フィルハーモニア管/サロネン:バルトーク「青ひげ公の城」2011/11/03 23:59

旅行やら出張やらで更新の時間がなく、だいぶビハインドしてしまいましたが、徐々にキャチアップして行きます。


2011.11.03 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Yefim Bronfman (P-2)
Nick Hillel (Director-3), Juliet Stevenson (Narrator-3)
Sir John Tomlinson (Bluebeard-3), Michelle DeYoung (Judith-3)
1. Debussy: Prélude à l'après-midi d'un faune
2. Bartók: Piano Concerto No. 3
3. Bartók: Duke Bluebeard's Castle (semi-staged performance)

早いものでフィルハーモニア管のバルトークシリーズもロンドンではこれが最終日。気合いを入れて1年半前に買ったこのチケットも無事日の目をみることができて、よかったです。

1曲目はバルトークではなくドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。サロネンは指揮棒を使わず、重心の低いフルートを軸としてカラフルな粘土でやさしく肉付けしていくような幻想的な演奏でした。手馴れた感があったのでこのコンビの十八番なんでしょうね。まずはお洒落なアペリティフで軽くジャブ、といったところです。

ピアノ協奏曲第3番は、1番2番とはがらっと曲想の違うこの曲をブロンフマンがどう料理するか興味津々だったのですが、くっきりと切り立ったピアノがカツカツと前面に突出し、ここでもやはり妥協のない即物的な演奏に終始していました。バルトークなのでこういう解釈はありですが、コチシュほどの硬質さもなくちょっと中途半端なピアノ。展開がギクシャクとしていて乗りきれず、あまり好きな曲じゃないのかも。もちろんめちゃめちゃ上手いのですが、こういうテクニカル的には平易な曲だとかえってミスタッチが耳についたり、我らがアンディさんもティンパニのリズムを間違えたりして、面白いもんです。我らが全体の流れと起伏をうまく彫りだす説得力では、夏のプロムスで聴いたシフのほうが何枚か上手であるなあと感じました。

メインの「青ひげ公」はstaged performanceということで、実は演奏会の最初から、ビデオを投影するためのスクリーンと何だかよくわからないオブジェが設置されていました。団員が出てくるのと一緒に、よく見るとすでにサロネンもヴァイオリンの中に座って談笑しています。


照明が落ち、ナレーターが静々と出てきて「Once upon a time...」と英語で前口上を語り始めました。息子ペーター・バルトークによる完全版スコアに新版英訳が付いてから英語の前口上は珍しくないですが、 これは吟遊詩人という役どころなので女性のナレーターはたいへん珍しく、「青ひげ公」のCDは目に付けば手当たり次第買い集めている私も、初めて聴きました。本編の歌は原語なんだし、やっぱり私はハンガリー語でテンション高く「Hay rego reitem...」と始まってくれないと、どうも調子が狂ってしまいます。

前口上が終わると歌手の二人も左からそろりそろりと登場。トムリンソンは英国人なのに「青ひげ公」を得意としていて、CDも何種類か出ていますが、良く響く低音はさすがに貫禄十分。ただし、調子が万全ではなかったのか歌が多少粗っぽかったのと、演技過多なのはいただけません。また、外見があまりに「老人」なのもマイナスでした。青ひげ公はユディットを愛し、絶望し、血の涙を流し、最後は冷徹に葬るのですが、感情を表に出さず凛とした抑制がキャラの命です。 やけにはしゃいだような演出、やたらに芝居がかった歌は基本的にNGと私は主張します。しかし、粗いとは言え、ポルガール・ラースロー亡き後、これだけの自信と貫禄で青ひげ公を歌える人は他にいないのも事実。ハンガリーから誰か若手が奮起して出てくれることを期待します。


(ネットで拾ってきた写真ですが出所がどこだったか失念、すいません)

ユディット役は当初ミーシャ・ブルガーゴーズマンというクロスオーヴァー系の米国人黒人歌手が歌う予定でしたが(それはそれでどんなものになるか想像もつかず、是非聴きたかったですが)、妊娠が発覚したとのことでツアーはキャンセル。代役はマーラーシリーズで何度か登場したミシェル・デヤング。正直期待はしてなかったですが、意外とハンガリー語の発音もがんばって、よく歌っていました。トムリンソンが突出していた分、かえってバランスは良かったと思います。二人に共通するのは、歌のフレーズの立ち上がりにはもちろん気を使っているんでしょうが、時々アタックが弱くハンガリー語のリズムとして違和感のある箇所がいくつもありました。

ビデオはシンプルでシンボリックなものでしたが、正直、あまり出来が良くないと感じました。歌手を邪魔しないという意味ではよかったですが、もっと多数のアイデアをぶちこんでもよかったのではないかなあ。真ん中の意味不明オブジェは途中で動いて形を変えるのですが、モーター音がうるさく、こっちは明らかに邪魔になっていました。

サロネンのテンポは終始、極端に遅めで、歌手はさぞ歌いにくかったのでは。一方でサロネンの芸風らしからぬ粘りとポルタメント多用で、だいぶ濃厚な表現に なっていたのは、歌手の熱気に引きずられたところもあったのかもしれません。そのわりには、この曲で私の一番好きな箇所、最後の扉を開けて「一人目の妻は」「二人目の妻は」と歌ううちに二人の間に流れる空気がさっと変わっていく心理表現が、重苦しいだけで機微に乏しかったのはちょっと残念でした。

いろいろ文句も言いましたが、バルトークの最高傑作にして20世紀を代表するオペラ(は言い過ぎか)、「青ひげ公の城」を実演で聴く機会はそう多くないので、今年は2回も聴けて、もうそれだけで満足感いっぱいなのです。


ブダペスト祝祭管/フィッシャー:バルトークホールでバルトーク2011/11/06 23:59


2011.11.06 Béla Bartók National Concert Hall (Budapest)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
Zoltán Fejérvári (P-2)
1. Bartók: Hungarian Peasant Songs
2. Bartók: Piano Concerto No. 1
3. Schubert: Symphony No. 5 in B-flat major
4. Tchaikovsky: Romeo and Juliet - Fantasy-Overture

3日前に「青ひげ公」を聴いた後、休暇で1年ぶりのブダペストに行ってバルトークコンサートホールでまたまたバルトークを聴く、我ながら「バルトーク三昧」してます。

このホールに来るのは実に4年半ぶり。悪かったアクセスが改善されていないのは最初からわかっていたので、お出かけはレンタカーで。地下駐車場の夜の無料開放がまだ続いていたのは嬉しかったです。ホールの中はカフェバーとインフォメーションが場所を交換していたり、ボックスオフィスがCDショップになっていたり、また外壁の原色ピカピカ照明がなくなっていたりと、微妙にいろいろと変わっていました。ホール内の内装は変わらず赤青の原色パネルが目を引き、座席はちょっと高めの背もたれに少々圧迫感がありますが、このあたりは懐かしいもんです。




開演前、オケの練習風景とソリストのインタビューを収録した宣伝用ビデオが上映されていました。その中で別の日のソリストが「コチシュとフィッシャー/ブダペスト祝祭管のバルトークが自分の目標だった」というようなことを話しており、祝祭管の演奏会でコチシュの名前を聞いたのが新鮮でした(コチシュはこのオケの創設者の一人でありながらフィッシャーと対立して飛び出し、それ以降客演していないのはもちろん、何かと言えば目の敵にしています)。


フィッシャーとブダペスト祝祭管はロンドンに来てから何度か聴いていますが、じっくりと丹念に音楽を作り込んで行くタイプのオケなので、やはりホームで聴くのが吉です。1曲目の「ハンガリーの農民歌」は実に骨太の弦アンサンブルが歌わせ方の隅々までハンガリーのイントネーションで首尾一貫して奏で、木管・金管は非常に素朴な音色で田舎の香り付けをし、のっけからその彫りの深さに参りました。ホールの程よく長い残響も健在で、故郷に戻ってきたような懐かしさを感じました。

ピアノ協奏曲、元々は3回ある定期演奏会のうちコンチェルトだけ日替わりで全3曲をシフ・アンドラーシュが演奏するという、今シーズンの目玉企画だったわけですが、1月にシフが政治的理由で祖国との決別宣言をしたためにキャンセルとなってしまい(決別と言ってもオケとは良好な関係が続いているので、これに先立つ米国ツアーでは予定通りシフが帯同して3曲とも弾いていたようですが)、結局3曲各々に別の代役ソリストを立てました。この日のコンチェルトは第1番、ソリストはフェイェールヴァーリ・ゾルターンというハンガリー人の若者だったのですが、この抜擢は彼にはちょっと荷が重過ぎたようでした。音がスカスカに軽く、まるでシューベルトでも弾くかのようになめらかなのは良いとしても、オケに着いていくのが精一杯の平板なピアノでした。いかにもこの曲を(もしかしたらバルトーク自体を)弾き慣れていないのがありあり。一方のオケは、打楽器群を指揮者の目の前に置くという、これはフィッシャーのみならず誰でもやっている定番の配置ですが、さすがに十八番でアクセントの付けどころ、リズムの強調しどころを知り尽くした濃厚な伴奏。最後のコーダではピアノが半ば脱落していたし、まだ若いとはいえ、ちょっと気の毒に感じる飲まれっぷりでした。曲名はわかりませんが、アンコールで弾いていた穏やかなピースを聴くに、この人は元々デリケートで叙情的な演奏が持ち味で、ならばせめて1番ではなく3番を当ててあげればよかったのになあ主催者も人が悪い、と思ってしまいました。まあ何事も経験あってのキャリアですから、彼もハンガリー人ならばこうやってある意味贅沢な洗礼を受けたのは、今後の成長に必ずプラスとなることでしょう。

休憩後のシューベルト第5番は、ミニマルで端正な古典交響曲の外見を保ちながらもロマン派の優美さがそこはかと漂ってくる、品のある佳曲です。さすがは「仕掛けのイヴァーン」、よく見るとチェロとコントラバスは定位置におらず、他の弦楽器の中に混ざって分散しています。低音が程よく分散する他に、お互いの音が聴きやすくなるというメリットがあるようですが、効果はあくまで微妙なものでした。それよりも一呼吸一呼吸がいちいちよく練り込まれたフレージングはまさにこのコンビならではの完成度で、たいへん歌心のある演奏でした。

最後のチャイコフスキー「ロメジュリ」では、今度はハープ奏者(美人!)が指揮者の目の前に置かれ、メリハリの利いた展開でぐいぐいと押し進めます。とは言え第二主題では速めのテンポでホルンを強調しない淡白さを維持し、甘ったるいチャイコフスキーに陥るのを食い止めていました。音が太くて適度に華美な好演だったのですが、米国ツアーの直後でお疲れモードだったのか、シンバルが派手にリズムを外して脱落したのはプロにしては珍しい事故でした。

やはりこのオケとホールは相乗効果で素晴らしいものであることを再認識できました。またこのホールで聴く機会があればと思いますが、旅行ベースだとなかなかタイミングが合わなくて…。次は3月のロンドン・ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、曲目はスペイン交響曲とシェエラザードです。

LSO/チャン/デイヴィーズ(fl):バルトークは続くよどこまでも2011/11/09 23:59


2011.11.09 Barbican Hall (London)
Xian Zhang / London Symphony Orchestra
Gareth Davies (Fl-2)
1. Bartók: The Miraculous Mandarin - Suite
2. Nielsen: Flute Concerto
3. Zemlinsky: Die Seejungfrau (The Mermaid)

ブダペスト旅行から帰ってきても、やっぱりバルトーク。とりあえずこれで一段落ですが。この演奏会のチケットを買ったのも、ひとえにバルトークが目当てでした。「中国の不思議な役人」は何度も聴いて(見て)いるお気に入りの演目ですが、そこそこ人気があるはずの組曲版を何故か実演で聴いたことがなかったのです。今日の指揮者は中国人のチャン・シエン(張弦)、女性の若手です。中国人名のカタカナ化はけっこう難しく、PMFのWebサイトでは「シャン・ザン」となっていました。小柄な身体ながら非常にわかりやすそうな指揮をする人で、変拍子も極めて明解に振っていました。ならず者たちに客を取らされている少女が道ゆく男を誘う場面のクラリネットのカデンツ風ソロまで細かく棒を操っているのには、そこまでせんでも、と思ってしまいました。しかし、この場面を含めて全体的にいかがわしさがよく出ていたし、リズムにもキレがあり、なかなか変態チックな好演でした。

2曲目のニールセンは全く初めて聴く曲でした。ちょっと変わった雰囲気の曲で、金管はトランペットを欠いてホルン2本にトロンボーン1本。クラリネットやトロンボーンがソロイスティックに活躍し、フルートにしつこく絡んでいきます。ティンパニもドカドカとうるさく、フルートの主役の座は常に脅かされており、むしろ影が薄いと言ってもよい状態。張さんはこの小編成の曲をふわりと軽めにまとめて、さっきとは違う面を見せていました。

メインはツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」という、これまたドマイナーと言ってよい選曲。冒頭はドビュッシーのように見せかけといて、実はリストからリヒャルト・シュトラウスへと繋がるドイツ交響詩の王道に乗った、聴き応え十分の力作でした。途中チャイコフスキーのような旋律も聴かれ、かなりロマンチックな曲です。アンデルセンの童話をベースにしていますが、メルヘンチックではなく複雑な響きをすっきりと整理した、見通しのよい直線道路のような演奏でした。ただ、先のニールセンもそうですが、ここまで馴染みのない曲だと演奏を論評するのもはばかられますので、どうかこのへんでご勘弁。

客入りは今までLSOを聴きにきた中でも極端に悪く、上階の席は本当にお寒かったです。このマニアックなプログラムではいたしかたなしですか。指揮者はなかなか器用な人で、将来有望な若手であることは間違いないと感じました。調べるといつもこんな感じのマイナーなプログラム路線を猪突猛進している人みたいで、これが出来てしまうのはある意味LSOの懐の深さも凄いわけですが、ニッチ市場向けで終わってしまってはもったいない、どこかで殻を破る必要があるんじゃないかと僭越ながら思ってしまいました。


ブダペストのレストラン2題:KehliとBorsso2011/11/10 23:59

話は前後しますが、前述の通り一年ぶりにブダペストへ旅行してました。

まずは前回行けなかったハンガリー料理の老舗レストラン、Kehliへ。


1899年の開店以来、内装はほとんど変わっていないそうです。共産主義時代よりさらに前の、古き良きころのハンガリー。照明の影響で、私のカメラのオート設定ではどうしても黄色く写ってしまいますが(マニュアルモードでもうまく調整できず、面倒くさくて結局オートのままです)、ご勘弁を。


定番の名物料理、レバー団子のホットポット(スープ)と牛の骨髄。前々回行ったときは骨髄が生煮えで「ケーリー、お前もか」とがっかりしたのですが、今回はそんなことはなく、良い味の出たコンソメスープ、とろりと濃厚な骨髄を懐かしく堪能させてもらいました。


ハンガリーじゃないと高くてなかなか頼む気にならない、フォアグラのソテー、焼きリンゴとマッシュポテト添え。大きな切り身が3つは見た目以上にお腹にずっしり来ます。


妻はビーフステーキのフォアグラ乗せ、リヨン風フライドオニオン添えを選択。この取り合わせはたいへん美味く、我々みたいに胃袋がハンガリー化してしまった人だけじゃなく、日本からのお客さんにもオススメですが、全部たいらげたら相当なカロリーになるのは必至ですのでご注意ください(まあ、たいらげる日本人を見たことがあまりありませんが)。


デザートは秋の風物詩、栗のピューレ。栗をつぶして味を整えピューレにし、生クリームを乗せただけのシンプルなスイーツですが、これぞ自然の恵み、素朴な味わいにほっとします。日本でもイギリスでも栗の季節には自宅で作れるのが高ポイントです。手間はかかりますが。


給仕のおばさん、ジプシー楽団のおじさんたちも皆昔のままで、故郷に帰ってきた気分でほっとします。よく見るとお客は常連というよりは国内外の観光客が多いですが、それにしてもこのアットホームな雰囲気は、このレストランの長い伝統のなせる技だと思います。


所変わって、別の日、Borssó Bistroという創作モダン・ハンガリアンのお店で友人とランチ。ここに来るのは2回目ですが、繁華街からちょっと離れて、知る人ぞ知るという感じの、しかし雰囲気の良いお洒落なプチレストランです。


この日のランチメニューはポテト肉詰めということで、トルトット・パプリカ(ハンガリー家庭料理のパプリカ肉詰め、トマトソース煮込み)のようなものを想像したのですが、出てきたのは果たして、ずいぶんと洗練されたクリームソースのかわいらしい一品。中身はホルトバージ・パラチンタと同様のチキンのほぐし肉でした。


男性だと量的には物足りませんが、夜が控えているのでランチは軽く済ませたいときなどには(それでなくともハンガリー料理はヘヴィーなので)ちょうどよいのではないでしょうか?もちろん味は洗練されてますし、夜は夜でワインも豊富に置いてあるので、ちょっと気取ったひとときにも最適かも。

ブダペストのスイーツ2題:レーテシュハーズとマローディ・ツクラースダ2011/11/11 23:59

ブダペスト旅行の続き。

ランチを取ろうと「10月6日通り」をぶらぶら歩いているときにふと目に入ったのが、Első Pesti Rétesház


意味は「ペシュト地区で最初のレーテシュ(シュトゥルーデル)ハウス」。そう言えばスイーツ好きのハンガリー人の友人に噂話を聞いたような気もするけど、私がこの店のことを知らなかったのも当然で、名前からして100年以上の歴史を誇る超老舗かと思いきや、開店は2007年とのこと。めっちゃ新しいやん。ただし建物はナポレオンのロシア遠征の時期の1812年に建てられたもので、内装にも凝ってハンガリーの伝統を後世に残すというコンセプトがあるみたいです。

しかし、開店が2007年と聞くと気になるのが、「ここ以前にペシュト側には本当にレーテシュハウスはなかったのか?」ということ。実際、ブダ側には王宮の近くにレーテシュ屋さんがありましたし、確認のしようがないものの、1件だけでは絶対にないはず。1812年創業ならともかく2007年開店で「ペシュトで最初の」というのはだいぶ眉唾の気もしますが、まあ、味が良いなら、細かいことは気にしないことにしましょう。

レーテシュとドイツ語圏(特にオーストリア)のシュトゥルーデルは基本的に同じものです。元々このあたりの地域で広く食されていた伝統菓子で、どちらがルーツということはないそうですが、ハンガリーのレーテシュにはサワーチェリー、ケシの実、羊のカッテージチーズといった地域特有の材料を使ったものがいろいろあり、バラエティに富んでいます。また、甘いものだけでなくキャベツが入ったレーテシュもあります。



レーテシュを巻いて焼くところはオープンキッチンになっていて、手慣れたおじさんが目にも止まらぬ早さで生地を薄く伸ばして、具材を乗せてくるくるっと巻いていき、あっというまにオーブン行き。


定番のアルマーシュ(リンゴ)レーテシュ。要はアプフェル・シュトゥルーデルですが、ウィーンで食べるよりも生地が薄くてさくっとして、リンゴは甘すぎずほどよい酸味が残って、なかなかレベルの高いレーテシュでした。ランチに入ったので、実はレーテシュはこれしか食べてません。本当はハンガリー産のサワーチェリーが食べたかったのですが品切れでした。

10月6日通りは観光客がよく通る場所ではないので、お客は地元の人か、団体客でした。奥の部屋ではレーテシュ作りの実演や体験もできるプログラムがありました。写真は撮り損ねましたがランチのハンガリー料理も美味しかったです。店の雰囲気や接客態度もよく、ローカル相場より値段は高めですが、レストランとしてもオススメできるお店です。



もう一つ、スイーツ好きのハンガリー人の友人が最近Wall Street Journalを読んでいたら「今ブダペストで最高のクレーメシュ・セレト(クリーム入りの四角いケーキ)が食べられるお店」という紹介記事を見つけたので、と、誘われて行ったMaródi cukrászdaというケーキ屋。マルギット橋のすぐ近くのペシュト側にあります。


これがその噂のクレーメシュ・セレト。懐かしい、素朴な味わいです。私にはハンガリアンスイーツの良し悪しはよくわからんのですが、彼は家族の分も後で持ち帰りで買っていたので、評判通り美味しかったんでしょう。


私が選んだのはトゥーロシュ(羊のカッテージチーズ)・セレト。これもほどよい甘さ。セレトは素朴過ぎて違いがよくわからず、正直あまり好んで食べなかったし、甘過ぎるのはNG、くらいの判断基準しか持ち合わせてないですが、これはなかなか良かったです。


こちらはジェルボー・セレト。うーん、これは私には甘過ぎるかな…。ブダペスト旅行で歩き過ぎて疲れたときは、こういう素朴なスイーツもよいのではないでしょうか。

ブダペストのリスト・フェレンツ空港(旧フェリヘジ空港)2011/11/12 23:59

ブダペスト唯一の国際空港はかつて「フェリヘジ空港」と呼ばれていましたが、ハンガリー人(でもハンガリー語は話せなかった)作曲家リストの生誕200年を記念して、今年3月に「リスト・フェレンツ空港」と名称変更されました。

ターミナル2Aと2Bの間に、巨大な吹き抜けのショッピングモールができていたのは驚きました。昔のフェリヘジしか知らない人が下の写真を見たら、とてもブダペストの空港とは毛先ほども思わないでしょう。


何だか、すっかり西側先進国の空港みたいになっちゃってます。この財政危機の中、そんなお金がどこにあった?しかし、搭乗ゲートは昔のまま、天上の低い圧迫感のあるスペースでした。

秋葉原・上野散策2011/11/13 23:59

先々週、中国出張の前に少しだけ日本に立ち寄りました。散策というほど大げさなものじゃないんですが、自分の記録のために、多少写真を。


秋葉原の名物、九州じゃんがららあめんに超久しぶりに行ってみました。かつては秋葉原に買い物に行く度に、行列に並んで食べたものです。オーダーは定番の「全部入り」。もちろん替え玉も追加で。


(九州じゃんがらのWebサイトより)

ロンドンは何でもあるのに、マグロの刺身なんか、へたすりゃ日本の普通のスーパーよりずっと良いものが手に入ったりするのに、何でまともなラーメン屋がないのだろうと、いつも残念に思います。特にこういった九州豚骨系は、切望している人は多いと思うんですけどねえ。

アメ横で買い物をしたかったのですが、目当てのものが見つからず。汗ばむくらいに天気が良かったので、上野公園をちょっとお散歩。


国立西洋美術館の中には入らなかったのですが、外にある彫刻をぷらぷらと見ていて、ロダンの「カレーの市民」にふと目が止まりました。これと同じものを最近見たぞ、と思ってフォトアルバムを探してみたら、去年行ったバーゼルの市立美術館でした。


これがバーゼル市立美術館のほうです。「カレーの市民」はオリジナルの鋳型から12体の像が作られ、一つはロンドンのウェストミンスター宮殿(つまり国会議事堂)のヴィクトリア・タワー・ガーデンに置いてあるそうです。(一般公開してるのかな?)


東京文化会館の楽屋口には、今なおベーム、ムラヴィンスキー、ブレンデル、カラスといった伝説の人々の写真が飾られています。表に回ると、開館50周年記念のガラコンサートや記念オペラ公演(黛敏郎の「古事記」)の派手な宣伝が目を引きました。もう終ったころですかね。


ご存知、西郷どんの像。あらたまって見るのも、凄く久しぶりですね。周囲は改装工事中でしたが像だけは辛うじて見学可能になっていました。

初めての中国2011/11/18 23:59

出張で初めて中国の土を踏みました。瀋陽、北京、唐山、蘇州、上海を回る結構な強行スケジュール。


瀋陽(Shenyang)は晴天に恵まれましたが、空気が乾燥していて、非常にホコリっぽい。11月にしてすでに夜には氷点下になるくらい寒かったです。市街地こそ上の写真のように高層ビルや公共施設の建設ラッシュでしたが、中心を少し離れるとビルや店舗がとたんにボロボロでみすぼらしくなり、郊外にちょっと出たら、そこはもう映画でしか見たことがなかった中国のド田舎風景。今にもくずれそうな平屋の建物、道路を堂々と走るリヤカー、車道を堂々と悠然と歩く人々、車線にまたがるように走り、クラクションで道を開けさせようとする車…。空気の悪さと相まって、ちょっとしたカルチャーショックでした。


唐山(Tangshan)では寒さは和らいでいましたが、ずっと天気が悪く、空気は瀋陽よりもさらに悪かったです。地元の人は「霧」と言ってましたがどう見てもスモッグのため視界が悪くなり、高速道路が閉鎖されていました。交通マナーの無秩序ぶりも輪をかけてひどかったです。日本料理屋は市内に1件くらいしかなく、食材等日本のものの入手も困難な様子で、日本人が住むにはタフな環境だと思います。


上海(Shanghai)まで行くと気候はがらっと変わって蒸し暑く、町並みの雰囲気も一変します。上海の「大都会度」は全く東京のよう、というか、高層ビルはむしろ東京よりも多いかもしれません。和食、居酒屋、本・CD屋、コンビニ、日本人が生活で必要とするものはほとんど何でもありそうで、日本も近いし、ここなら駐在員もずいぶんと過ごしやすいでしょうね。

今回町を散策するような自由時間はほとんどなかったのですが、上の写真は虹橋珍珠城(Hong Giao Int'l Pearl City)というショッピングモール。地元の人は「ニセモノデパート」と呼んでいました。中には小さい店舗がひしめき合っており、庶民的な店もあれば、どう見ても正規代理店には見えないのに「ブランド品」を揃えたショップもあり、怪しさ満載。Cath Kidstonのバッグも置いてあり、タグにはORIGINAL LONDONの文字も見え、値札にはそれなりの値段が張ってありますが、この10分の1くらいまで値切るのが相場らしいので、何のことはない、やっぱりコピー商品なわけです。私も含め、素人はころりとだまされてしまうできのよさです。

上海は交通マナーも道路インフラも北のほうと比べたら至ってマトモ、ちゃんと秩序があります。ただ恐かったのは、大きい交差点で歩行者横断歩道の信号が青なのに、それと直交する方向の車の右折信号(中国は右側通行です、念のため)も堂々と青になっていること。歩行者優先という概念が全くないと見えて、横断歩道を人が渡っていても車が躊躇なく突っ込んで来るので、危ないったらありゃしない。あれでは事故が絶えないでしょう。両方青というのはさすがにマズくないか?と思ってしまうのは、交通サバイバルという意味ではぬるま湯の日本やイギリスに慣れ切っているからでしょうか。

今回中国で一番印象的だったのは、料理。昔から中華料理は好きでしたが、あれは美味いだの不味いだのいろいろ言ってきても、結局本場の中国で食べたというリファレンスがないことがコンプレックスになっていました。一方、海外でいかにも中国人がやっている中華料理屋でとんでもないものが多々あることもわかってきて、これなら自分には横浜中華街の料理が一番美味しく思える、本国の中華料理など一生知らないほうが、がっかりしないでよいのかもしれない、などとも考えていました。今回は重役と一緒に各所を回る出張だったので、行く先々で最高レベルの歓待を受け、ご馳走になった料理のいちいち美味しかったことと言ったら!本場のハイレベルの中華料理はたいへん鮮烈なものでした。日本だと味覚に合わせて抑え気味に使う茴香や香菜もふんだんに使用し、山羊汁のように日本やイギリスではほとんどお目にかかれないローカル料理もあり、半ば仕事を忘れて食いモードになってしまいました。

こういった酒宴の席で決まって行われるのが、白酒(バイジュウ)という50度くらいのスピリットをストレートで小さいグラスに入れ、干杯(カンペイ)と唱和して一気に飲み干すという、いわゆる「白酒乾杯攻撃」。中国人にこれの好きな人が必ずいて、中国に出張する人は最初にその洗礼を受け、つぶれるまで帰してもらえない、という話を聞いていたのですが、ハンガリーでパーリンカ乾杯攻撃を生き延びてきたおかげか、意外と平気で飲めました。むしろ、多分非常に良い白酒を出してくれたんでしょう、とても美味しいと思いました。ある日のランチで、中国に慣れている重役が「白酒は無しだからな」と事前に中国側に言っておいたところ、それならワインにしましょうということで赤白ワインがしこたま用意され、ワイングラスで、やっぱりカンペー、カンペーでした。いくらワインでも、白酒の4倍の容積を飲めばアルコール摂取量は同じなわけで、蒸留酒じゃない分むしろたちが悪い。つぶれはしなかったですが、そのランチの飲みが一番堪えました。

LSO/ゲルギエフ:マーラーのようなチャイコフスキー2011/11/24 23:59

2011.11.24 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Geir Draugsvoll (Bayan-2)
1. Prokofiev: Symphony No. 1 (‘Classical’)
2. Gubaidulina: Fachwerk (concerto for bayan, percussion and strings)
3. Tchaikovsky: Symphony No. 5

10月は結局10回演奏会を聴いて、11月序盤にもバルトークが立て続けに3回という、私としてはいつになくハイペースだったのでちょっと疲れましたが、出張のため2週間ブランクがあいてしまったら、もうずいぶんと久しぶりに音楽を聴く気がするから不思議なものです。

1曲目の「古典交響曲」は今年のプロムスでも同じ組み合わせで聴きました。フル編成、モダン配置のオケを遅めのテンポでぎこちなく操り、全然「古典」らしくないアプローチです。プロコフィエフはあくまでプロコフィエフ、と言うのでしょう。個性的な演奏でした。時差ぼけがまだ抜け切らず、この短い曲でも途中少し寝てしまいましたが、プロムスのときも眠くなったので、時差ぼけよりも好みに合わなかったのが多分眠気の要因でしょう。

2曲目はロシア式アコーディオンのバヤンを独奏にした35分ほどの協奏曲。2009年に発表されたばかりの新作ほやほやです。グバイドゥーリナという女流作曲家は名前からして初めて聴きましたが、現代音楽の作法に寄らず、どちらかというと調性音楽寄りの作風ながら、極めて自由奔放で開放感のある音楽と感じました。バヤンは視覚的にも実にダイナミックな動きのある楽器で、弾き方によってテープ逆回しのような効果もあり、さらにいろいろと特殊奏法を駆使して、単なるアコーディオンの枠を大きくはみ出した不思議な世界でした。バックのオケは先ほどの古典交響曲よりもさらに小さな編成で、決して音がよく通るわけではないバヤンをフィーチャーするにはちょうど良いバランスでしたが、打楽器、特にタムタム(銅鑼)のロールは遠慮のかけらもなく響きまくって、カタストロフィーが全てを洗い流してしまうような終り方でした。まあ、長いし、一回聴いたくらいではようわからん曲です。

メインの「チャイ5」は部活のオケで演奏したことがあり、それこそ聴き飽きるにもほどがあるというくらい繰り返し聴いた曲なので、反動で蛇蝎のごとく敬遠するようになってしまいました。今回は、我らがLSOが先シーズンから連続してチャイコフスキーの交響曲を取り上げてきており、5番も久しく聴いてないなあとふと思って、珍しく聴いてみる気になりました。この曲がゲルギエフの十八番であり、ウィーンフィルを相手にこの曲を振ったライブCDが彼の出世作でもあることから、ゲルギーのチャイ5はさてどんなもんかのう、という興味も大いにありました。

弦楽器は対向配置に変わっていて、ちょうどコントラバスの反対にティンパニが位置します。冒頭、クラリネットが極端に暗く沈んだ音色で、すぐに弦楽器に埋もれて行くので逆に意識がそこに集中し、なかなか巧いやり方です。第1主題が始まってからは、楽譜の指示を大きく踏み外し、テンポを最大限に揺さぶるまるでマーラーのような演奏。9月のチャイ4のときも同様な感じの演奏でしたが、より激しく、イロモノ度はさらに磨きがかかっています。よくオケが振り落とされないものだと感心しましたが、それだけゲルギーとLSOは今密接な関係にあるということでしょう。しかし、そうでなくともチャイ5は甘ったるく感傷的な演奏になりがちな曲で、実際そうなっていたので、少なくとも私の好みではありませんでした。演奏上は楽譜に忠実、質実剛健に、その中でほのかに香ってくるロマンチシズムが特にチャイ5の醍醐味と考えてますので(昔レコードでよく聴いたムラヴィンスキーとか、タイプは違うけどベーム/LSOなんかは好きだったなー)。

デヴィッド・パイアットのホルンソロ(第2楽章)が素晴らしく、後で何度も指揮者に立たされていましたが、他の管楽器、特にオーボエも何気に凄かったです。アンサンブルの妙のみならず、こういった個人芸でも超一流の仕事を見せてくれるのがLSOのニクいところ。個人芸と言えばティンパニのナイジェル・トーマスさんがチャイ4同様チャイ5でも、勝手に音を変え、フレーズを変えのやりたい放題。ちょっと節操ない演奏でしたが、個人的には面白いので今後も注視していきます。

LPO/ポルタル/オグデン(g):アランフェスと三角帽子2011/11/25 23:59

2011.11.25 Royal Festival Hall (London)
Eduardo Portal / London Philharmonic Orchestra
Craig Ogden (Guitar-2)
1. Antonio José: Suite from 'El mozo de mulas' (The Muleteer)
2. Rodrigo: Concierto de Aranjuez for guitar & orchestra
3. Falla: The Three-cornered Hat, Suite No. 1
4. Falla: The Three-cornered Hat, Suite No. 2
5. Mussorgsky: Pictures at an Exhibition (orch. Ravel)

連夜の演奏会。未だ時差ぼけ抜け切らぬ体調のためけっこう辛いです。今夜の目当ては「三角帽子」ほぼオンリー。昔から大好きな曲なのですが実演で聴ける機会が少ないので、目に止まれば極力聴きに行くことにしています。

1曲目はアントニオ・ホセの歌劇「らば飼いの少年」からの組曲。ホセは名前からして初めて聴く作曲家でした。Wikipediaで調べるとラヴェルやダリと親交があり、次世代のスペイン楽壇を担う逸材として期待されていたにもかかわらず、スペイン内戦に巻き込まれて何と34歳の若さで処刑されてしまったそうです。指揮者のポルタルは見た目さらに若そうなハンサムボーイで、今年LPOの副指揮者をやっているようで、やせぎすの長身と鬼のような形相から巧みな棒さばきでオケをリードする、と思いきや、オケの反応がイマイチ。慣れない曲なので練習不足なんでしょうか。

気を取り直して2曲目は、第2楽章だけ超有名な「アランフェス協奏曲」。独奏は、名前だけは聞いたことがある人気ギタリスト、クレイグ・オグデン。この演奏会、最終的にはほぼ満員だったのですが、なるほど理由がわかりました(オグデンが出ると知らずにチケット買いました)。オケは中編成ながら音を刈り込んだ室内楽的アプローチだったので、脇の席でしたがギターはよく聴こえました。しゃらんしゃらんとメタリックな音は華やかでいいな、コールアングレのソロはいい音でがんばってるな、などと考えながら、意識は睡魔に飲まれていってました。すいません。

待望の「三角帽子」は小気味よいティンパニのリズムで景気よく始まりました。指揮者はオケに「スペインの旋律」を歌わせ、「スペインのリズム」を刻ませるべく孤軍奮闘し、オケ側もできる限りこの若者のリードに応えようと温かく接していたように見えましたが、どうもギクシャクしていたのはリハ不足と指揮者の経験不足なんでしょう。第1組曲の「粉屋の女房の踊り」で極端に粘ったファンダンゴのリズムに最初は「おおっ」と思わせたものの、フレーズを繰り返すに従い粘りは薄れていき、やりたいことはわかるがとにかくオケが着いていってない印象でした。他にも、第1組曲が終わったところで間をおいたので拍手が起き、一旦オケを立たせるような素振りを見せたのに誰も立たなかったり(そりゃそうだ、と思いました)、チグハグなことをやっていたのがいかにも手慣れていない感じで、初々しいやら、痛々しいやら。終曲のラスト、盛大なカスタネットに続く最後の一撃も前のめりで終わってしまって、だいぶ消化不良感が残りました。

ここでようやく休憩。短い曲が多いとは言え、前半にちょっと詰め込みすぎではないかなあ。休憩後の「展覧会の絵」は、バスク系のラヴェル編曲ということで辛うじてスペイン繋がりのプログラムと言えますが、やっぱりちょっと無理がある。これをやめて、むしろ「三角帽子」を全曲版でやったほうがすっきりとしたプログラムになったのではないかと。それはともかく、この「展覧会」でもギクシャク感は消えず、どうにも思い切りの悪い演奏になっていました。やっぱり慣れの問題でしょうか、曲の間にいちいち休止を入れるから、この季節はすかさず咳のオンパレードになってしまい、間合いも開くし、集中力が殺がれる結果になります。棒振りそのものは長身もあってずいぶんとさまになっているので、後は何とか場数を踏んで、先発投手が「試合を作る」技量をもっと磨いてくれれば、ですかなー。