フィルハーモニア管/サロネン:バルトーク「青ひげ公の城」2011/11/03 23:59

旅行やら出張やらで更新の時間がなく、だいぶビハインドしてしまいましたが、徐々にキャチアップして行きます。


2011.11.03 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Yefim Bronfman (P-2)
Nick Hillel (Director-3), Juliet Stevenson (Narrator-3)
Sir John Tomlinson (Bluebeard-3), Michelle DeYoung (Judith-3)
1. Debussy: Prélude à l'après-midi d'un faune
2. Bartók: Piano Concerto No. 3
3. Bartók: Duke Bluebeard's Castle (semi-staged performance)

早いものでフィルハーモニア管のバルトークシリーズもロンドンではこれが最終日。気合いを入れて1年半前に買ったこのチケットも無事日の目をみることができて、よかったです。

1曲目はバルトークではなくドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。サロネンは指揮棒を使わず、重心の低いフルートを軸としてカラフルな粘土でやさしく肉付けしていくような幻想的な演奏でした。手馴れた感があったのでこのコンビの十八番なんでしょうね。まずはお洒落なアペリティフで軽くジャブ、といったところです。

ピアノ協奏曲第3番は、1番2番とはがらっと曲想の違うこの曲をブロンフマンがどう料理するか興味津々だったのですが、くっきりと切り立ったピアノがカツカツと前面に突出し、ここでもやはり妥協のない即物的な演奏に終始していました。バルトークなのでこういう解釈はありですが、コチシュほどの硬質さもなくちょっと中途半端なピアノ。展開がギクシャクとしていて乗りきれず、あまり好きな曲じゃないのかも。もちろんめちゃめちゃ上手いのですが、こういうテクニカル的には平易な曲だとかえってミスタッチが耳についたり、我らがアンディさんもティンパニのリズムを間違えたりして、面白いもんです。我らが全体の流れと起伏をうまく彫りだす説得力では、夏のプロムスで聴いたシフのほうが何枚か上手であるなあと感じました。

メインの「青ひげ公」はstaged performanceということで、実は演奏会の最初から、ビデオを投影するためのスクリーンと何だかよくわからないオブジェが設置されていました。団員が出てくるのと一緒に、よく見るとすでにサロネンもヴァイオリンの中に座って談笑しています。


照明が落ち、ナレーターが静々と出てきて「Once upon a time...」と英語で前口上を語り始めました。息子ペーター・バルトークによる完全版スコアに新版英訳が付いてから英語の前口上は珍しくないですが、 これは吟遊詩人という役どころなので女性のナレーターはたいへん珍しく、「青ひげ公」のCDは目に付けば手当たり次第買い集めている私も、初めて聴きました。本編の歌は原語なんだし、やっぱり私はハンガリー語でテンション高く「Hay rego reitem...」と始まってくれないと、どうも調子が狂ってしまいます。

前口上が終わると歌手の二人も左からそろりそろりと登場。トムリンソンは英国人なのに「青ひげ公」を得意としていて、CDも何種類か出ていますが、良く響く低音はさすがに貫禄十分。ただし、調子が万全ではなかったのか歌が多少粗っぽかったのと、演技過多なのはいただけません。また、外見があまりに「老人」なのもマイナスでした。青ひげ公はユディットを愛し、絶望し、血の涙を流し、最後は冷徹に葬るのですが、感情を表に出さず凛とした抑制がキャラの命です。 やけにはしゃいだような演出、やたらに芝居がかった歌は基本的にNGと私は主張します。しかし、粗いとは言え、ポルガール・ラースロー亡き後、これだけの自信と貫禄で青ひげ公を歌える人は他にいないのも事実。ハンガリーから誰か若手が奮起して出てくれることを期待します。


(ネットで拾ってきた写真ですが出所がどこだったか失念、すいません)

ユディット役は当初ミーシャ・ブルガーゴーズマンというクロスオーヴァー系の米国人黒人歌手が歌う予定でしたが(それはそれでどんなものになるか想像もつかず、是非聴きたかったですが)、妊娠が発覚したとのことでツアーはキャンセル。代役はマーラーシリーズで何度か登場したミシェル・デヤング。正直期待はしてなかったですが、意外とハンガリー語の発音もがんばって、よく歌っていました。トムリンソンが突出していた分、かえってバランスは良かったと思います。二人に共通するのは、歌のフレーズの立ち上がりにはもちろん気を使っているんでしょうが、時々アタックが弱くハンガリー語のリズムとして違和感のある箇所がいくつもありました。

ビデオはシンプルでシンボリックなものでしたが、正直、あまり出来が良くないと感じました。歌手を邪魔しないという意味ではよかったですが、もっと多数のアイデアをぶちこんでもよかったのではないかなあ。真ん中の意味不明オブジェは途中で動いて形を変えるのですが、モーター音がうるさく、こっちは明らかに邪魔になっていました。

サロネンのテンポは終始、極端に遅めで、歌手はさぞ歌いにくかったのでは。一方でサロネンの芸風らしからぬ粘りとポルタメント多用で、だいぶ濃厚な表現に なっていたのは、歌手の熱気に引きずられたところもあったのかもしれません。そのわりには、この曲で私の一番好きな箇所、最後の扉を開けて「一人目の妻は」「二人目の妻は」と歌ううちに二人の間に流れる空気がさっと変わっていく心理表現が、重苦しいだけで機微に乏しかったのはちょっと残念でした。

いろいろ文句も言いましたが、バルトークの最高傑作にして20世紀を代表するオペラ(は言い過ぎか)、「青ひげ公の城」を実演で聴く機会はそう多くないので、今年は2回も聴けて、もうそれだけで満足感いっぱいなのです。


コメント

_ つるびねった ― 2011/11/21 08:48

流石、バルトーク好きのMiklosさん。
わたしにはよく分からない音楽を見事に解説してくださってる。やっぱりハンガリー語のイントネイションって大切なんですね。わたしはハンガリー語をちっとも分からないので、意味の分かる英語でもいいなんて思ってましたが、ちゃんと聴く耳を持てばそうではないんですね。
オブジェはうるさかったのですか。わたしは後ろの方に座っていたので全然気がつきませんでした。のんきにかっこいいなぁと思って見てました。

_ Miklos ― 2011/11/22 09:46

つるびねったさん、更新滞っていてすいません。ハンガリー語は全ての単語で頭にアクセントがあるという一種独特なリズムを持っていますので、フレーズの頭を弱く歌い出したり、ポルタメントでずり上げたりする歌い方をハンガリー語の歌でやられるとかなり違和感を覚えます。もちろん歌手もそんなことは百も承知でハンガリー語を歌っているとは思うのですが、どうしてもクセで出てしまうのでしょうね。
真ん中のオブジェはけっこう「キーン」と音を立てていて、特に一番最後の弱音にフェードアウトしていくところでまだ「キーン」と鳴っていたので、「今すぐモーターを止めろ!」とつい怒ってしまいました。

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