読響/カンブルラン/デミジェンコ(p)/エイキン(s):マーラー4番、ほか2014/04/19 23:59


2014.04.19 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Christian Ostertag (guest concertmaster)
Nikolai Demidenko (piano-2)
Laura Aikin (soprano-3)
1. シェーンベルク: 弦楽のためのワルツ
2. リスト: ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
3. マーラー: 交響曲第4番ト長調「大いなる喜びへの賛歌」

昨年末にバルトークを聴いて、ちゃんと仕事をしてるなという好印象だったカンブルランと読響。元手兵の南西ドイツ放送響からゲストコンマスを迎えたのも、自分の音楽を妥協なく響かせたいとの芸術の良心と捉えました。ところが聴き手のワタクシ自身は、土曜日のマチネで普段より寝不足ではなかったはずなのですが、溜まっていた週の疲れがどっと出て、前半戦はほとんど沈没していたという体たらく。1曲目はシェーンベルクが無調になる前のゆるキャラ小品で、こいつが一気に眠りを誘いました…。次のソリストのデミジェンコは3年前にロンドンで1度聴いていますが、あまり音が澄んでいないのに小技中心の内向きなピアノに、これまた睡魔が勝ってしまいまして…。アンコールで演奏されたメトネルの「おとぎ話」という小品が、すっかりリラックスしていて良かったです。メトネル自体を知らなかったので後で調べてみると、ロシア出身だがロンドンに移住して活躍したというのがデミジェンコと共通点なんですね。

というお恥ずかしい状況で、何とか物が言えるのはメインのマーラーだけなのですが、この日はとにかくローラ・エイキンを聴きたいがために正面席のチケットを買いました。新婚旅行のウィーンで、ほとんど人生初めてと言える本格的オペラ体験が国立歌劇場で観た「魔笛」だったのですが、そのとき「夜の女王」で拍手喝采を一手に集めていたのが、まだメジャーでは駆け出しの頃のエイキンでした。その後のエイキンが「ルル」でブレークしたのは認識していましたが、けっこう長かったヨーロッパ音楽鑑賞生活の中でも何故かニアミスすらなく、名前もほとんど忘れていたところ、今回思いがけずその名前を見つけ、これは行かねばならぬと。

カンブルランのマーラーは多分ブーレーズみたいなんだろうかと想像していたら、よく考えるとブーレーズの4番は聴いたことがなかったです。冒頭の鈴はリタルダントにつき合わずフェードアウト。その後もインテンポですいすいと進んで行きますが、弦がいちいちレガートが利いててやけに美しいです。ブーレーズと言うより、まるでカラヤン。途中フルートのユニゾンの箇所も濁りが一切なく完璧な美しさ。ユダヤの粘りなどまるで関係ない洒落た演奏でしたが、第1楽章に限って言えば、思わず拍手をしたくなったくらい、世界のどこに出しても恥ずかしくない素晴らしい演奏でした。それが第3楽章まで来ると、チューニングもけっこう乱れてきて、だんだんとグダグダになってきました。うーむ、馬力勝負の曲じゃないのに、やっぱりスタミナがないんかなあ…。弦は相変わらず統率が取れていて良いんですが、全体的にテンポの揺さぶりに着いていけず引きずってしまう箇所が散見されました。終楽章は待望のエイキン。想像よりもずっと老け顔で、だいぶ身体にも貫禄がついてきて、普通のオペラ歌手としたら全然標準でしょうけど、「ルル」をやるにはちょっともう厳しいかと。記憶に残っているような圧倒的な歌唱を期待したのですが、さすがにコロラトゥーラで売っていたころとは違い、すっかり枯れた味わいでした。調子が悪かったのかもしれませんが、高音が伸びず、声が通らないところを老獪な表現力でカバーする、という感じでした。第1楽章のテンションを維持してくれてたら、という思いがあるので後半は辛口になってしまいましたが、全体を通して良質の演奏ではあったと思います。体力が残っていたらこの後川崎に移動し、当日券狙いで東京交響楽団のマーラー9番を聴きに行こうと考えていたのですが、けっこう満足したし、身体がかなり疲れていたのでハシゴは止めました。

さて土曜日マチネの客層はシニア世代の率が非常に多かったです。それは別にいいとしても、何故あんなに演奏中に物を落とすか。あっちでカラン、こっちでバサリと、手元のおぼつかない人が多くて閉口しました。落とす可能性のあるものはバッグにしまい椅子の下に置いておく、演奏中にアメを探してバッグをまさぐらない、というのは、マナーにうるさい日本じゃなくても常識だ、と思いたいです。