ロイヤルオペラ/パッパーノ:元旦から「ニュルンベルクのマイスタージンガー」2012/01/01 23:59


2012.01.01 Royal Opera House (London)
Sir Antonio Pappano / Orchestra & Chorus of the Royal Opera House
Graham Vick (Director), Elaine Kidd (Revival Director)
Wolfgang Koch (Hans Sachs), Simon O'Neill (Walter von Stolzing)
Emma Bell (Eva), Peter Coleman-Wright (Sixtus Beckmesser)
Sir John Tomlinson (Veit Pogner), Heather Shipp (Magdalene)
Toby Spence (David), Colin Judson (Kunz Vogelgesang)
Nicholas Folwell (Konrad Nachtigall), Donald Maxwell (Fritz Kothner)
Jihoon Kim (Hermann Ortel), Martyn Hill (Balthazar Zorn)
Pablo Bemsch (Augustin Moser), Andrew Rees (Ulrich Eisslinger)
Jeremy White (Hans Foltz), Richard Wiegold (Hans Schwarz)
Robert Lloyd (Nightwatchman)
1. Wagner: Die Meistersinger Von Nürnberg

皆様、あけましておめでとうございます。

今年は正月早々ロイヤルオペラです。あいにくの雨模様でしたが、ホリデーシーズンにつき普段より日本人の姿を多く見かけました。開幕前、新年の挨拶とともに、ナイト役テナーのサイモン・オニールがひどい風邪をひいてしまったが、ロンドンで手に入る限りの抗生物質を飲んで快方に向かっているので、今日は何とか歌いますというアナウンス。パッパーノがナイトの称号を付与されることが発表されてから最初の演奏会でもあり、指揮者登場の際はオケメンバーもぴしっと直立、会場は温かい拍手に包まれました。

最近オペラではバルコニーボックス専門になっていましたが、今日は久々に右側ストールサークルの舞台寄りに座りました。が、これが失敗。100番以上の席番号には客を入れず、A列100〜111番は座席と床板が取っ払われて、眼下にティンパニ奏者が丸見えになってました。そのおかげでティンパニの音だけが突出してダイレクトに響いて来て、うるさいことこの上なし。天気のせいか、オケ全体も湿っぽくピットの底に溜まるような音で「あれっ」と拍子抜けしたのですが、輪をかけて全てをぶちこわしてくれる雑なティンパニには閉口するしかありませんでした。

幕が開くとティンパニの出番はめっきり減るので一安心。第1幕、確かにオニールは声が出ていないと言うわけではないにせよ、声に張りがなく声量も負けています。エーヴァ役のベルは表情は硬いものの声はよく出ていました。ザックス役のコッホは声質が軽く、あまりカリスマがありませんがこちらもまずまず無難な出だし。しかし何と言っても、第1幕を引っ張っていたのはダーヴィド役のトビー・スペンスとエーヴァのお父ちゃんポグナー役のトムリンソン卿でした。オニールの調子が悪い分トビー君の演技力が際立ち、歌も見かけからは想像つかない野太いテナーで、立派な歌唱でした。トムリンソンは先日聴いた「青ひげ公」のときと同様、いちいち音程を手探りするような歌い方が好きになれませんが、よく響く低周波は非常に心地よく説得力のあるものでした。

第2幕の夜の町は、お菓子の家のようなメルヘンチックな舞台です。こちらの耳が慣れてきたのか、あるいはパッパーノの熱のこもった指揮に湿気が飛んで重しが取れたのか、オケの音もずいぶん外に向かって出てくるようになってきました。ザックスの歌の比率がぐっと多くなり、コッホの調子も上がってきますが、あまり低音が利いてなくて身振り手振りが大きいのでザックスよりはフィガロというキャラクター。靴職人とはいえマイスターなんだから衣装をもうちょっと威厳のありそうなものにしてくれたら良かったのでは。これでは丁稚のダーヴィドよりもみすぼらしいです。ベックメッサーは普通に笑わしてくれましたが、トーマス・アレンのように小芝居の細かさがもっと欲しかったところ。最後のドタバタ騒動になるところでは、天井から人が落ちてきそうになる演出が意表をついてて面白かったです。

第3幕、ザックスの苦悩の場面ですが、本や椅子を投げつけるなど相変わらず感情の起伏が激しいザックス。皆の尊敬を集めるマイスターの重鎮として常に沈着冷静、怒りも苦悩も内に秘めたるのを上手く表現するのがこの役の難しさだと思うので、こういうザックス像は、私はちょっと買えません。オニールの調子は下がる一方で、歌合戦で騎士ヴァルターが渾身の名曲を歌う場面では、破綻だけを避けるべく非常に思い切りの悪い歌になっていました。あのコンディションなら致し方なしですが、本来なら一番の聴かせどころのはずなので、本人にも聴衆にも残念ではありました。

とその時、足にふと冷たいものを感じたと思ったら、突如目の前に雨のような水滴がポタポタと落ちてきました。上の見ると、天井から雨漏りのように水が垂れており、ちょうど私の右足あたりを直撃します。足の位置を変え、ひざはハンカチで防御して事なきを得ましたが、そんなこんなで気を散らされたおかげで最後のザックスの歌をほとんど聴き損ねてしまいました、ちくしょー。水漏れは幕が閉まるころには収まっていたので一過性のもので、ここに水道管が通っているとは思えず、また、外が大雨になったとしてもこんなところまで水が流れてくるのも考えにくいので、多分上階のボックス席でペットボトルの水を気付かず丸々ここぼしたか何かでしょう。迷惑な話ですが、オペラハウスもやっぱり建物の作りは「英国クオリティ」なんですねえ。

ラストはせっかく盛大な合唱が入って誰がやっても盛り上がるのだから、音楽が切れると同時に照明を落とし、その後さっと幕を締めたほうが良かったのでは(前にブダペストで見たときはそうでした)。コーダの最中でじわじわと幕を締めるものだから中途半端に拍手が始まり、この長丁場の熱演に報いるには結果的にお寒い拍手となってしまいました。これは演出が悪いです。

何だか文句ばかりを書きましたが、休憩を入れて6時間に及ぶ長時間を、私としては奇跡的に一切居眠りせず聴き通せました。やはりこのオペラの音楽とコンセプトが放つ磁力は抗し難いものがあり、正月早々家族揃ってたいへん楽しめた公演でした。



ナショナル・ギャラリー:特別展「ミラノ宮廷画家のレオナルド・ダ・ヴィンチ」2012/01/04 23:59


噂の「レオナルド・ダ・ヴィンチ特別展」を家族揃って見てきました。守屋さんのブログで「前売りチケットが残り少ない」という情報を見なかったら、危うく買いそびれていたところです。感謝!>守屋さん

平日の16時30分からのスリップでしたので、閉館まで1時間半、特別展だけならまあ余裕だろうとたかをくくっていたら、とにかく人が多い!特に最初の2部屋の混み具合は異常で、むかし日本で見た「MoMA展」や「バーンズコレクション」などの超人気展覧会を思い出しました。順番を待って素描の一つ一つまでじっくり見ていたらとても最後までたどり着けないと思ったので、必見の油絵だけは何とか目に焼き付けて、あとは流しました。それでも2階の「最後の晩餐」に行き着いたのはもう5時40分。スタッフがしきりに「もうすぐ閉館です。ショップはまもなく閉まります。」と退場を促す中、あわただしく一通り何とか見れましたが、おかげで画集を買いそびれたので、後日また買いに行きます。

肝心の内容ですが、月並みな表現ながら精緻な筆による人肌や動物(テン)の皮膚の表現は、目を捕らえて放さない吸引力がありました。ルーブルの「岩窟の聖母」は、行くといつも隣の「聖ヨハネ」のほうに目を奪われてしまって、実はあまりじっくり見たことがなく、ナショナルギャラリー所蔵のと基本的には同じ絵だと思っていたのですが、両者の違いをリアルタイムで比較できるこの機会は本当に貴重なものです。背景や人肌の色合いの違い(修復技術の違いが大きいらしいですが)から、受ける印象は両者でずいぶんと変わってきますし、じっくり見ていると聖母の手はけっこう異形で、聖なるものとは対極の空恐ろしさすら感じてしまいました。

これまた守屋さんのお勧めで持参したオペラグラスは、人ごみの中、「岩窟の聖母」や「最後の晩餐」の模写をじっくり見るのに非常に重宝しました。重ね重ね、感謝です。


LSO/パッパーノ:新任ナイトによる英国音楽の夕べ2012/01/10 23:59

2012.01.10 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra
Antoine Tamestit (Va-2)
1. Thomas Adès: Dances from ‘Powder her Face’
2. Walton: Viola Concerto
3. Elgar: Symphony No. 1

正月のROHに引き続き、パッパーノ。もちろんナイト付与が発表されてから最初のLSOの指揮台なので、パッパーノが登場するや会場は早速大歓声に包まれました。しかも今日は、最初からこの日のために仕組まれたかのようなオール英国プログラム。普段なら地味な選曲ですが、今日はバルコニーに人を入れてなかった分、ストールとサークルはほぼ席が埋まっていました。

1曲目の「パウダー・ハー・フェイス」は一昨年、同じくLSOに作曲者自身の指揮で聴いていますが、怪しい雰囲気はあるものの前衛ではなくわりと聴きやすい曲です。パッパーノはオペラのときと同じく、楽章間でも聴衆の咳など気にせずさっさと次に進みます。アデスが指揮したときはリズムにメリハリを付けてもっとワルツらしい演奏だった気がしますが、パッパーノは大胆にテンポを揺らして世紀末的な猥雑さを強調していました(確かに、この曲は20世紀末の作曲です)。

2曲目、ウォルトンのヴァイオリン協奏曲は何度か聴いていますが、ヴィオラ協奏曲は初めてです。中音域でつぶやくような導入から始まり、時折感情の高ぶりを見せながらもまたすぐに静まるというのを何度か繰り返す煮え切らない第1楽章、変拍子多用の複雑なリズムでたたみかけるように進行する第2楽章、ユーモラスなファゴットで開始し、美しくも物悲しいクライマックスを迎えた後は悲壮感を引きずったまま静かに終わる終楽章。英国らしいというか、節度を感じる理知的な曲でした。演奏の良し悪しは、うーん、ヴィオラは綺麗な音でよく響いていましたし、とは言え「俺が俺が」の自己主張があまりないのはやっぱりヴィオラ奏者の特質ですかね。

さてメインはエルガーの交響曲第1番。ご当地モノの代表格です。実はこれもほとんど聴いたことがない曲ですが、Wikipediaによるとイギリスやアメリカでは人気の高い曲だそうです。日本だと、エルガーといえばやっぱり「威風堂々」とせいぜい「エニグマ変奏曲」で止まってしまいますもんねえ。まるで国歌斉唱みたいに壮大で格調高い序奏はいかにもエルガーという感じですが、続く短調の主題とその展開は、ブラームス的なドイツ交響曲の王道に則った、ちょっと「よそ行き」の顔に思えました。万人が口ずさめる大衆的な旋律だっていくらでも書けちゃうのに、あえて窮屈な主題を選び、それを無理矢理に展開して行ってるような。しかしその展開がつまらないなと思えてしまう箇所も多く、冗長に感じたのが正直なところです。1時間も引っ張る曲じゃないだろうと。比較的リラックスした雰囲気の中間2楽章が、むしろ好ましく思えました。

それはともかく、パッパーノ大将の導く演奏は予想に反してオペラチックな演出ではなく、カンツォーネ的歌謡曲でもなく、形式張った曲想に波長を合わせた節度のあるものでした。とは言えクライマックスではオケを盛大に鳴らし、終始鋭いアクセントを叩き込んでいたティンパニを筆頭に、よくぞここまでというくらいの音量、音圧を引き出して、さすがに起伏を作るのは上手い人です。終演後の拍手が盛り上がったことと言ったら!イギリス人は自国のものにはけっこう冷淡という印象も持っているんですが、やっぱり皆さん、エルガーは大好きなんですねえ。

パッパーノはLSOにも定期的に客演しており相性は良く、この人気ぶりを見ると、将来はこの人が首席指揮者の椅子に座っているのかもしれないなあと、ふと思いました。イタリア系とは言ってもイギリスで生まれ育ったイギリス人ですし、レパートリーも極めてインターナショナルですし、バーンスタインばりに盛り上がる音楽が作れるし、外に取られたくない逸材なんじゃないかと。あと今日は誰もが記憶にとどめたであろう大活躍だったのがティンパニのトーマスさん。同じくパンチの効いているティンパニスト、フィルハーモニアのスミス氏が極めて個性的な音と風貌で勝負するのに対し、トーマス氏は太鼓の皮をしっかりと鳴らし切る正統派の最右翼。最近は何だか吹っ切れたように叩きまくっていて前より全然面白いので、今後もウォッチしていきます。

ロンドンフィル/ヴェデルニコフ/石坂(vc):プロコフィエフの夕べ2012/01/13 23:59


2012.01.13 Royal Festival Hall (London)
Alexander Vedernikov / London Philharmonic Orchestra
Danjulo Ishizaka (Vc-2)
1. Prokofiev: Lieutenant Kijé Suite
2. Prokofiev: Cello Concerto in E minor, Op.58
3. Prokofiev: Symphony No. 7 in C sharp minor

調べてみたら、私はロンドンフィル、フィルハーモニア管、ロンドン響をちょうど1:2:3くらいの比率で聴いてるんですね。ということで、ロンドンフィルは聴きたい曲があるときだけチケット買ってます。このコンサートは、娘が以前LSOのファミリーコンサートに行った際に「キージェ中尉」をいたく気に入っていたのと(つくづく変わった子だ…)、石坂団十郎を一度聴いてみたかったので、勢いで買いました。

指揮者のヴェデルニコフは初めて聴きますが、ボリショイ劇場の音楽監督を長く勤めていたという経歴の何だか良くない面が前に出ている感じの人で、速めのテンポでさっさと進んで行くにしては音楽は一向に盛り上がらず、火力不足で煮え切らない演奏に終始していました。オケの反応もイマイチで、「キージェ中尉」の1曲目途中で急にテンポを上げてみたら早速振り落とされてしまい、こりゃいかんと指揮者が早々に「お仕事モード」に入ってしまったのは、鶏と玉子のどちらが先か、という世界ですね。ところでうちにあるこの曲のCDはバリトン独唱付きのオリジナルバージョンなので、それを聴き慣れているとオケ用編曲で低弦やサックスのソロが歌に取って代わるのは、やっぱり違和感があります。これは歌曲だったんやなあ、ということがひしひしと再認識されました。

2曲目のチェロ協奏曲は音源を持っておらず、全く初めて聴く曲でした。同時期に作曲していた「ロメオとジュリエット」のフレーズ流用がありましたが、それは些細なことで、全体的には難解な曲の部類でしょう。一回聴いたくらいではつかみ所がまるでわかりませんでした。純和風な名前ながらドイツ人ハーフの石坂団十郎は、黒ぶち眼鏡で前髪をきっちりと分け、レトロな雰囲気のハンサムボーイです。調子はちょっと悪かったのか、季節がら風邪をひいたかのようにかすれた高音が気になりました。多分上手いんだろうけど、曲がよくわからん曲だったこともあって、残念ながら心に残る「出会い」ではありませんでした。生真面目すぎるし、音に官能がありません。プロコフィエフよりも、次はバッハとかハイドンで聴いてみるべきかもと思いました。

メインの交響曲第7番も、実演で聴くのは初めて。副題の「青春」は青少年に向けて書いた曲という意味であって、涙も汗もレッツビギンもありません。「古典交響曲」ほど徹底はしてないにしても全編擬古典的で、最後はやっぱりここに戻ってくるのね、という微笑ましさを感じる楽しい曲です。こちらは途中「シンデレラ」っぽい箇所が出てきます。プロコフィエフもけっこう素材の使い回しをやってるんですね。ヴェデルニコフさん、最後までオケから火事場の馬鹿力を引き出すことは出来ず、いつものそれなりのLPOでした。燃料不足を象徴するかのように、2種類あるエンディングのうち、当然のように静かに終わるほうを選択していました。最後まで聴き通すと、このクールさ、ローカロリーさが実はこの人の持ち味だったのかと納得。私の好みには合いませんが。

ロイヤルバレエ/ロホ/アコスタ:失楽園の「ロメオとジュリエット」2012/01/19 23:59

2012.01.19 Royal Opera House (London)
The Royal Ballet
Pavel Sorokin / Orchestra of the Royal Opera House
Kenneth MacMillan (Choreography)
Tamara Rojo (Juliet), Carlos Acosta (Romeo)
José Martín (Mercutio), Gary Avis (Tybalt)
Kenta Kura (Benvolio), Johannes Stepanek (Paris)
Christopher Saunders (Lord Capulet), Elizabeth McGorian (Lady Capulet)
Thomas Whitehead (Escalus), Christina Arestis (Rosaline)
Genesia Rosato (Nurse), Tara-Brigitte Bhavnani (Lady Montague)
Alastair Marriott (Friar Laurence, Lord Montague)
1. Prokofiev: Romeo and Juliet

2年ぶりのロイヤルバレエ「ロメオとジュリエット」です。その間、バーミンガムロイヤル(マクミラン振付)、イングリッシュナショナル(ヌレエフ振付)、ペーターシャウフス(アシュトン振付)を見ているので、ロンドンではこれで5回目。我が家としては希少なリピーター演目です。娘は「え〜、また見るの〜?」と文句を言っておりましたが。

アコスタ、ロホの看板コンビを一度はフルバレエで見ておかねば、というのが今日の最大の目当てでしたが、さすがの人気だったのでいつも狙っているストールやサークルの至近距離最前列の席は一般Friend発売開始時点ですでになく、次善の策で今回はバルコニーボックスを選びました。しかし、オペラはともかくバレエの鑑賞では、やはり欲求不満がかなり溜まる席でした。元々死角が多い上、隣りのボックスの客が思いっきり身を乗り出すとこちらの視界がバッチリ遮られ、普通に座席に座っていると舞台がほとんど見えません。その人達だって、さらに隣りの客が身を乗り出しているのでそうするより他ないのです。立ったり座ったり身をよじったり、不自由な思いをしながら無理矢理見ていたので首がバキバキに疲れました。

上から見ていると動きがコンパクトに見えてしまうのと、オケの演奏がゆっくり目だったこともあって、全体的に落ち着いた舞台に思えました。アコスタはオペラグラスでアップで見るとさすがにオヤジ臭がして、さらにあのニヤケ顔は美少年役には決定的に向かない気がしますが(ファンの人すいません)、踊り一つ一つの安定感と回転の美しさは素人目にも抜群で、舞踏会の前に悪友三人で踊る仮面の踊りも、もちろん皆さんハイレベルなんですがその中でも一人さらに突出している感じでした。一方のロホも舞台栄えする美しさは半端なく、少女というよりもやっぱり大人の色気をムンムンと感じてしまいます。最初、動きはちょっと固めで、弾けるような躍動感はあまりなかった代わりに、揺れ動く心の表現は驚くほどきめ細かく、時間を追うごとにしなやかさが増していき、最後の死人の踊りでは正に全ての生命力が失われながらロメオに身を任せるという、変幻自在の演技力を見せてくれました。パ・ドゥ・ドゥは二人とも全く危なげない踊りで、無茶したりハラハラさせるところがなく、ローティーンの恋というより熟年の愛、「失楽園」の世界が目の前に広がりました。安全運転しているようにも見えましたが、その無謬感を非常に高いレベルで完成させているのが素直に凄かったです。二人とも身体能力的なピークはもうとっくに過ぎているのでしょうが、全盛期に生舞台を見ることができたら、さぞ想像を絶する体験だったろうなあと。

それにしても今日はオケがひどかった。金管がトチるのはいつものこととしても(いつもより多かったけど)、木管からヴァイオリンソロから、最後まで皆よれよれ。指揮者も見るからにオーラなし、やる気もほとんどゼロ。パッパーノが振るときはメンバー総入れ換えしてるのかと思うくらい、今までで一番ひどい出来のオケでした。君達は楽器の音の出し方を知っとるのか、本当にプロのミュージシャンなのかと、問いつめたい。ブダペストでもそうでしたが、劇場付きのオケは長く聴いているとダラけているほうが圧倒的に多いことに気付き、器楽派の私としてはしょっちゅうイライラさせられます。これも劇場の宿命なんでしょうかねえ…。



これでも、思ってたよりたいへんよく撮れました…。

LSO/ティルソン=トーマス/フレイレ(p):木を見て森も見る「幻想交響曲」2012/01/24 23:59

2012.01.24 Barbican Hall (London)
Michael Tilson Thomas / London Symphony Orchestra
Nelson Freire (P-2)
1. Debussy: Selected Préludes (orch. Colin Matthews)
 1) Voiles (Sails); Book 1 - #2
 2) Le vent dans la plaine (The wind in the plain); Book 1 - #3
 3) La cathédrale engloutie (The submerged cathedral); Book 1 - #10
 4) Ce qu'a vu le vent d'Ouest (What the West Wind saw); Book 1 - #7
2. Debussy: Fantasy for Piano and Orchestra
3. Berlioz: Symphonie fantastique

「まだ見ぬ強豪」の一人、マイケル・ティルソン・トーマスは昨シーズンのLSOのチケットを買っていたのですが、よくわからない理由のキャンセルでフラれてしまい、今日が念願の初生演です。登場したマイケルさんは思ったより小柄で、本当に人の良さそうな笑顔を浮かべ、品の良いおじいちゃんという感じです。

最初はマシューズ編曲のドビュッシー前奏曲集。以前はこの編曲の存在すら知らなかったのに、やはり「ご当地物」の一種だからでしょうか、ロンドンに来てから実演で聴くのはこれで3回目です。今回は第1集のみから緩-急-緩-急と変化をつけた4曲の選曲で、原曲にさほど馴染んでいるわけではない私は、マイケルさんのきめ細かく色鮮やかな演出にひたすら感心するしかありませんでした。プログラムでは有名な「沈める寺」が最後でしたが、「緩」ながら壮大なスケールで盛り上がるこの曲をラス前に持ってくるという入れ換えは、大正解だったと思います。

続く「ピアノと管弦楽のための幻想曲」は初期の作品で、初演で第1楽章のみが演奏されようとしたことに立腹して楽譜を差し止めてしまったためお蔵入りし、結局ドビュッシーの死後始めて演奏されたという曰く付きの曲です。確かに若書きだけあって、後の「海」や「映像」で境地に達した交響詩の世界が原石のように垣間見えるものの、まだドイツ的後期ロマン派の色が濃く、スタイルの確立にまだ試行錯誤しているような印象を受ける曲です。フレイレは9月にブラームスの協奏曲2番を聴いています。そのときは軽いフランス物のほうが合っているのでは思ったのですが、結局印象は変わらず、やっぱり生徒にお手本を弾いて聴かせるようなくっきりかっちりとした演奏。フランスらしい柔らかさも印象派的なオブラートも一切ありません。多分運指はめちゃくちゃ上手くて、ピアノをやっている人ならまた聴き方が違うんだろうけど、私には引っかかるものがありませんでした。

そしてメインの「幻想交響曲」、これは実に素晴らしい演奏でした。大好きな曲ですが、本当にクスリをキメてるかのように尋常でないテンションで突き進むミュンシュ/パリ管のレコーディングが自分にとってのリファレンスで、それを凌ぐ演奏はなかなかあり得ないので、ここまで感動的な実演に巡り会ったのは殆ど初めてかもしれない。冒頭の木管からゆっくりと実に丁寧な語り口で、フレーズの繋ぎ一つも疎かにせず組み立てる「作り込み型」の演奏は、まさに私の好み。長い序奏が終ってやっとテーマが出てくると、大胆にギアチェンジして快速に飛ばします。これが予想外に熱い演奏で、ティルソン・トーマスというとクールで学究肌の指揮者だとCDを聴く限りの印象で決めつけていたので、そうかこの人はバーンスタインの愛弟子だったんだ、と思い出しました。そう思って後ろから見ると、白髪混じりの髪型とチラリとのぞく鷲鼻がまさにバーンスタインを彷彿とさせる気がしてきました。

第2、第3楽章と続いても全編これニュアンスの権化のようにきめ細かく音楽を作り込んでいきますが、決してわざとらしくなく、一貫して情熱に溢れています。途中わずかにアンサンブルがずれたり、金管が外したりの事故はありましたが、全編通して縦の線はきびきびと揃っており、舌を巻く統率力です。かつて(1995年まで)首席指揮者を勤めていて、現在も首席客演指揮者の地位にあるとは言え、普段から練習時間を豊富にもらっているわけではないでしょうから、よっぽどリハーサルの効率が良いのと、バトンテクに優れているのでしょう。月並みですが、魔術師、という言葉が浮かびました。一つだけあれっと思ったのは、終楽章でヴァイオリンがちゃんとコル・レーニョ(弓の裏で弦を叩く)をやってなかったことですが、ニコニコ動画にアップされていたサンフランシスコ響とのライブ映像を後で見てみると、そこでもやっぱりコル・レーニョは(少なくとも弓を完全に反転させるようには)やってないっぽく、ここは指揮者の解釈なのでしょう。何故だかはわかりませんが。もちろんそんなことは些末で、最後は金管を思う存分解放して、とてつもない迫力のうちに駆け抜けました。細部のニュアンスにも全体のフォルムにも両方目が行き届いた、たいへん充実した演奏でした。熱烈なスタンディングオヴェーションも納得です。5月のマーラーが非常に楽しみになってきました。


ところでプログラムをパラパラと読んでいて一つショッキングなことが。トランペットのNigel Gommさん、最近名前を見ないなと思っていたら、昨年10月に病気で亡くなっていたんですね。知らなかったです。May his soul rest in peace。

チェコフィル/インバル/ヤムニーク(vc):森そのものの「幻想交響曲」2012/01/28 09:00



2012.01.27 Dvořák Hall (Prague)
Eliahu Inbal / Czech Philharmonic Orchestra
Tomáš Jamník (Vc-1)
Schumann: Concerto for cello and orchestra in A minor Op. 129
Berlioz: Symphonie Fantastique Op. 14

プラハには何度も行ってるのですが、なかなかタイミングが合わなくて、今回ようやく念願かない、本拠地ドヴォルザーク・ホールでチェコフィルを聴くことができました。スメタナ・ホールがアール・ヌーヴォー様式なのに対し、こちらはネオ・ルネサンス様式なんだそうで、私はそのへんの見識はさっぱりですが、ホールの内装は確かに古代の神殿を思わせるゴージャスなものでした。ヨーロッパ最古のコンサートホールの一つだそうで、ウィーン楽友協会と同じく天井の高い箱型をしていますが奥行きはずっと狭く、舞台の頭上にも袖にも反響板らしきものは一切ありません。音響の良いホールとして知られており、確かに良い音はするのですが、私的にはちょっと残響長過ぎ。客席は傾斜のついたストール席と、結構高い位置にあるバルコニー席から成り、どこからも舞台が見やすそうでした。ステージのサイズや客席数から言って、ロンドンだとカドガン・ホールのクラスでしょう。




1曲目はシューマンのチェロ協奏曲。よくドヴォルザークとカップリングになっているチェロ協奏曲の名作ですが、何でか音源を持っておらず、ちゃんと聴くのは今日がほとんど初めて。ということで良し悪しや特徴はあまり語れません。トマーシュ・ヤムニークは1985年生まれの若手チェリストで、幼少からチェコ国内のコンクールを総なめにした後、カラヤン・アカデミーの奨学生に合格し、現在ベルリンフィルの一員として演奏すると同時に、ソリストとしてもヨーロッパや日本で活動中の若手有望株だそうです(プログラムより)。見たところ全然アーティストっぽくない、そのへんにいそうな普通のにいちゃんです。しかし一聴して思ったのは、この人はオケ奏者というよりも全くソリストの素質だな、ということ。超絶技巧をひけらかしたり、完璧さを売りにするキャラではなく、音程を外す場面もまま見られたのですが、その代わりにチェロのよく歌うことといったら!アンコールで弾いたトロイメライも歌心があり、良いものを持っているミュージシャンです。まだ若いから、ベルリンフィルで半分ソリストみたいな人達に囲まれてアンサンブルの修行を積むのは良い経験だと思います。

幻想交響曲はつい数日前にロンドン響で聴いたばかりですが、やはりというか、MTTとはだいぶ個性が違いました。ベルリオーズのスペシャリストとして認知されているインバルのアプローチは、「細かいことはしない」。シューマンでは終始スコアに目を落としつつ振っていたインバルも、得意の「幻想」では当然のごとく譜面台なしです。速めのテンポで開始し、作為的な表情付けなど一切なく、自信を持ってスコアの音を過不足なく再現していきます。第1楽章や第4楽章で主題のリピートを省略したのは、CD時代になってからそんな人がめっきりいなくなってしまったので、かえって新鮮でした(私は「幻想」の反復は冗長に感じる派であり、この判断を支持します)。チェコフィルは、以前聴いたときもそう思ったんですが、低音の響きが本拠地で聴いてもやっぱりイマイチ、腹に来るものがありません。しかし弦アンサンブルの渋い音色と一糸乱れぬ完成度、素朴ながらも深みのある木管の音は相変わらず至高の素晴らしさで、加えて金管は音圧十分なのに実に柔らかい響きを奏で、モダンなロンドンのオケではなかなか真似のできない独特のサウンドを楽しめました。極上のオケを使って堂々とした建造物を目の前に見せ付ける、正に横綱相撲の「幻想交響曲」。その建造物はしかしよく見るとゴシック調のグロテスクな装飾が施され、下手に凝った演出をしなくとも必要十分なだけの躍動感、高揚感、躁鬱感が自ずと湧き出てくるようにできている、これは本当に名曲だなあ、という思いをあらたにしました。なお、終楽章のコル・レーニョはLSOと同様、チェコフィルもちゃんとやってませんでした。最近の解釈ではこれが主流なんですかね?それとも、一流のオケは使っている楽器も高価だから、奏者が嫌がってるんでしょうか。

余談ですが、今日はどちらの曲も、最後の音の残響がある程度引いてから遠慮がちに拍手が始まっていました。演奏中も咳する人が比較的少なくて静かだし、良いマナーです。終演後、写真を撮る人がいなかったので自分も撮りませんでしたが(実は、開演前に場内の写真を撮っていただけで注意されました)、演奏中でも平気で水を飲み(実は、ペットボトルの水を持って入場しようとしたらダメですと注意されました)、場内ではアイスクリームを食べ、冬場は演奏中の咳が絶えず、ブラヴォーはフライング気味で、終演後はフラッシュの嵐、というロンドンの常識に毒されていると、本来のグッドマナーをややもすると忘れがちになりますね。自戒しなければ。