曲」は、終始繊細かつ大胆でドラマチックな演出が施された、激しいレクイエムでした。フィルハーモニアのアンディ・スミスさん引退後にロンドンのクセ強ティンパニストといったらこの人、ナイジェル・トーマスさんが両手で叩き込むティンパニは相変わらず説得力のある良い音でした。しかしこの曲、編成も大きいしかなりの難曲なので、一定以上のクオリティで演奏するのは作曲された当時の日本のオケに可能だったのかどうか。結局皇紀2600年奉祝曲としては演奏されず、日本初演は戦後1956年になってから、ブリテン本人がN響に客演しての機会だったというのが意味深です。
続くバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」は、実質的にはピアノ協奏曲として扱われますが、バーンスタインの交響曲に共通する傾向として、彼のミュージカル作品から期待される明るいエンターテインメントからほど遠い、クソ真面目に小難しく地味な曲というイメージが拭えません。特にこの曲は普通の三管編成でそんなに大規模ではなく、意外にもサキソフォーンが先のブリテンでは使われていたのにこちらのバーンスタインでは排除されているという不思議。前回実演を聴いたのは2018年のヴォルコフ/読響、ピアノは河村尚子でした。今日の演奏会、元々はイタリア人のベアトリーチェ・ラナがソリストとしてアナウンスされていたものの、妊娠・出産のため代役でロシア人のデニス・コジュヒンの登場となりました。コジュヒンはちょうど2年前に沖澤/N響の演奏会でラヴェルの「左手のための協奏曲」を聴いていますが、左手の技術が非常に卓越しているのはわかりました(笑)。やっと聴ける両手でのヴィルトゥオーソ演奏はいががなものかと期待したところ、ピアノコンチェルト的性格が強いとは言え派手な見せ場があるわけでもないこの曲で、前面に飛び出ることなくオケと一体化しつつも、ピアノソロの役割を過不足なく果たすかっちりとしたピアノでした。もちろんこれはパッパーノとの競作でもありますし、他の曲だったらどうかわからないのですが、色がないけど安定感は抜群の、音楽家に信頼される音楽家、という感じがしました。終盤に突然ジャズが乱入してくる「仮面舞踏会」は、全然ノリノリではなく、オケもピアノもあえてジャジーな雰囲気を封印し、まるでショスタコーヴィチのスケルツォ楽章のような諧謔性だけ残したように聴こえましたので、ジャズができなかったのではなく、やらなかったのだと理解しました。最後に向けてオケを解放し慣らし切ったパッパーノとLSO、苦悩から始まり救いで終わる充実感を十分に味わえました。コジュヒンのアンコールもやはり地味な曲で、この曲はもしや2年前と同じ曲ではと思ったら、やっぱり同じくチャイコフスキーの「教会にて」という小品でした。よほどのお気に入りなのでしょう。
なお余談ですが、コジュヒンは楽譜にタブレットを使用していました。10年くらい前から特にピアニストで紙の代わりにタブレットを使う人がちらほら増えてきたように思いますが(他のソリストはそもそも暗譜が多い)、一方で指揮者やオケの各奏者でタブレットを見ることはまだなく、電子化までの道のりはなかなか遠いように思いました。いずれは電子化されるとは思いますが、その時はもはやタブレットではなくスマートグラス、あるいは今では想像つかない革新デバイスになっちゃうのかもしれません。
前半の2曲がどちらも暗く陰々滅々と始まり、最後は救いで終わるのに対し、本日のメイン「悲愴」はそのパターンを裏切るチャレンジングな曲(だった、少なくとも作曲当時は)と言えるでしょうか。先の第4番を聴いたときにも感じたのですが、パッパーノのチャイコフスキーはかつてのベルカント的でメランコリックなアプローチが影を潜め、かといって即物的とまでは言いにくい中庸寄りの「いい感じ」な進行になっています。湿度の高い粘りを見せるでもなく、第3楽章までは淡々キビキビと進み、そこにクライマックスを持ってくるかのような造形は、まさに前半の2曲の進行をなぞるような感じになっていて、馬力抜群で機能的なLSOの演奏と相まって大いに盛り上がったのですが、これは危ないぞと思っていたら、案の定、第4楽章が始まる前に拍手とブラヴォー。やはりこの箇所で緊張感を保ったまま継続するのは至難の技のようですが、それにしてもブラヴォーは要らんぞ。気を取り直して開始した最終楽章、ここでパッパーノは突然ギアチェンジして、思い入れたっぷりにきめ細かくフレーズを紡いでいきます。テンポは相変わらず速めですが、歌わせ方がいちいち濃い。ダイナミクスも気にせず、弱音なしで泣きを入れてきます。第3楽章がクライマックスと見せかけて、第4楽章で別世界の極限を見せる、なかなか面白いアプローチだと思いました。死を暗示する終盤近くの銅鑼の弱い一撃、ベテランのニール・パーシーが絶妙の音量、タイミングで鳴らしたのも非常に良い感じでした(たった一発だけの出番ですが、銅鑼という楽器の特性もあり、これとっても難しいんですよ)。
パッパーノの「マカロニ・チャイコ」シリーズと私が勝手に呼んでいる後期交響曲の連続演奏会は、13年前には4番、5番を聴けてこの第6番だけ聴き逃したのですが、今シーズンはすでに第4番を聴いたので、あとは来シーズンの第5番を残すのみです。ただ、他の演奏会と日程が被っていたりして、さてどうしたもんかと思案中です。
PROMS 2026 ブッキング ― 2026/05/16 23:59
BBCプロムスのチケット購入バトルを久々に体験しましたので記録として残してきます。システムは以前と変わらず、スケジュールが公開されたら(今年は4/21)買いたいチケットのランクと枚数をProms Plannerにあらかじめ入力しておき、販売開始以降にそのデータからスムースに購入を進める、というものです。ただし、チケット代が昔と比べると鬼のように値上がりしており、音響最悪クソホール(失礼)のくせに、格安で聴ける席がもはや存在しません…。
販売開始は5月16日土曜日の9時からだったのですが、8時15分までは準備のためサイトがクローズ、8時15分から「Holding Room」が開くのでそこで待機して、9時ジャストになったら「Waiting Room」へ自動的に導かれる、ただし順番は先着順ではなく抽選で決まる、ということでした。まず、8時15分になってアルバートホールのサイトをクリックしても同じ「準備のためサイトがクローズ」警告ページが出るだけで、何度押してもダメ。結局、Waiting Roomに入るために何度もクリックを繰り返していた昔と状況は変わらず、8時32分にようやくHolding Roomに繋がりました。そこから28分待ってWaiting Roomに移行し、待ち時間が表示されるのですが、12600人超のキュー、more than one hourと出ました…。ウヒョーとのけ反りましたが、後から入った人はキューの最後から並ぶ、とも書いてあったためサイトに繋ぎ直すという手もなく、一般人として最大限努力した結果がこれなら、待つより他ありません。
過去、2010〜2012年にかけてプロムスチケットのブッキング状況をブログに残していたのでそれを見返すと、当時も販売開始時刻からマウスクリックを繰り返していましたが、遅くとも10分以内にはWaiting Roomに繋がっていましたし、そこからのキューもせいぜい1000〜1500人くらいのレベルだったので、30分以内には購入が完了していました。それが今回、キューは9時前から待機していたにも関わらず10倍に伸びているし、チケット購入までたどり着いたのも結局10時30分でしたので、最初の列順を決める抽選で運が悪くほとんど最下位だったのか、それともこの15年の間に何か大きな変化点があったのか…。
・プロムス人気が昨今爆発的に増大した?(でも今年は正直去年より見劣りするラインナップだしな〜)
・AIボットによる高速チケット購入メソッドが存在し、それを使うのが当たり前になっている?(う〜む、だったら太刀打ちできない…)
・Holding Roomのシステムが機能していない?(サイトが落ちたりはしなかったので、まあ現状でこれが最善なんでしょうけど)
・単に今年は運気が最悪だっただけ?(そうかもしれないが、来年はましになる保証は何もない…)
全体的にチケットが高く、このホールの演奏会にそんな大枚をはたきたくないので、今回はラストナイトの抽選に参加できる最低条件の5回の演奏会に厳選し、それは何とか確保できたので良かったのですが、高人気が予想された演奏会は希望通りのチケットが取れず、2ランクも上の席になってしまいました。まあ、チートもハックもなしで正攻法で挑んだ結果がこれなので仕方がありませんし、今後も状況が改善されることはないでしょうから、プロムスはお祭りだからこんなもの、と諦めるしかありませんね。
ロンドン響/ラトル/クロウ(s):マーラー交響曲第4番と、4つの最後の歌 ― 2026/05/21 23:59

2026.05.21 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
Lucy Crowe (soprano-2,3)
1. Roberto Gerhard: Symphony No 3, ‘Collages’ for orchestra and tape
2. Richard Strauss: Four Last Songs
3. Mahler: Symphony No 4
マーラーとシュトラウスの親和性は言うまでもありませんが、それにスペインのロベルト・ジェラールを組み合わせたプログラムは何とも不思議な感じです。そのジェラールですが、実は不勉強ながら初めて聞く名前で、作品も全く知りませんでした。年代で言うと、同い年の作曲がいなくて、ヒンデミットの一つ下、コルンゴルドの一つ上という生年なので、世代的に現代音楽作曲家のカテゴリーとは言えない人なのですが、曲は全くの、典型的と言ってもよい「現代音楽」でした。元々はカタルーニャ出身のスペイン国民楽派としてアルベニス、グラナドス、ファリャのフォロワーとしての道を歩んでいながら、シェーンベルクに弟子入りして以降、時代のトレンドも相まって前衛的な作風に傾倒していったそうです。この短い単一楽章の交響曲も「テープ音楽」としては最初期の1960年に書かれた先駆的な作品で、大管弦楽との組み合わせは珍しいです。見ていると、今どきのテープ音楽は、打楽器奏者の一人が楽譜をめくりつつMacBookで音源を制御するんですね。他の打楽器奏者はというと、目を引くのがシロフォン、マリンバの4台の木琴に加えて、小ぶりの和太鼓が2つ。しかしこの和太鼓、特に日本風、アジア風リズムを刻むでもなく(そもそも撥を使ってないし)、素直にタム(トムトム)でいいんじゃね?と思うような使い方でした。あとはティンパニが気持ち悪いくらいにグリッサンドを使いまくり、普段からペダルワークを必要以上に駆使する芸風のナイジェル・トーマスさんは嬉々として技を披露していました。
とにかく、この曲に馴染みもなく造詣も深くない私としては、1960年作曲と聞いて、ああなるほどね、と思うようないかにもその時代のゲンダイオンガクのイメージを裏切らない、不協和音と極端なクレッシェンド(減衰の逆、うーむ、専門用語がわからない)のてんこ盛り音楽に聴こえました。もちろん私にも、この時代の現代音楽の中で気に入って何度も聴きたくなる曲とそうでない曲があり、私の場合は好みが大抵邦人作品に偏っています。何でだろうと考えてみると、日本人だから単純に邦人作品に接する機会が多いという理由も大きいと思いますが、再び聴きたくなる曲にはそういう感情を呼び起こす「官能」があり、自分にとってそれは多くの邦人作品が根底に持っている日本的、アジア的なセンスに惹かれるからではないか、という仮説に辿り着きました。そういう意味では、ジェラールのこの曲に、自分にとっての官能は感じなかったです。
続くリヒャルト・シュトラウスの最晩年の名曲「4つの最後の歌」は、長らく実演で聴いた記憶がないので備忘録に当たってみると、21年前の2005年にアシュケナージ/N響のブダペスト公演(ソプラノはソイレ・イソコスキ)で聴いて以来でした。備忘録にもこの曲の感想は書いておらず、全く忘却の彼方です…。本日のソプラノ独唱ルーシー・クロウは、2009年のロイヤルオペラ「ばらの騎士」でゾフィー役を歌ったのを観て以来、こちらも17年ものインターバルです。余談ながら、何とこのときの「ばらの騎士」ではイソコスキが元帥夫人を歌っていたのは意味深で、さらには指揮が後にラトルからベルリンフィルの音楽監督を引き継ぐことになるキリル・ペトレンコという、何か因縁を感じてしまう偶然…。それはともかく、当時の感想では「歌が初々しい上に仕草もかわいらしく」と書いていましたが、当時はまだ30歳そこそこの新鋭スター候補ですから、さもありなん。現在のクロウは、だいぶ貫禄がついてはいるものの美貌は健在で、その美声と、しっかりとした硬派な歌唱はたいへん磨きがかかったものでした。ベテランの懐深さというか、曲を身体の一部にするくらい歌い込んだ熟練を感じました。今日はバルコニーのステージから遠い席で、やはり歌の空気振動がオケのそれほどまでにはここに届いて来ないのが悔やまれました。
メインの交響曲第4番は、マーラーの中でもベスト3に入る好きな曲なのですが、実演で聴くのは10年ぶり。さらに遡ると、2011年に同じここバービカンホールで、ラトル/ベルリンフィルの演奏を聴いています。そのときの演奏はBBC Radio 3で放送されていたのでエアチェック音源が手元に残っており、比較ができるのですが、まず冒頭の鈴がインテンポをキープし、軽くリタルダンドする木管・弦と合わなくなったところで鳴らすのを止めるのは同じアプローチながら、そのあとのテンポがずいぶんと高速になりました。「中庸の速さで、速すぎずに」というマーラーの指示はマル無視するかのよう。しかし譜面台を立てず暗譜で指揮するラトルは当然この曲を完全に手中に収めていますので、自信を持って揺らぎなくサクサクと、音楽の奔流をシームレスに描いていきます。ここでちょっと後悔したのは、予習にと思って先のベルリンフィルの音源を聴きすぎたせいで、それと比べてしまうと、目の前のLSOのちょっとざらつく音がどうしても気になってしまいました。もちろんLSOだって超一流のオケなのですが、個人技もアンサンブルも完璧で極上シルキーなベルリンフィルが比較対象だとやはり分が悪いです。そうは言っても木管、特にオーボエはいつもにも増して気合が入っており、たいへん素晴らしい仕上がりでした。
終楽章で緑のドレスに着替えて再登場したクロウは、先のシュトラウスとは違い楽譜を持ちながらの歌唱。指揮者と独唱者が楽譜を見るか見ないかのパターンが、シュトラウスとマーラーで逆になっていたのが興味深かったです。とは言え、クロウはマーラーに自信がないということではなく(慣れてはいないのかもしれませんが)、シュトラウスのときにも引けを取らない、隙のない安定した歌唱で、表情を含め、感情の乗せ方も説得力があり良かったです。10年以上のインターバルを置いて再びロンドンで演奏会通いをする機会に恵まれ、かつては新興勢力の若手だった人がこうやってベテランの域に達し堂々とした熟練を見せてくれるのは、何とも嬉しいと同時に、嗚呼、時間は躊躇なく流れていくのだなと、しみじみ思います…。

ロンドン響/ラトル/カンペ(s)/デション(ms):「神々の黄昏」ハイライト ― 2026/05/24 23:59

2026.05.24 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
Anja Kampe (Brünnhilde/soprano-2,5)
Elizabeth DeShong (Waltraute/mezzo-soprano-2)
1. Wagner: ‘Götterdämmerung’ - Dawn and Siegfried’s Rhine Journey (Prologue)
2. Wagner: ‘Götterdämmerung’ - Waltraute’s Plea to Brünnhilde (Act 1, scene 3)
3. Wagner: Siegfried Idyll
4. Wagner: ‘Götterdämmerung’ - Funeral Music (Act 3, scene 2)
5. Wagner: ‘Götterdämmerung’ - Immolation Scene (Act 3, scene 3)
サー・サイモンはLSOの音楽監督を退任後も終身名誉指揮者として毎シーズン客演してくれて、ありきたりではなく概ね私好みのコンセプト志向プログラムをいくつも披露してくれるので、そのチャンスはできるだけ逃すまいと追いかけていますが、今日のワーグナーはあまり得意分野ではないのでだいぶ躊躇したあげく、バンクホリデーの週末に特に他にやることもなく、結局聴きにいくことにしました。
「ニーベルングの指輪」の最終夜「神々の黄昏」は過去に2回、2007年のハンガリー国立歌劇場、2017年の東京・春・音楽祭(演奏会形式)で観ています。「リング」シリーズは単発でつまみ食いしてもあまり面白くなくて、どうせ観るならやっぱり4作通して見たいので、個々の楽劇の長さ以上に、体力の消耗を覚悟しなければならない仕事になりますねー。そんな中、ワーグナー名曲集、リング・ハイライトのようなプログラムは世の中にありがちですが、今日のようにがっつりと「神々の黄昏」にフォーカスしたプログラムはなかなか貴重です。「夜明けとジークフリートのラインへの旅」「ブリュンヒルデとヴァルトラウテの対話」「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲」といったオペラの主要場面を抽出し、間には箸休めのように「ジークフリート牧歌」を置く、ある意味ゴージャスなプログラム。
ソプラノのアニヤ・カンペは、58歳になる今でも現役バリベリのブリュンヒルデ歌手で活躍中だそうです。2011年のロイヤルオペラ「さまよえるオランダ人」のゼンダ役で一度だけ聴いていますが、備忘録を辿ると、恰幅の良い美人顔で、狂気の歌唱がインパクト大だったとの記録でした(すっかり忘れていました…)。15年の歳月が経って現在の見た目はすっかりスリムで、だいぶイメージが違いました。ちょっといただけないなと思ったのは、メガネをかけてらしたこと。演奏会形式だから問題ないと言えばそうなのですが、メガネで歌うオペラ歌手というのは、役どころの必要性がある場合を除き、やはりかなり違和感を覚えました。楽譜を立てていたのでメガネがないと見えない、という事情は理解するものの、現役バリバリのブリュンヒルデなんだから楽譜要らなくね?という素朴な疑問もよぎり。そういう瑣末なことが気になってしまうのは、今日の席の選択を間違えたことに起因します。とにかく聴ければよいかと思ってバルコニーの最後列というステージから一番遠い、歌物を聴くには全く適していない席を選んでしまったのが敗因でした。ともすればオケにかき消されてしまうくらいに声が届きにくい距離で、それでも断片的ながらこれだけ鋭く聴こえたのだから、おそらくストールの正面で聴いていたら、その現役ブリュンヒルデの圧巻の歌唱に大満足だったことでしょう。今後の教訓にします(でも喉元過ぎれば熱さを忘れ、また後悔するんだよなー)。
一方、ヴァルトラウテのエリザベス・デションは初めて聴く人ですが、メゾソプラノという音域もあって、こっちのほうがまだよく声が届いていました。こちらはいかにもワーグナー歌手の恰幅で(失礼)、ただよく見ると太っているわけではなく、カンペと横幅はさほど変わらず、引き締まったがっしり系という感じでした。こちらも歌唱は正々堂々として感情豊かなヴァルトラウテで、ストール正面で聴きたかったところです。
本日一番の期待は、おそらく普段のレパートリーにはないであろう「神々の黄昏」の特にフィナーレで、LSOがどれだけの馬力を振り絞り、圧巻の音響空間を満たしてくれるのか、ということでしたが、期待ほどにはオケがピリッとしていませんでした。先日のマーラー4番のときから感じているのですが、金管特にホルンがどうも不安定になりがちで、結果として演奏の思い切りがわるくなり、音圧が上がりきらない中、弦の美しさで何とか乗り切ったという感じでした。
話を遡りますが、休憩後の「ジークフリート牧歌」、有名な曲ですが実演で聴くのは初めてでした。ワーグナーが二番目の奥さんになるコジマの誕生日サプライズで自宅で演奏するために作曲した小編成の曲。フルオーケストラのレパートリーとしてはなかなかプログラムに入れにくい曲でしょう。演奏はLSOの精鋭トップ奏者13人(Fl、Ob、Cl 2、Fg、Hr 2、Tp、弦各1)による精緻なアンサンブル、と言いたかったところですが、ここでもホルンが足を引っ張り、これで明確に、本日ピリッとしない原因がホルンにあると確信しました。
サイモン・フィリップス・プロトコル6@ロニー・スコッツ ― 2026/05/26 23:59

2026.05.26 Ronnie Scott’s Jazz Club, Main Club (London)
Simon Phillips & Protocol 6
Simon Phillips (drums)
Phillip Whack (saxes)
Alex Sill (guitars)
Otmaro Ruiz (piano/keyboards)
Ernest Tibbs (electric bass)
初のロニー・スコッツ。有名なジャズクラブですが、前回の駐在時にも一度行きたいと思いつつ結局機会がありませんでした。場所はロンドンの中心地、Soho。讃岐うどん「Koya」と同じ並びだったのを、現地に来てみて「ああ、ここだったか」と思い出しました。
5月なのに34℃超の記録更新猛暑の中、勝手がわからないのでとりあえず開場時間の15分前に到着してみたら、店の前にはすでに30人くらいの行列。ここから着席までさらに30分くらいかかりました。配席は当日決まるシステムみたいですが、先着順でより良い席、ということでもなく、グループの人数も考慮しつつ、その日のフロアチーフの独断で決められていくようです。今回は最初ということもありPriority席にしたのが功を奏し、案内されたのはドラム真正面の席。しかもステージかぶりつきではなく、ひとテーブル分置いて距離があったので、むしろ近すぎずにドラムを堪能できる席で良かったです。あまり近すぎるとドラムの生音が耳を直撃して他の楽器が聴こえなくなってしまうのですが、演奏全体を自分にとってちょうど良いバランス(ドラム近め)で楽しめる位置でした。

場内はまさに古い高級ジャズクラブの雰囲気。キャパはブルーノート東京とコットンクラブの中間くらいでしょうか。見渡すと、ロンドンのジャズクラブ界隈の客層は比較的年齢が高めで、ほぼ白人。男性客が多かったのはドラマー中心のバンドだからですかね。

サイモン・フィリップスを生で観るのは今回が初めてです。自分の同時代体験で言うとやはりマイケル・シェンカー・グループのファーストアルバムが最初の衝撃で、しかしこの人は基本メタルではなく、ジェフ・ベック、ミック・ジャガー、TOTOなどでのプレイの傍ら、ロック寄りではあるがフュージョン、ジャズなんでもござれのセッションドラマーとして長年第一線を走ってきた今やレジェンドで、そのドラミングを何度もコピーしたことがありますし、ドラムのスタイルで学ぶ点が非常に多いです。
普段からタムもバスドラも多めのサイモンのドラムセットはTAMA製で、思ったよりもコンパクトに配置されていました。ストレートではあるがシンプルではなく、多彩な音色を駆使するサイモン仕様は、得意なツインバスの上に、メロタムが10個(一番大きいのはフロアタムより大きい…)、シンバルも多数ある中で、ライドシンバルが左側に置かれていたのに違和感。それで、演奏が始まってようやく気づいたのですが、サイモンは左右の手がスネアの上でクロスしないオープンハンドスタイルのドラマーだったんですね。自分はあまり教則ビデオを見ないし、サイモンがクロスかオープンかなんて考えたこともなかったので、生で見る初サイモンのナチュラルかつ機能美を感じさせるオープンハンドのフォームが非常に新鮮でした。
今回は、サイモンが1989年から続けている自身のソロ・プロジェクト「Protocol」の第6弾ですが、「Protocol 6」のアルバムは6月発売予定でまだ世に出ていないので、このツアーで披露されるのが初出になります。エイトビートのノリの楽曲が中心ですが、曲ごとに16ビートやラテンなど多彩な味付けが加わり、アクセントになっています。意外に小柄なサイモンの身体から叩き出されるビートは、ツーバスを多用し、メタラーを思わせる完全にラウド系のドラム。ただパワフルなだけではなくて、リズムの体幹が揺るぎなく安定しており、アタックの効いた鋭い音に、ぶれないバランスと、生き生きとしたグルーヴ。打ち込みも少し使っていましたが、イヤモニを着けている様子はなく、自分のリズム感に絶対の自信がないとできない芸当です。フィルインやドラムソロではラウド系にあるまじき小技を詰め込み、圧巻のドラミングに圧倒されました。変態的なことは何もしておらず、パターン、フレーズは至って基本に忠実。ただその一つ一つが恐ろしく完璧で確実です。69歳という年齢を考えるともっと枯れていても不思議ではありませんが、若いころと変わらぬ路線で突き通すパワープレイは驚異的な生命力を感じさせました。
「Protocol 6」の他のメンバーは、黒人白人二人ずつ、出身も英国、米国、ベネズエラ、女性はいないものの年齢はバラバラで、多様性があります。ベースのアーネスト・ティブスは「Protocol II」からずっと参加していますが、サックスを除く他メンバーは「Protocol V」からの参加です。しかしメンバーが誰であれ、このプロジェクトがサイモン中心であることは明確で(実際、最初のProtocolはサイモンが全楽器を担当)、皆サイモンという大きな船に乗っかっており、決してはみ出さないし、戦わない。サイモンのハイテクパワードラムを存分に堪能できただけでもう十分お腹いっぱいの夜でした。
デイヴ・ウェックル&トム・ケネディ・プロジェクト@ロニー・スコッツ ― 2026/05/27 23:59

2026.05.27 Ronnie Scott’s Jazz Club, Main Club (London)
The Dave Weckl/Tom Kennedy Project
Dave Weckl (drums)
Tom Kennedy (electric bass)
Ryan Davlin (tenor sax)
Stu Mindeman (keyboards)
昨日に続き、二夜連続でロニー・スコッツ。今日は欧州ツアー中のデイヴ・ウェックル&トム・ケネディのプロジェクトです。昨今のジャズ・シーンなど全く知識がない私にとって、心を引き寄せられたのがまずはドラマーのプロジェクトでしたので、たまたまサイモン・フィリップスとデイヴ・ウェックルというレジェンドが続いてしまったおかけで連チャンになってしまいました。サイモンが「ストレートな凄腕ラウド系」だとすれば、デイヴ・ウェックルはまさに「異星から来た、人間を超えたハイテク手数系」ドラマー。ちょっとでも隙間があれば高精細な変態的フレーズのオカズで埋めていき、なおかつ音楽としてセンス良く成立させるバランス感覚を備えた、サイモンとは全くタイプの違うジャズ・ドラマーです。過去に一度だけそのプレイを見たのは2004年、真夏の盛りのブダペストで、チック・コリア・エレクトリック・バンドのオールスタンディングライブでした。
今回はPriorityではなくStandardの席を試してみました(というかPriorityは売切れ…)。昨日の経験から10分早めに到着したものの、入場の列はさほど変わらず、やはり着席できたのは17時45分頃。案内された席がやや後方なのはまあ仕方がないのですが、ちょうど柱がドラムセットに被る位置でドラマーの姿が見えにくく、がっかりしました。会場内には他にも柱はあるものの、ステージを遮るような柱はこの1本だけで、自分で選べるなら(特にドラムが目当ての自分にとっては)絶対に選ばないエリアの席です。実際、ドラムはほぼ全身がスポッと柱の影に入ってしまい、演奏中に辛うじて見えたのがドラマーの左手首から先だけというたいへん残念な状況。今後ここに来る際は何としてもこの邪魔な柱を回避したく、そうすると基本はPriority席を買うのかなと思いました。あとは入場する際の配席担当者にダメ元で希望を言ってみるとか。

ベースのトム・ケネディは、初めて見ますが、長身の眼鏡姿が頼もしさを感じさせるナイスミドル。ウェックルとは90年代から組んで、ずっと一緒にプレイしている相性抜群の盟友です。スラップはやらないものの、こちらもかなりの手数系と言えそうです。今日のセットリストは、5月に出たばかりのケネディ自身の新作リードアルバム「The Summit」と、彼の過去作からの選曲が中心。名義こそウェックルを前面に出したプロジェクトながら、実質的なバンドリーダーはケネディだと見ました。演奏した曲はどれ一つ音源を持っておらず、知らない曲だったのですが、曲を知らないのがむしろデフォルトで、それでも十分楽しめるのがジャズライブの良いところだと改めて感じました。

そもそも今回の目的は「デイヴ・ウェックルの生プレイを見ること」。その意味では「見る」ことは満足できなかったものの、生演奏の音は堪能できました。ドラムセットはヤマハ製で、ラックで固定された比較的オーソドックスなジャズドラムの構成。打ち込みはなかったと思うのですが、ミキサーがあり、本人もイヤモニをしていたので、モニタの返し、兼、耳の保護もあったのではないかと。それにしてもやはりウェックルは凄かったの一言です。圧倒的なドラムプレイと千手観音のドラムソロは66歳になった今も健在。基本パターンの際は昔よりも多少大人しくなった気もしましたが、無理筋なオカズをしれっと突然詰め込んで、リズムは一切ブレることなく通り過ぎるその安定感よ。単に音数が多いだけでなく、片手だけで高速タム回しをやってみたり、誰もやらないようなフレーズのアイデアがいちいちカッコ良い。センスがぶっ飛んでるので、長年のパートナー、ケネディですら時々合わせ損ねる場面もありました。そして、異次元のドラムソロはもう言葉もありません。恐ろしいのは、これだけメチャクチャ叩きまくって、まだまだ余力を残しているような余裕が感じられること。しかし、無駄な動きが少なく身体的な動作は非常にコンパクトなので、柱の影からはやっぱり左手の手首から先しか見えないという恨み節…。とにかく今日は席が最悪だったので、ウェックルにはどんな企画でもいいからまた近いうちに来てくれないかな、と思うものであります。
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