ピサの斜塔はスリ注意!2012/06/02 23:59


ダイアモンドジュビリーの週末は、前述の通りフィレンツェに逃れておりました。フィレンツェもおいおい紹介するとして、まずは電車で1時間ほど行った先、ピサのことを。死ぬまでに一度は見ておかねばということで、あまりにも有名なピサの斜塔へ、レッツゴー。天気が終始曇り空だったのが痛恨です。


おー、本物だ!という感動の台詞はこいつのためにあるかのような。何百年も倒れないで立っているのが奇跡かもしれない、と実感できます。地震国日本なら、まず立ってないだろうし、イタリアだって地震がないわけではないので。

うわさに聞いていた通り、周囲は観光客だらけで、老若男女問わずみんな、塔を支えるか押し倒すかのようなポーズで写真を撮っていました。傍から見るとなかなか滑稽というかシュールというか、笑えます。






塔に登るには時間指定のチケットを買います(予約推奨)。手荷物、カバン類は、どんなに小さいものでも塔向かいのボックスオフィスがある建物の預かり所へ事前に預けることを強要されますので要注意。


塔に入ると、早速傾いている床に、平衡感覚がおかしくなります。転倒注意の看板はシャレではありません。300段くらいの階段を上って頂上へ(エレベータ無し)。


傾いている側から覗いた風景。ガリレオはこれを見ながら落下の実験をしたのでしょうか。


もうちょっと天気が良ければ、とは思いましたが、ピザの町並みはなかなかの絶景でした。

ここで一つ注意を。ピサの中央駅から斜塔含む観光中心へ行くには、駅前ロータリーの向かいに渡ったバス停からLAM rossaというバスに乗りますが(チケットはキオスクで往復分を買うか、運転手からも買えます)、このバスが非常に混み合っていて、スリのかっこうの狩場のようです。往路では運転手が最初にイタリア語と英語で「スリに気をつけてください」というアナウンスをしていました。復路ではアナウンスはなかったのですが、妻がしっかりスリに狙われまして、バスに乗り込む際、持っていたバッグのチャックを開けられ、後ろのおっさんの手がバッグの中に入っていたので、思わず引き離し、足を踏んでやったそうです。スリのおっさんは手に持っていたジャケットを妻のバッグにかぶせ、手元を隠して犯行に及んでいました。被害はなかったし、仮に何か取られていてもティッシュとかお菓子とか、金目のものは何も入れてなかったので、まあ用心が功を奏しました。妻が睨みつけると涼しい顔をして「えー何なのー」という表情でいたようですが、「スリがいるわよ!」と妻が私に言いにきた時にはまだ彼もバスの中にいましたが、その一瞬後には跡形もなく消えていて、まー逃げ足の速いこと。妻が言うに、バス停でバスを待っている間、ひまだからつい日本語の観光ガイドを読んでいたのが目を付けられた原因ではないかと。ピサに行く計画の方は、この顛末を是非参考にされてください。

フィレンツェ歌劇場/ハマル/カラナス(ms)/ゲルネ(br)/ノイズム:バルトークは日・伊・洪の架け橋2012/06/03 23:59


2012.06.03 Teatro Comunale di Firenze (Florence)
75th Festival of Maggio Musicale Fiorentino:
The Miraculous Mandarin / Bluebeard's Castle
(New production / In co-production with the Saito Kinen Festival)
Zsolt Hamar / Orchestra and Chorus of the Maggio Musicale Fiorentino
Jo Kanamori (Director and choreography)
Tsuyoshi Tane, Lina Ghotmeh, Dan Dorell (DGT) (Scenary)
Yuichi Nakajima (Costumes), Masakazu Ito, Jo Kanamori (Lighting)
Dance Company Noism
MaggioDanza

ダイアモンドジュビリーの連休はどこに逃げようかと、各地の演奏会スケジュールをつらつらと調べていて、ふと目に止まったのがフィレンツェ歌劇場のバルトーク2本立て。サイトウ・キネン・フェスティヴァルとの共同製作で指揮は小澤征爾、最前列ど真ん中の席がまだ空いている、これだ!と思って脊髄反射でチケットを買ってしまいました。ところがその後間もなく小澤征爾はキャンセル、代役はエトヴェシュ・ペーテルという連絡があり、がっかりしたのは前にも書いた通り。だいぶ後になってふと公式Webサイトを見てみたら指揮者はいつの間にかハマル・ジョルトに変更になっていて、今度は連絡もなかったし(小澤は別格として、ロンドン響やウィーンフィルを振ることもあるエトヴェシュと比べて、ハマルはさらに国際知名度がガクッと落ちますので、こっそりと変えたかったんでしょうけど)、もう何がなんやら。ハマルは以前ブダペストで一度だけ、「火刑台上のジャンヌ・ダルク」で聴いたことがあり、若くてエネルギッシュなバトン巧者という印象でしたので、食傷気味のエトヴェシュよりは、まあ良かったかと気を取り直しました。

フィレンツェ歌劇場は、正確にはフィレンツェ五月音楽祭劇場と呼ぶようです。私の理解によると、元々は毎年4〜6月に開かれるフィレンツェ五月音楽祭のために組織された楽団と合唱団、および上演会場としての劇場があって、それらは別に五月だけでなく、音楽祭の期間以外にも8月を除いてほぼ通年オペラ・バレエ・コンサートをやっているわけですが、名称は「五月音楽祭」を名乗ることで通している、ということのようです。



オペラ公演のメインで使われる箱はテアトロ・コムナーレ(市民劇場)と言います。最初の建造は1862年というから相当古い劇場ですが、外観も内装も全面 的にリファービッシュされていてそんなに古くさい感じはせず、わりとモダンで奇麗な劇場です。座席の椅子はゆったりふかふかとしていて快適でした。ステー ジもオケピットも見たところ広そうなので、ハープをサークル席ステージ寄りに置いていたのは、演出効果を狙ってのことなんでしょう。しかし上演が始まって すぐに気付いたこの劇場の問題点は、オケピットが浅いこと。台に立った指揮者の腰から上がピットからはみ出てどどんと目の前に立ちふさがり、最前列ど真ん 中の席だとほとんど指揮者の背中しか見えない(笑泣)。ここが空いていた理由がよくわかりました…。

今回のプロダクションはサイトウ・キネン・フェスティヴァルとの共同制作で、松本のほうは昨年8月に上演済み、その直後に北京と上海でも公演したようです。フィレンツェではこの今年の五月音楽祭がプレミエで、本来は5/31の初日から全3回の公演予定でしたが、雨漏りによる劇場設備の不具合のため5/31はキャンセルとなり、結局この日の6/3が初日となりました。とことんトラブル続きの演目です。正直、客入りは悪かったです。5/31の分の観客を残りの2回にある程度振り分けていたはずですが、それでもかなり空席が目立ちました。元々の通り小澤の指揮だったら、あるいはせめて音楽監督のメータが代打を引き受けていたら、多分満員御礼だったんでしょうかねえ。小澤のキャンセルはあれど、日本人が多数出演することもあって、観客には日本人らしき姿が多かったです。


1. Bartók: The Miraculous Mandarin
Sawako Iseki (Mimi, the girl), Satoshi Nakagawa (The Mandarin)
Yoshimitsu Kushida (Kuroko of Mandarin), Aiichiro Miyagawa (Mimi's stepfather)
Izumi Fujii (Mimi's stepmother), Megumi Mashimo (Mimi's stepsister)
Takuya Fujisawa (Old man), Yukio Miyahara (Student)
Emi Aoki, Ayaka Kamei, Leonardo Jin Sumita, Valeria Scalisi,
Francesca Bellone, Giorgia Calenda, Ilaria Chiaretti, Massimo Margaria,
Rivvardo Riccio, Francesco Porcelluzzi, Angelo Perfido, Duccio Brinati (Kuroko)

このプロダクションの演出および振付けは、ノイズムという新潟のダンスカンパニーを率いる、金森穣。一人でバレエとオペラの演出を両方手がけるのは、ヨーロッパではあまり聞いたことがありません。「マンダリン」のダンサーたちはノイズムの主力メンバーに加え、劇場のバレエ団MaggioDanzaが脇を支えます。幕が開いてまず、全身黒づくめの黒子がうじゃうじゃ踊っているのには、なんじゃこれはと度肝を抜かれました。まるでBlack Eyed PeasのPVのよう。ほどなく登場する主要登場人物はちょっとひねってあって、男1人に女3人。主役の少女ミミ(井関佐和子さん、金森穣の奥さんだそう)は金髪ショートカットに筋肉質の身体を駆使して四角いちゃぶ台の上で怪しい踊りを踊っています。クラシックではなくコンテンポラリーなダンスです。取り囲む3人の悪党は、この演出では継父、継母、継姉ということになっていて、衣装が「ジパング系」とでも言うのか、デフォルメされた和風です。頭領である継父は花魁のような綿入りはんてん着てるし、海外マーケットを意識したテイストがにじみ出ています。しかしこれだけでは終らない。満を持して登場したマンダリンは、背後から黒子が操っている人形浄瑠璃を模した振付で、これはなかなかユニークなアイデアで面白かったです。練習たいへんだったでしょうね。

一見ぶっ飛んだ演出に見えますが、ストーリーはオリジナルを忠実になぞっていて、逸脱も冒険もありません。このジャパニーズテイストの必然性は、と問われると、多分答えはあまりないのでしょうが、私はけっこう楽しめました。ただ、今回主要ダンサーを全て日本から連れ来ざるをえなかったように、他のカンパニーで上演できる汎用性には多分欠けるので、日本以外で今後再演されるかどうかは微妙ですか。我が家的には、子供に見せるには教育上好ましくないシーンもありましたが、それは元々であって演出のせいではありませんね。

ハマルは今回がこの歌劇場デビューだったはずですが、こいつはオハコだぜ、とばかりに楽譜を置かず、長身をくねらせながら自分も踊りまくるというビジュアル系。音楽的にも生き生きとした躍動感に溢れ、私好みのリズムの鮮烈なバルトークでした。オケはハイレベルで集中力も高く、クラリネットのソロはもうちょっと色気が欲しいかな、とは思いましたが、ロイヤルオペラよりはよっぽどプロフェッショナルなオケに聴こえました。



以上2枚は歌劇場サイトから拾ってきた、昨年のサイトウ・キネン・フェスティヴァルのときの写真。かなり異質な雰囲気がよく伝わってきます(笑)。


拍手はけっこう長く続き、何度も呼び出されていました。


2. Bartók: Bluebeard's Castle
Matthias Goerne (Duke Bluebeard/Br), Daveda Karanas (Judith/Ms)
Andras Palerdi (Bard/narrator), Sawako Iseki (Spirit of Judith)
Francesco Porcelluzzi (Kuroko, 1st door), Massimo Margaria (Kuroko, 2nd door)
Angelo Perfido (Kuroko, 3rd door), Aiichiro Miyagawa (Kuroko, 4th door)
Riccardo Riccio (Kuroko, 6th door), Duccio Brinati (Kuroko, 7th door)
Francesca Bellone (1st wife), Giorgia Calenda (2nd wife), Valeria Scalisi (3rd wife)
Izumi Fujii, Yoshimitsu Kushida, Satoshi Nakagawa, Megumi Mashimo,
Emi Aoki, Takuya Fujisawa, Yukio Miyahara, Ayaka Kamei,
Leonardo Jin Sumita (Kuroko)

1時間の休憩の後、次の「青ひげ公の城」も金森穣の演出、ノイズムメンバーの出演による、あまり他に類を見ないプロダクションでした。演出の基本的なトーンは先の「マンダリン」と統一されていて、シンプルでシンボリックな舞台装置をバックにやっぱり大勢の黒子がうじゃうじゃと動いています。最初に吟遊詩人がお経でも読むような無表情なリズムでお馴染みのハンガリー語の前口上を始め、次第に語り口が熱くなって行ってからオケにバトンタッチします。この前口上はのっけから超ハイテンションで始める人もいるので千差万別で面白いですが、こういうパターンは初めて聴きました。

音楽的には「マンダリン」が「動」なら「青ひげ公」は「静」。内面的な音楽ですが、表現手法はわりとわかりやすいものです。ハマルは今度は譜面台にポケットスコアを置いていましたが、最初からちょっと気になったのは、さっきのマンダリンで疲れてしまったのか、オケのキレが少し悪くなったこと。それと、指揮者にオペラの経験がどのくらいあるのかわかりませんが、経歴を見ると豊富とは思えないし、少なくともこの歌劇場では初めて。総じてオケを鳴らし過ぎで、目の前であったにもかかわらず歌手が聴き取りにくい箇所がいくつもありました。歌手自身も声量は不足気味。青ひげ公のゲルネは昨年マゼールのマーラーチクルスで聴いて、その時は表現力がオペラ向きの歌手かなと思ったのですが、今日聴くと歌が繊細過ぎて大劇場ではワリを食います。やっぱりこの人はリート歌手なんだなと思いました。歌唱自体は、ブレることなく威厳があり、上手いと思ったんですが、いかんせん声量が負けてます。一方、ユディット役のカラナスはいかにもオペラ歌手の貫禄ある風貌でしたが、こちらも声量はイマイチ。めまぐるしく心が揺れ動く演技は良かったですが、歌のほうは起伏に欠けて一本調子で、あまり感心しませんでした。ハンガリー語の発音がたどたどしく、息継ぎがおかしい箇所もちらほら(まあこれは非ネイティヴだとどんな歌手でも仕方がないですが)。

元々がシンボリックな舞台を想定して作られたオペラですから、城の各部屋の表現は演出家により千差万別ですが、今日のは舞台の奥側に7枚並べたスクリーンへその後ろで踊るダンサーのシルエットを投影するという趣向。その他にユディットと同じ花嫁衣装を着た顔の見えないダンサーが(先ほどミミを踊っていた井関佐和子さん)ユディットの内面の葛藤を踊りで表現するというのがユニークなところです。このユディットの分身は、自分で激しく踊ったかと思えば、文楽のように後ろから黒子に操られることもあり、踊りはこと細かく組み立てられていました。最後の扉を開けて出てくる3人の過去の妻も完全に黒子に操られる浄瑠璃人形でしたが、動きがどこかユーモラスになってしまうので、ちょっとこの場面には合わなかったと思います。最後をギャグにしてどうすんじゃと。あと、この「青ひげ公」は登場人物が前口上を入れてもせいぜい6人の寡黙なオペラですので、こんなに何十人も舞台の上に出ているのは異例で、ガチャガチャとした雰囲気がどうしてもこの曲の寡黙なトーンを壊していた面があったのは否めません。

ハマルはマンダリン同様、見ていて飽きないノリノリの棒振りでオケをぐいぐいと引っ張っていましたが、オケのほうはちょっと燃え尽き気味で事故もいくつかありました。しかし細かいことはともかく、オケは総じて良い演奏だったと思いますし、ハマルもこの状況でキッチリと仕事のできるところをアピールできたのではないかと思います。



この2枚も昨年の松本のもの。非常に変わった「青ひげ公」でした。


LSO/ハイティンク/ピレシュ(p):巨匠・ザ・グレート2012/06/10 23:59


2012.06.10 Barbican Hall (London)
Bernard Haitink / London Symphony Orchestra
Maria João Pires (P-2)
1. Purcell: Chacony in G minor
2. Mozart: Piano Concerto No. 20
3. Schubert: Symphony No. 9 (‘The Great’)

モーツァルトとシューベルトなんて私としては非常に珍しい選択ですが、リターンバウチャーを使いたかったのと、久々に「グレート」を聴いてみたくなったので。

去年もシーズン終盤の6月にバービカンでハイティンク、ピレシュの共演を聴きましたが、季節の風物詩なんですかね。ピレシュは磐石なテクニックに、くっきりした音の粒のたいへん品の良いピアノ。昨年の備忘録を読み直してみると、ほとんど同じ感想を書いてました。小柄でパワーはなさそうなのに、ハイティンクのちょっと重めのオケに埋もれず、サークル席でも非常にクリアに聴こえてきました。オケは少し低めの重心で堅牢な土台を作り、その上で安心して踊っているピレシュのピアノは、澱み、迷い、引っかかりが一切なく、実に自然に心に響いてきて、今更ながら「ええ曲やなー」と聴き入ってしまいました。モーツァルトのピアノ協奏曲を聴いていて沈没しなかったのはほとんど初めてかも。なお、ティンパニはクレジットされてなかったけどプリンシパルのナイジェル・トーマスが叩いてました。

メインの「ザ・グレート」はかつて部活のオケでやったことがある曲なので(自分の出番はなかったですが)さんざ聴き込みました。生で聴くのはえらいこと久しぶりで、新婚の旅行でザンデルリンク/フィルハーモニア管の演奏をロイヤル・フェスティヴァル・ホールで聴いて以来。それ以降積極的に聴きたいとも思わなかったし縁もなかったのですが、長い年月を経て次に巡ってきた機会が、再びロンドンというのは感慨深いです。古き良き巨匠時代の生き残りハイティンク御大だから、コッテリ高カロリーでミシミシと踏みしめるように行くのかと思っていたら、予想に反して快速テンポでテキパキとぶっ飛ばしました。序奏と第1主題でテンポの差があまりなかったです。先のモーツァルトよりもまた少し重心を下げ、先日のブルックナーと比べても旋律の歌わせ方などは意外と雄弁で、細かくいじり込まなくても本来の音楽の力だけでこれだけ語ってしまうところなど、ハイティンクは曲もオケ(LSO)も十分に知り尽くしています。対照的に終楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェとしては多少遅めくらいのテンポで、セカセカしないように地に足がついた歩みっぷり。巨匠の懐の深さを垣間見ました。こちらのティンパニはクレジットされていたAntoine Bedewi(アントワン・ベドウィと読むの?)。LSOではパーカッションを叩いているほうが多い人ですが、まれにセカンドティンパニにも入っています。硬質のバチで乾いた音を叩き出すトーマス流で、この人も普通に上手かったです。ハイティンク御大はさすがの人気で、いつものように会場総立ちの大拍手。いつものごとくアンコールは無しでした。


この距離だと、ピンボケどうのこうのより、私のカメラの限界を超えてます。


おまけ。今日初めて気付いた、バービカンのパーキングの天井にあった謎のオブジェ。

ロイヤルオペラハウス:来シーズンブッキング2012/06/13 23:59


昨日と今日はロイヤルオペラハウスの平Friend向けブッキング開始日でした(12がバレエ、13がオペラ)。Webサイトが全面リニューアルになってから最初のブッキングオープンで、ブッキングページの仕様も変わり、さてどうなることやらと不安も大きかったのですが、ふたを開けてみたら、全く問題なし、どころか、待ち時間ゼロで非常に快適!どちらも実質5分くらいで済んでしまいました。今日は支払いの段で一度エラーが出て焦ったのですが、元のページに戻してやり直したらすんなりできました。以前のように待合室に入れられて何時間も待ったり、途中でエラーが起こったらまた最初から並び直し、というのに比べたら、今回は魔法のようにサクサクとチケットが買え、正直驚きました。(あまりに楽だったので、確認メールが来るまで、半信半疑で不安でした。)

とにかく待ち時間なしというのが、最高に評価できます。このシステムを維持してくれるなら、今後も喜んでFriend会費を払いますよ。

ウィーンフィル/ラトル:3番と6つとまた3番の危険な関係2012/06/17 23:59

2012.06.17 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / Wiener Philharmoniker
1. Brahms: Symphony No. 3
2. Webern: Six Pieces for Orchestra
3. Schumann: Symphony No. 3 ('Rhenish')

1年以上前に発売になったこの演奏会ですが、人気のラトルに天下のウィーンフィルという最強布陣にもかかわらず、一番上のチケットで£85という前年よりずっと高めの値段設定がアダとなって、直前まで席はけっこう売れ残っておりました。しかし最終的には、この通向けのプログラムにしてソールドアウトとは、やっぱりさすがはウィーンフィルと言うべきか。

まず最初のブラームス。1番、2番、4番は何度も聴いているのに3番は何故か縁がなく、実演で聴くのは初めてです。弦楽器はヴァイオリンを対向配置にして、その間に向かって左にヴィオラ、右にチェロ、その後ろにコントラバス、金管は左から順にトロンボーン、トランペット、ホルンという、あまり見たことがない変則配置でした。第1楽章はラトルがオケを激しく揺さぶって、冒頭から早速バラけ気味。その厳しいドライブに、オケが振り落とされそうな箇所がいくつか見受けられました。自らが率いるベルリンフィルでは多分こんなことはないのでしょうが、客演でも容赦ないラトルの棒の下、非常に危ういバランスで音楽が成り立っていました。あっけに取られていると、第2楽章からはだいぶ落ち着いてきて、木管、ホルン、トランペット、そしてもちろん弦の、素晴らしい「ウィーンフィル・サウンド」が心地よく響いてきます。ロマンチックな第3楽章は私の耳には意外とあっさり走り抜け、すっかりエンジンの暖まった頃合の終楽章はラトル節が全開、と言いたかったところですが、やっぱりアンサンブルのバラけがどうも気になって、画竜点睛とは行きませんでした。面白かったけど、ちょっと座りの悪いというか。ベルリンフィルとの細部にまで神が宿るような演奏が理想とすると、客演のラトルはまたちょっと別の楽しみ方で聴くのが吉かも(去年のLSOでもそういう感想を持ちました)。

休憩後のヴェーベルン「6つの小品」は、大編成の管弦楽なのに積分音量は微小という、エネルギー効率の悪い曲です。ラトルはウィーンフィルにここまでやらせるかというくらい、ヒステリックにアクセントを強調し オケも鋭い反応で答えて、冷徹ではなく血の通ったヴェーベルンになっていました。また、金管、打楽器の上手いことと言ったら。第4曲の打楽器クレッシェンドはどうせならもっと耳をつんざくくらいまで鳴らして欲しかったですが。

メインの「ライン」も個人的にはほとんど聴くことがなく、あれこれ語るネタもないのですが、ここまでの危ういバランスとか鋭いアクセントとかは影を潜め、速めのテンポで颯爽とさわやかな演奏だったと思います。オハコなんでしょう、アンサンブルの完成度が半端ないです(それを言ったらブラームスもオハコのはずですけどねえ)。特に素晴らしかったホルンの音色を基点に、全体がまろやかに溶け合う陶酔感。無心で入り込むことが出来る、自然派体感系の音楽でした。今日はブラームスが良かったとおっしゃる人が多かったようですが、私は「ライン」の成熟度のほうに感銘を受けました。


ホルンまでわざわざ歩いて行って奏者を称えるラトル。



皆さん、いい笑顔です。

ロイヤルバレエ:プリンシパルのいない「パゴダの王子」2012/06/21 23:59

2012.06.21 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: The Prince of the Pagodas
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
Kenneth MacMillan (Choreography), Colin Thubron after John Cranko (Scenario)
Beatriz Stix-Brunell (Princess Rose), Itziar Mendizabal (Princess Epine)
Ryoichi Hirano (The Prince), Gary Avis (The Emperor)
James Hay (The Fool), Thomas Whitehead (Emperor's Counsellor)
Andrej Uspenski (King of the North), Valeri Hristov (King of the East)
Jonathan Watkins (King of the West), Brian Maloney (King of the South)
1. Britten: The Prince of the Pagodas

ブリテン作曲のバレエ「パゴダの王子」は彼の作曲キャリアの中でちょうど折り返し点あたりに位置する曲ですが、これ以降に作曲した重要な作品と言えば「真夏の夜の夢」と「戦争レクイエム」くらいですので、成熟度ではまさにスタイル完成の境地にあると思います。来年のブリテン生誕100年を目前に、16年ぶりにロイヤルバレエでリバイバルされたプロダクションというくらいですからめったに見る機会はないバレエですが、うちにはDVDがあったりします。以前買った「マクミラン・3DVDパック」みたいなセットにロメジュリ、マノンと共に含まれていまして、てっきりマクミランの代表作の一つと思っておりましたら…。16年も上演されなかったのは故なきことではないのだなあと、実演を見てあらためて思いました。

まず言っとかなければならないのは、今日のキャストは相当二転三転しました。発表当初はカスバートソン、ヤノウスキー、ペネファーザーという取り合わせでしたが怪我のために結局全員降板、今年大抜擢でアリスを踊ったスティックス=ブリュネルがカスバートソンの代役とのことでしたが、5月末にラム、モレラ、ボネッリの組でキャストが落ち着いたのもつかの間、直前になってやっぱりスティックス=ブリュネル、メンディザバル、平野亮一の組に変更になりました。最後の変更は怪我のせいではないので、理由がよくわかりません。ともあれ、プリンシパルが一人もいないこのCキャストは(プリンシパルと名のつくのはキャラクターアーティストのエイヴィス唯一人)、ヌニェス・ロホ・キシュのAキャスト、ラム、モレラ、ボネッリのBキャストと比べてフレッシュではありますが、だいぶ格落ち感がしてしまうのは致し方ないところです。

このような事情のためどうしてもネガティブな先入観を持ちつつこのバレエを見ると、何とつまらない演目であることよ。あらすじは、こんな感じですか。とある国の王様が二人の娘に領土を分け与える際、妹ローズのほうを贔屓したのに姉エピーヌが怒って、妹の恋人である王子を呪いで山椒魚に変えてしまいます。姉は王様を隠居させて国を牛耳り、東西南北から四人の王をはべらせ、妹は従者(道化)と共に放浪の旅に出ます。妹は最果ての国で山椒魚になった王子と再会しますが、目隠しをしている間だけ王子は元の姿に戻ります。山椒魚と国に戻った妹は口づけで王子の呪いを解き、元の姿に戻った王子は道化の助けを借りつつ四人の王と姉を撃退し、国に平和がやってきてめでたしめでたし、皆で踊ってハッピーエンド、というお話です。

たわいもないストーリーはともかく、振付けが全体的にヌルい感じで、エキサイティングな踊りがさっぱりありません。四人の王の踊りはどこか醒めていてこのバレエに対して距離を置いているように見えてしまったし、プリンシパルがいないとこうもオーラがないものかと、ある意味興味深かったです。主役ローズ姫のベアトリスちゃんは昨年ロイヤルに来たばかりのまだ19歳。称号もまだ一番下の「アーティスト」だし、前回の「アリス」に続き飛び級でここまで抜擢されるその背景が、私にはよくわかりません。一つ一つの動作が固くて小さく、まだ若いんだなあという印象しかなかったです。幕を追うごとにほぐれては来ましたが。エピーヌ姫のメンディザバルも一昨年ライプツィヒバレエから移籍して来た人で、多分初めて見ますが、気の毒なくらいに存在感がない。四人の王はどれもタルい踊りで、しらけてしまいました。このメンバーの中では王子の平野さんが一人気を吐いてキレのある踊りを見せていましたが、いかんせん振付けが私には全然ユルユルとしか感じられず、こりゃー今日はダメだなと、集中力の維持が困難でした。

ちょっとよくわからなかったのですが、第1幕と第3幕で王子と山椒魚がノータイムで入れ替わる場面は、山椒魚は平野さんじゃなくて別の人が入れ替わってましたよね?第2幕で出てきた山椒魚は、着替える時間が30秒くらいありましたから、最初から平野さんでした。意味不明と言えば第2幕の前半。スキンヘッドになった四人の王が唐突に出てきてローズ姫をなぶりものにしますが、意味が分かりません。その後、最大のアクシデントが!気を失ったローズに道化が目隠しをすると、元の姿の王子が出てきて目隠ししたままのローズと踊る場面で、道化が袖から目隠しの布を引っ張り出そうとしても引っかかって出て来ず、相当手こずった後に結局諦めて目隠ししないまま、さーっと退場して行きました。ベアトリスちゃんも気を失っているわけだから、何が起こったのかよくわからなかったかもしれませんが、あるはずの目隠しがないのは事実。その後のパ・ドゥ・ドゥは、あたかも目隠しをしているかのように、決して目線を合わせないで踊っていたのは立派でした。もしかしたら主役の二人の適応能力を試すためにわざとやったんでは、ともちらっと思いました。

オケは残念ながら悪い日のほうのROHオケで、ヘロヘロ。そのおかげで音楽自体がつまらないという感想しか持ち得ず。何にせよ、これはクラシックバレエの音楽ではないよ。金属打楽器とマリンバを多用した東南アジアのテイストで、それもそもはず、バリ島の音楽(ガムラン)の影響を受けた曲なんだそうです。だから曲としては雄弁ではなく寡黙なほうで、理解するには時間がかかるかも。ただ、今日のこの公演を見ただけで言うなら、是非もう一度見たいとは決して思わないバレエです。家にあるDVDを見ると、踊りはもっと滑らかでいろんなものを表現していて、音楽にも緊張感があり、冗長なところはあるにせよ、決して最悪な演目ではありません。ヌニェスとロホのベテラン対決だったらさぞ凄かっただろうに、ラムとモレラでも存在感はもっとあったろうに、カスバートソン・ヤノウスキーだったら演技の濃さにやっぱ目が釘付けだったかなーなどと思うと、結論は次のチャンスまで保留にしときます。



ロイヤルオペラ/アラーニャ/ゲオルギュー:ラブラブ20周年の「ラ・ボエーム」2012/06/23 23:59

2012.06.23 Royal Opera House (London)
Jacques Lacombe / Orchestra & Chorus of the Royal Opera House
John Copley (Director), Paul Higgins (Revival Director)
Angela Gheorghiu (Mimì), Roberto Alagna (Rodolfo)
Nuccia Focile (Musetta), George Petean (Marcello)
Yuri Vorobiev (Colline), Thomas Oliemans (Schaunard)
Jeremy White (Benoît), Donald Maxwell (Alcindoro)
Luke Price (Parpignol), Bryan Secombe (Sergeant)
Christopher Lackner (Customs Officer)
1. Puccini: La bohème

この「ラ・ボエーム」、シーズンプログラム発表当初ではアラーニャとフリットリがキャスティングされていて、どちらもまだ見てないので、これは「買い」かなと思っていたのですが、昨年9月の「ファウスト」上演の前後で突如ゲオルギューがフリットリを押しのけ、アラーニャと夫婦共演するという話になりました。私はこの二人はとっくに離婚したと思いこんでいたので、ヨリを戻しているのに驚いたのと、チケット争奪がますます大変になるなあという危機感、それに、どうせリハーサル中に大喧嘩して片方または両方共がドタキャンとか、いかにもありそうな不安な予感などなど、様々な感情が脳裏を過りました。今回の夫婦共演は2公演しかなく、初日を無事終えたという情報を聞いてさえ、今日は二人ともちゃんと出てくれるんだろうかという心配はありましたが、いの一番にプログラムで本日の出演者を確認、とりあえず心配は杞憂に終ってほっとしました。

さて「ラ・ボエーム」はブダペストで1回見たきりですので8年ぶりくらいです。甘い旋律にいちいちユニゾンの弦を重ねて盛り上げるというプッチーニ節が気分によっては胃もたれし、また、前半に比べて後半の間延びが私には退屈で、正直得意なオペラではありません。それでも、役者が揃ったこのプロダクションはROHならではの輝きで、一見の価値があるものでした。初めて聴くアラーニャは、並外れてよく通り色気たっぷりの声が吸引力抜群、こりゃー世のおばさん、いやいやレディー達が追っかけ回すのも納得です。ちょっと鼻声にも聴こえましたが普段の声を知らないのでそれがまた甘ったるくて人気の秘訣なのかも。最初のアリアのハイトーンがちょっと苦しかったりもしましたが、その後は余裕を取り戻し、達者な演技も相まって、光り輝く看板役者のロドルフォでした。対するゲオルギューは、オペラグラスでお顔をアップで見てしまうと可憐な小娘にはもう苦しいかなと思ってしまいますが(「ファウスト」のときは若作りに驚嘆したのに、何でだろー)、いかにも薄幸の演技と歌唱はベテランの風格で文句のつけようがなく、上手さに感嘆することしきり。この二人の発するオーラはまさにスターそのもの、ことさら際立っていました。

今日は久しぶりにプロンプタさんの活躍がありました。ゲオルギューの出るときは必ず出番がありますね。上のバルコニーボックスからはプロンプタがボーカルスコアを見ながら、絶えず手で何か指示を出しているのが見えました。もちろん歌詞も表示されているんでしょう。ただ今日不思議だったのは、第3幕でゲオルギューとアラーニャが舞台中央で足を止めてずっと抱き合っている間にも、プロンプタがまるで指揮をするようにずっと手を動かしていたことで、動作や動線を指示していたのではなさそうで、じゃあ一体何を教えていたのかと。指揮者とは別途に拍を振る必要もないわけで、歌詞のストリップを指差して「歌詞は今ここです!」なんて指示をだしていたのかしらん。謎だ。

今回はゲオルギュー、アラーニャがROHの「ラ・ボエーム」で初共演をしてから20年という記念の意味もありましたので、他のキャストは当然このスター二人の影になってまうのはいたしかたないところですが、なかなかどうして、ちゃんと歌えて役者もできる人が揃った、粒よりのキャスティングでした。ムゼッタのコミカルでコケティッシュな味付けもしっかり場を盛り上げ、マルチェロ他友人も皆プロの仕事を成し遂げました。指揮者は先月大好評だったビシュコフではなく、マウリツィオ・ベニーニの病気降板を受けての代役、ジャック・ラコンブという若いカナダ人でしたが、どのみち知らない人だったので先入観なしに聴くと、なかなか健闘したと言えるのではないでしょうか。ぽっと出の馬の骨ではなくしっかりとしたキャリアを持ち、物怖じすることなくプッチーニの音楽を自分の手中で転がしていました。

演出はもう何十年も続いている至ってオーセンティックなものでした。とりわけこの「ラ・ボエーム」に関しては、奇を衒ったモダンな演出はあまり見たくないと思いますね。うらぶれてはいるけどどこか気分をほっとさせる屋根裏部屋。いかにもという雰囲気のパリの居酒屋の裏路地が、ほとんどの席からは見えないであろう奥のほうまで細部にこだわって作りこんであり、手前の焼き栗屋がまた美味しそうなこと。第3幕の雪が降り積もる景色も美しく(馬車の中でコトの最中の警備員は、娘の教育上ちょっと困ったが)、どの幕も本当によく出来た舞台です。

終演後、隣りのボックスの人々がやおら大きな箱を取り出すと、中にはぎっしり花が。フラワーシャワーとはこうやるのかと、初めて見ました。うちの娘もいくつか投げさせてもらい、よい思いでになりました。



シモン・ボリバル響/ドゥダメル:スタジアム系クラシック2012/06/26 23:59


2012.06.26 Royal Festival Hall (London)
Gustavo Dudamel / Simón Bolívar Symphony Orchestra of Venezuela
1. Esteban Benzecry: Rituales Amerindios (Amerindian rituals)
2. Richard Strauss: An Alpine Symphony

シモン・ボリバル響(元シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ)は今ロンドンで一番チケット争奪が厳しいオーケストラで、その点ではベルリンフィルやウィーンフィルをも凌駕しています。今回の一連のチケットも昨年の1月頃サポート会員向けに先行発売した分だけで、プログラムも全く未定だったのに、もうほとんど完売状態でした。ということで私もこのチケットは買い損ねていたのですが、リターンが出ないかと毎日サイトをチェックしていたある日の深夜、1枚だけポコっと空席が出ているのを発見、かぶりつき席を1枚だけですが(すまん、家族)すかさずゲット!日頃の行いが良いとやっぱり神様は見てくれているなあ、うんうん。

初めて見るシモン・ボリバル響は、とにかく人が多い。あの広いロイヤル・フェスティヴァル・ホールのステージに、立錐の余地なく奏者が乗っています。コントラバスが14人もおり、弦楽器だけで80人を超えています。普通のオケのざっと倍。英国のナショナル・ユース・オーケストラも同じスタイルだったので、ユースの名が取れても、必要以上に楽器を重ねる人海戦術のアマチュアスタイルは維持しているようです。

1曲目はアルゼンチンの作曲家ベンゼクリがイエテボリ響(音楽監督はドゥダメル)の委嘱で作曲し、2008年に初演された組曲です。南米の古代文明であるアステカ、マヤ、インカをモチーフにしており、プリミティブなエネルギーに溢れた、わかりやすい曲想です。怪獣映画のサントラみたい。アステカは風神、マヤは水神、インカは雷神として、各々非常にベタな表現で自然現象が描写されております。速いパッセージを顔を紅潮させながら刻みつけ、音楽に全身全霊でのめり込むヴァイオリン男子の姿が初々しくて微笑ましいです。男子に比べると女子はもっとクールで、ツンとすましたメスチソ美少女もなかなかオツなもの(って何が?)。やはりラテンの血か、奏者の楽器を奏でる動作はいちいち大きく、派手でノリノリな傾向です。とにかく人をかけ、楽器をユニゾンで重ねて音を厚くし、アラを目立たなくして力技で押し切る戦術で、その分どうしても繊細さは犠牲になります。ツアーに出てステージに立っているメンバーは選りすぐりだけあって、各プレイヤーの技量は思っていた以上に達者で、上手いのですが、それでも皆でユニゾって熱く高揚する、というのがこのオケの捨て難きスタイルなのでしょうね。

休憩後の「アルプス交響曲」は、これまた滅多に聴けないシロモノでした。金管の弱音ソロや、弦楽の各パート1人ずつのアンサンブルといった箇所ではほころびが見えたりもしましたが、総じてミスの少ない立派な演奏に加え、この倍増の人数です。ドゥダメルも両手を目一杯広げてオケを鳴らしまくり、過去に聴いたことがないような大音響がホールの気圧を押し上げました。深遠や美学の追求というより派手な音響を楽しめばよいこの曲は、このオケにまさにうってつけ。決して軽く見ているわけではなくて、これが実現出来るというのは本当に凄いことです。ただしこれは、例えば、必要にして十分な人数のベルリンフィルが奏でる精緻の限りの演奏を聴いたときに沸き上がる感動とはまた別種のものであるのも確かです。言うなれば「スタジアム系」のクラシック。同列で比較するのはナンセンスでしょう。

アンコールでは第1ヴァイオリンが1プルト分下がって指揮者の横にスペースを作りましたので、誰か歌手かソリストが出てくるのはわかりましたが、のそのそと登場したのは、片目アイパッチに角の帽子をかぶり、毛皮の肩掛けをまとって、手には槍を持っためちゃ怪しげな大男。この人は俺にもわかるぞ、ブリン・ターフェルだ!その扮装からしてもちろん「リング」のヴォータンの歌を歌ったわけですが(曲名は「ラインの黄金」から「夕べの空は陽に映えて Abendlich strahlt der Sonne Auge」だと事後チェック)、その声の威厳と説得力の凄いことと言ったら。ラッキーにもほぼ正面の至近距離だったので、終始圧倒され、全身が痺れるくらいに凄みのある歌唱でした。ただでさえ大人気のドゥダメルとシモン・ボリバルに加え、このサプライズゲストに聴衆はもう大喜び。ターフェルにとっても、来週始まる「BRYN FEST」と、来シーズンのROH「リング」一挙上演のよい宣伝となったことでしょう(リングはとうの昔にチケット売切ですけどね)。音量も凄かったけど、歓声も並み外れて凄かった、大満腹の演奏会でした。


持っている槍が演奏中にヴァイオリン奏者にコツコツ当たり、気の毒でした。


ターフェルは声も身体もひたすらでかい。


ヴァイオリンのべっぴんさん達。


男子も至福の喜びのように音楽を奏でる姿がなかなかかわいいです。

肝心のドゥダメルの写真を撮り損なってる…。

フィルハーモニア管/サロネン:スタイリッシュ系、マーラー「復活」2012/06/28 23:59


2012.06.28 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Kate Royal (S-2), Monica Groop (Ms-2)
Philharmonia Chorus
1. Joseph Phibbs: Rivers to the sea (London premiere)
2. Mahler: Symphony No. 2 (Resurrection)

個人的には今シーズン最後のフィルハーモニア管、最後のロイヤル・フェスティヴァル・ホールです。チケットの束をチェックしたら、フィルハーモニア管は何と今年一杯はもう聴きに行く予定がない!フィオナちゃん、ケイティちゃんも当分ご無沙汰です、しくしく。ところで、ロンドンでマーラーの「復活」を聴くのはこれで3回目ですが、指揮者は違えどオケは全てフィルハーモニア管というのが面白い。3シーズン連続で取り上げているということでもありますね。昨年4月のマゼールのマーラーシリーズで聴いた「復活」で、初めてフィオナちゃんを認識したのでしたっけ。月日の経つのは早いものです。


おさらいに余念のないフィオナちゃん。今日は三番手でした。


こちらはクールな余裕のプリンシパル、ケイティちゃん。

1曲目はフィブスの新曲で、先週のアンヴィルでの「世界初演」に続き、今日は「ロンドン初演」です。ゆったりと流れる川そのものの、穏やかなトーンの写実的音楽で、前衛的なところはみじんもなく、ドキュメンタリー映画のBGMとしてそのまま使えそうです。一度聴いたくらいでは引っかかりがなく、さらーと身体を通り過ぎる感じで、あれ、今のは何だったかなと。あまり心に残りませんでした。

さてメインの「復活」。サロネンのマーラーを聴くのはCDも含めて実は初めて。マーラー指揮者というイメージも正直なかったのですが、Wikipediaを読むと、サロネンの指揮者としてのキャリアはマーラーから始まっているんですね。今日の演奏の印象を一言で言うと「スタイリッシュな"復活"」。最初快活なインテンポでサクサク飛ばしたかと思えば、遅いところでは止まりそうなくらいにまでテンポを落とし、またダイナミックレンジもかなり広く取って、メリハリの利いた演奏でした。ある意味極端なことをやってるのですが、どろどろとした情念や汗臭さはなく、あくまで理知的でスマートです。時々ありがちな突貫工事の匂いはなく、多忙なサロネンにしてはいつになく丁寧に積み上げられているなあと感じました。オケはしっかりとサロネンに着いて行き、コケてしまった箇所も無いではありませんでしたが、総じて演奏の完成度は高く、木管、特にコールアングレの素晴らしい音色や、骨太だが角が取れているホルンなど、管楽器の妙技が光っていた演奏でした。コンマスのヴァイオリンソロだけはちょっと虚弱でしたが…。あと、スミスさんのティンパニは、相変わらずカッコいいんだけど、前の時も思ったけどチューニングがやっぱり変です。

メゾソプラノは当初エカテリーナ・グバノヴァが出演の予定が、スケジュールのコンフリクトのため(要はダブルブッキングということ?)降板、代役のモニカ・グループはメゾというよりはアルトの声で、急で時間がなかったということでもないのでしょうが、だいぶ安定度に欠ける歌唱でした。ソプラノのケイト・ロイヤルも声質は低めでメゾソプラノ向きにも思いますが、こちらはそつなく手堅い歌唱。ロイヤルはレコード会社の宣伝文句によれば「日本人好みの正統派癒し系シンガー」とのことですが、私の印象は全く違って、長身で見た目筋肉質の体格は「癒し系」どころかスポーツ選手のようです。

それにしてもサロネンさん、今日はいつもにも増してオケを鳴らす鳴らす。まるで一昨日のシモン・ボリバル響を聴いて対抗心を燃やしたかのような鳴らしっぷりでした。男女同数の低音を利かせた厚みのあるコーラスの健闘もあって、クライマックスの音量では実際負けてなかったと思います。マゼールのように最後は自然体にまかせるのではなく、最後まで力技を使ってピークに持って行くよう焚き付ける、そんな感じの「復活」でした。ロンドンでの最後の定期演奏会にふさわしく、音の洪水の大盤振る舞いに、聴衆の拍手喝采も相当なものでした。

一昨日に続き、連続して「音響浴」に身をあずけることになりましたが、今日は正直、プロフェッショナルの演奏にちょっとホッとした自分がいます。やっぱりシモン・ボリバルの圧倒的な「スタジアム系」には、楽しんだと同時に違和感を覚えていたということですか…。