LSO/ゲルギエフ:マーラーのようなチャイコフスキー2011/11/24 23:59

2011.11.24 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Geir Draugsvoll (Bayan-2)
1. Prokofiev: Symphony No. 1 (‘Classical’)
2. Gubaidulina: Fachwerk (concerto for bayan, percussion and strings)
3. Tchaikovsky: Symphony No. 5

10月は結局10回演奏会を聴いて、11月序盤にもバルトークが立て続けに3回という、私としてはいつになくハイペースだったのでちょっと疲れましたが、出張のため2週間ブランクがあいてしまったら、もうずいぶんと久しぶりに音楽を聴く気がするから不思議なものです。

1曲目の「古典交響曲」は今年のプロムスでも同じ組み合わせで聴きました。フル編成、モダン配置のオケを遅めのテンポでぎこちなく操り、全然「古典」らしくないアプローチです。プロコフィエフはあくまでプロコフィエフ、と言うのでしょう。個性的な演奏でした。時差ぼけがまだ抜け切らず、この短い曲でも途中少し寝てしまいましたが、プロムスのときも眠くなったので、時差ぼけよりも好みに合わなかったのが多分眠気の要因でしょう。

2曲目はロシア式アコーディオンのバヤンを独奏にした35分ほどの協奏曲。2009年に発表されたばかりの新作ほやほやです。グバイドゥーリナという女流作曲家は名前からして初めて聴きましたが、現代音楽の作法に寄らず、どちらかというと調性音楽寄りの作風ながら、極めて自由奔放で開放感のある音楽と感じました。バヤンは視覚的にも実にダイナミックな動きのある楽器で、弾き方によってテープ逆回しのような効果もあり、さらにいろいろと特殊奏法を駆使して、単なるアコーディオンの枠を大きくはみ出した不思議な世界でした。バックのオケは先ほどの古典交響曲よりもさらに小さな編成で、決して音がよく通るわけではないバヤンをフィーチャーするにはちょうど良いバランスでしたが、打楽器、特にタムタム(銅鑼)のロールは遠慮のかけらもなく響きまくって、カタストロフィーが全てを洗い流してしまうような終り方でした。まあ、長いし、一回聴いたくらいではようわからん曲です。

メインの「チャイ5」は部活のオケで演奏したことがあり、それこそ聴き飽きるにもほどがあるというくらい繰り返し聴いた曲なので、反動で蛇蝎のごとく敬遠するようになってしまいました。今回は、我らがLSOが先シーズンから連続してチャイコフスキーの交響曲を取り上げてきており、5番も久しく聴いてないなあとふと思って、珍しく聴いてみる気になりました。この曲がゲルギエフの十八番であり、ウィーンフィルを相手にこの曲を振ったライブCDが彼の出世作でもあることから、ゲルギーのチャイ5はさてどんなもんかのう、という興味も大いにありました。

弦楽器は対向配置に変わっていて、ちょうどコントラバスの反対にティンパニが位置します。冒頭、クラリネットが極端に暗く沈んだ音色で、すぐに弦楽器に埋もれて行くので逆に意識がそこに集中し、なかなか巧いやり方です。第1主題が始まってからは、楽譜の指示を大きく踏み外し、テンポを最大限に揺さぶるまるでマーラーのような演奏。9月のチャイ4のときも同様な感じの演奏でしたが、より激しく、イロモノ度はさらに磨きがかかっています。よくオケが振り落とされないものだと感心しましたが、それだけゲルギーとLSOは今密接な関係にあるということでしょう。しかし、そうでなくともチャイ5は甘ったるく感傷的な演奏になりがちな曲で、実際そうなっていたので、少なくとも私の好みではありませんでした。演奏上は楽譜に忠実、質実剛健に、その中でほのかに香ってくるロマンチシズムが特にチャイ5の醍醐味と考えてますので(昔レコードでよく聴いたムラヴィンスキーとか、タイプは違うけどベーム/LSOなんかは好きだったなー)。

デヴィッド・パイアットのホルンソロ(第2楽章)が素晴らしく、後で何度も指揮者に立たされていましたが、他の管楽器、特にオーボエも何気に凄かったです。アンサンブルの妙のみならず、こういった個人芸でも超一流の仕事を見せてくれるのがLSOのニクいところ。個人芸と言えばティンパニのナイジェル・トーマスさんがチャイ4同様チャイ5でも、勝手に音を変え、フレーズを変えのやりたい放題。ちょっと節操ない演奏でしたが、個人的には面白いので今後も注視していきます。