LSO/ゲルギエフ/フレイレ(p):劇場型チャイコフスキー2011/09/25 23:59

2011.09.25 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Nelson Freire (P-1)
1. Brahms: Piano Concerto No. 2
2. Tchaikovsky: Symphony No. 4

オーケストラのシーズンもいよいよ本格的に開幕です。LSOは昨年のシチェドリンと「展覧会の絵」という派手なオープニングプログラムと比べて、今年はずいぶん渋いと言うか、スタンダードにシンフォニックな取り合わせで攻めてきました。

1曲目は最初ピアノ協奏曲第1番とアナウンスされていたのですが、最近になって「ソリストの好みにより」2番に変更されていました。私はどちらもあまり聴かないし、正直どちらでもよかったのですが、1番は昨年ポリーニで聴いているので、この変更はウェルカムでした。しかし、フレイレを聴くのは初めてでしたが、何だか杓子定規の普通の演奏で、取り立ててひきつけるものがありませんでした。多分玄人好みの人なんでしょう、残念ながら私にはどこをポイントに耳をかたむければよいのか、よくわからず。一方オケはのっけから分厚い響きで地を這うようにホールを駆け巡り、重心の低い重めの演奏でした。重厚とはいえドイツ風という感じはしなくて、もっと乾いた北の大地のような響きです。第3楽章のチェロのソロは「これはチェロコンチェルトだっけ?」と思うほど、艶やかで官能的な一流ソリストの音でした。ここまでピアノはずっと食われっぱなしです。終楽章になると突如協奏曲らしい軽さが前面に出て、ようやくピアノに活力が宿ってきましたが、それまでの粘りが嘘のようにさらさらと終わってしまい、うーむ、こんなもんかな。そもそも、曲自体が尻すぼみという印象をぬぐえません。フレイレはラヴェルとか、もっと軽めの曲で聴いてみたいです。


フレイレ氏のすぐ右に見えるのがチェロのティム・ヒューさん。

メインのチャイ4は、昨シーズンから続いているゲルギー/LSOのチャイコフスキーシリーズ後半戦の初戦になります。前半戦の1〜3番を結局一つも聴けなかったので、さてゲルギーのチャイコフスキーはどんなもんかのう、と期待半ばで聴いたのですが、予想以上に面白い演奏でたいへん楽しめました。第1楽章はゆったりとしたテンポで始まり、マーラーのようにこまめにゆらし、操りながら造形を掘り出していきます。劇的ですがかなりゴツゴツして個性的なチャイコフスキー。第2楽章もさらっと流さず、木管の呼吸をあえて他とずらしてギクシャクとした進行にし、聞き手の心をその場に留めます。ちゃんと計算ずくで組み立てていましたね、これは。だいたい、指揮台の前に一応スコアは置いてありましたが、表紙が上になったままゲルギーは結局一度も触らず。

よく考えるとこの曲を前回4年前に聴いたのもLSOで、場所はブダペストのバルトークホール、指揮はコリン・デイヴィスでした。第3楽章を指揮せず弾かせるなどという洒落たマネをしていながら、全体的に「お前ら二日酔いか」と思うほどのヨレヨレ演奏に、ブダペストをなめとんかと当時は憤慨したものですが、本拠地のLSOはさすがにそんなことはなく、ゲルギーは第3楽章でもきっちり指揮をして精緻なアンサンブルを聴かせてくれました。終楽章はムラヴィンスキーばりに速い!思わず笑みがこぼれてきました。打楽器に注目すると、いつになく薄胴の大太鼓は重低音よりもくっきりしたインパクト重視でアクセントをきりっと引き締め、ティンパニはよく聴くとペダルワークを駆使して楽譜を逸脱した「旋律」を勝手に叩いています。フィルハーモニアのスミス氏だったら暴走に歯止めがかからないような気がしますが、そこはLSOのトーマス氏、お遊びはさりげない範囲にとどめ、第1楽章冒頭の再現が来た後は生真面目なスタイルに戻っていました。オケが一体となって有無を言わせず高速で畳み掛けるフィナーレは脱帽もので、LSOの超高い機能性はさすがに素晴らしかったです。それにしても、あの4年前のチャイ4はいったい何だったんだろうかなー。


最後に愚痴を。風邪の季節到来、あちこちで咳や鼻かみのうるさいこと。ブダペストに住んでたころから毎年冬になるとこぼしていますが、ヨーロッパ人てやつは本当にバカでジコチュー。どうしても咳がでるならハンカチを口に当てるという遠慮もなければ(だいたい持ち歩いてない人の多いことよ)、せめて音が大きくなるまで待ってさりげなく鼻をかむという知恵もない。そもそも、演奏中に鼻かむやつぁ始めからティッシュを鼻に詰めとけ!