ハーディング/新日フィル:さよならは「千人の交響曲」2016/07/01 23:59

2016.07.01 すみだトリフォニーホール (東京)
Daniel Harding / 新日本フィルハーモニー交響楽団
Emily Magee (soprano/罪深き女)
Juliane Banse (soprano/懺悔する女)
市原愛 (soprano/栄光の聖母)
加納悦子 (alto/サマリアの女)
中島郁子 (alto/エジプトのマリア)
Simon O'Neill (tenor/マリア崇敬の博士)
Michael Nagy (baritone/法悦の教父)
Shenyang (bass/瞑想する教父)
栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊
1. マーラー: 交響曲第8番変ホ長調 『千人の交響曲』

2010年から新日フィルのミュージックパートナーを務めていたハーディングの、契約最後の演奏会はビッグイベントにふさわしく「千人の交響曲」ということになりました。ところが、来日直前にウィーンフィル欧州ツアーの代役指揮(ダニエレ・ガッティの病欠)を引き受けたため、6/28のフィレンツェ公演を振った後にギリギリの来日という強行スケジュールになり、当然予定されていたリハは吹っ飛んで、特に初日の今日はほとんどぶっつけ本番のような状態でこの大曲に臨むことになったそうな。まあ、何はともあれキャンセルじゃなくてよかったです。

ハーディングの最後の勇姿ということで、普段は空席が目立つ金曜日の公演ながら、客席はほぼ満員。舞台上はと言うと、オケがバンダも含めて約120人、合唱はざっと女声90人、男声60人、児童50人の合計200人ほどで、指揮者、独唱、オルガンを合わせても総勢330人という、私が過去にこの曲を聴いた中では最も少人数の布陣でした。このへんは解釈次第のところもあって、初演が行われた万博会場で「大宇宙」が響いたかのごとくグダグダの音響が生む比類なきスケール感を求める人もいれば、複雑なポリフォニーを立体的に「見える化」し、構造を紐解くようなマーラー演奏をする人もいる中で、今日のハーディングは明らかに後者のスタンス。第二部前半の実に抑制的なオケは、新日フィルにありがちな雑で投げやりなところがほとんどなく、いつにない集中力を持続していました。マンドリンもくっきり聴こえたし。ぶっつけ本番でこれができたのなら大したものですが、あるいはぶっつけ本番が生んだ奇跡的な集中力だったのかも。合唱団の数は、増やしたくとも増やせないステージキャパの事情もありそうですが、これ以上合唱が厚くなれば多分オケの非力がもっと気になってしまうだろうから、結果的にちょうどよいバランスだったと言えるかもしれません。

歌手陣で良かったと思えるのはマギーくらいで、あとはちょっと・・・。この中で過去聴いたことがあるのはサイモン・オニールだけでしたが、彼には調子の良いときに当たったことがなくって、図体でかい割には声に迫力がないチキンテナーという印象でした。今日も、見たところ一人だけ余裕綽々で親分風を吹かせる様子でしたが、歌の方はまだエンジンがかかっていない感じ。身体的な不調という感じはしなかったので、これはおそらく日を追うごとに調子を上げて行くのでしょうが、初日しか聴かない人だって多いんですよ・・・。

オケはもとより過大な期待していませんが、ハーディングとの共演も最後ということでいつもより気合はあったと思います。ホルン以外の金管、木管の音が汚いのにはちょいと興ざめ。ただ、合唱が入るとちょうど良い具合にオケがかき消されて溶け込んでしまうので、曲とシチュエーションに救われた感じです。来シーズンは上岡音楽監督の時代が始まりますが、プログラム的には私の好みからすると二歩も三歩も後退したので、当分新日フィルを聴きに行く予定はありません。