パリ・オペラ座バレエ(ガルニエ):コッペリア2011/03/19 23:59


2011.03.19 Palais Garnier (Paris)
Ballet de l'Opéra
Koen Kessels / Orchestre Colonne
Patrice Bart (Choreography)
Mélanie Hurel (Swanilda), Christophe Duquenne (Frantz)
Benjamin Pech (Coppelius), Fabrice Bourgeois (Spalanzani)
1. Delibes: Coppélia

子供が春休みになったのでパリへ小旅行に。念願のガルニエ宮に初めて行きました。演目も「コッペリア」で、これは娘もDVDや昨年のボリショイバレエで何度も見ていますので、安パイと思いきや。このパトリス・バール版はなかなか奇怪な演出で、面食らいました。からくり人形の設計図が描かれた緞帳が上がると、半透明のスクリーンに何だか気味悪い人形の顔が大映しになり、奥では礼服をまとったイケメン若者が麻薬をキメつつ変な踊りを踊っています。横には作りかけの人形と、コッペリウスとおぼしき老人、その横に見開かれた巨大な本には若い女性の絵が。ところが後でパンフレットのあらすじを読んでみると、若者のほうがコッペリウス、老人はスプランザーニ教授というマッドサイエンティストとのことで、これがまず混乱のもとでした。どう見たって老人のほうが典型的なコッペリウスじゃん、こんなのあり?まあ登場人物の名前はともかく、私はてっきり、老コッペリウス(実はスプランザーニ)とその息子(こちらが実はコッペリウス)が自宅で怪しげな人形製作の研究をしていて、息子がスワニルダにちょっかいを出し、スワニルダもまんざらじゃない様子、でもその息子が実はコッペリウスが作った機械だった、というような話かいなと思い込んだまま見ておりました。しかしそれだとスワニルダが落ちていた鍵を拾うのではなく老人からわざわざ鍵をもらって家に入って行くのが不可解でしたが、主従関係は若者(コッペリウス)>老人(スプランザーニ)だったというのをあらすじを読んで初めて理解し、従者が主人に気を利かせて村の人気娘を家に引き込もうとしたんだということが後になってようやくわかりました。プロットへの理解がそんな感じだったのに加え、そもそもこの演出、コッペリアなのにコッペリアが出て来ないし、聴き慣れない曲がたくさん使ってあってスコアもいじっており、わけがわからんかったなあという印象です。繰り返し見たらまたいろんな発見があるでしょうから、DVDが出れば買います。

衣装や舞台装置は奇をてらったものでは全くなく、特に衣装はたいへん洗練されたセンスのものでした。スワニルダを筆頭に村の女の子達はほとんど白だけのお揃いドレスですが、パルテル調のベルトの色が各々微妙に違っていて区別ができるようになっています。おっしゃれー。チャールダーシュを踊る農民たちの衣装も白とエンジ色を基調とした、シンプルながら群舞にはたいへん見栄えのするもので、さすがパリのデザイナーはひと味違いました。

肝心の振り付けと踊りですが、派手なジャンプや回転がなく、細かい足ワザが多かったので素人向きではないような気がしました。ロイヤルバレエでプリンシパルに当たる最高位のダンサーは、パリオペラ座バレエではエトワールと言うそうですが、今回のマチネの配役ではコッペリウスのペッシュのみエトワール、スワニルダのユレルとフランツのデュケンヌはその下のプルミエールです。踊りは皆さん上手いとしか言いようがありません。全編出ずっぱりのユレルはちょっと落ち着いた雰囲気で、女の子9人グループのリーダー役としての貫禄がありました。デュケンヌはいまいち影が薄く、手をつくような場面もありましたが、高く安定したリフトはさすがです。ペッシュは普通のキャラクターじゃないのでよくわかりませんでしたが、機械が暴走するかのようなハジケた踊りがインパクトありました。

指揮のケッセルズはロイヤルバレエやバーミンガムでも振っていて、上品な音作りをする人です。オーケストラは歌劇場のオケではなく、コロンヌ管がピットに入っていました。多少ミスはありましたが、いかにもフランスらしい垢抜けた柔らかい音をしていて好感が持てました。しかし、歌劇場のオケはレコーディングでは「パリ・バスティーユ管弦楽団」と呼ばれるくらいですから、ガルニエでは基本的に演奏しないんでしょうか。

しかしガルニエの絢爛な内装は比類ないですね。今からはもう絶対に作れない建物です。ブダペストのオペラ座も19世紀の古き良き時代の名残がある豪華な劇場ですが、ガルニエは遥かその上を行くゴージャスさでした。シャガールの天井画は私にはちょっと違和感がありましたが、複数の時代様式が交じり合う建造物はいくらでも例がありますし、時間とともに違和感もなくなっていくのでしょう。