謹賀新年2011/01/01 16:00

あけましておめでとうございます。

お正月用に某スーパーで買ったルッコラのパックを開けようと思ったら、中にかたつむりが。小さいイモ虫みたいなのが入っていることは時々ありますが、かたつむりは初めて。新年早々、大当たりです。



我が家のおせち2011/01/04 20:00

うちの奥さんは毎年年末になるとキッチンにこもり切りになり、せっせとおせち作りに励みます。これを作らないことには年を越した気になれないらしく、私から見ると完全に趣味の世界です。特に海外在住中は出来合いのものを買ってくることがほとんどできないので、むしろいっそう没頭することになります。ベースは長崎風に、関西風とその他洋風がいろいろ混ざったのが我が家風です。

今年の成果を紹介いたしますと、


一の重:黒豆煮、有頭海老酒蒸し、からすみ(スペイン産)、出巻玉子、田作り、紅白かまぼこ、かずのこ、紅白なます(みかん容器の中)


二の重:煮しめ、う巻き玉子、里芋煮


三の重:ぶり照焼、昆布巻き、鶏の八幡巻、紅茶煮豚、竜眼・うずら玉子・ぎんなんの串、栗甘露煮

ブダペストにいたころも毎年おせちを作っていましたが、乾物類は日本から持ち込んでいたものの、ブダペストではまず入手不可能だったのが有頭海老、かずのこ、からすみ、うなぎ、ぶり。それでもウィーンまで買い出しに行けばだいたいのものは手に入ったのですが、新鮮なぶりだけは入手できませんでした。今回、日本でもなかなかないような非常に良いぶりを「あたりや」さんで買うことができ、さすがロンドンは何でも手に入るなあと、感服しております。


昨年バラマーケットでフォアグラの塊が売っているのを見つけてしまったので、久しぶりのハンガリー風フォアグラ冷製(たっぷりのガチョウのラード中でフォアグラの塊をじっくり揚げ煮にする、どう考えても身体に悪い料理)を作ってみました。良い感じでできたのですが、フォアグラ自体の質が、ブダペストの中央市場で買うのに比べると落ちるせいで、完璧に満足いく出来ではありませんでした。これは、材料を厳選してまたリベンジです。


元旦のお雑煮は昆布だし、西京白味噌の汁の中に大根・里芋・餅の「白くて丸い」具のみが入っている純京都風。ただし丸餅はなかったので角餅でかんべん。昨年はよい西京味噌が手に入らなかったため作れなかったので、これも久々です。


二日目のお雑煮は、これが純長崎風なのかどうか知りませんが、妻の実家のレシピで、鰹だしにお煮しめと角餅をぶちこんだシンプルなもの。本来は鰹ではなくアゴだしなのでしょう。これはこれで決して悪くはないのですが、京都人の感覚ではこれはただの「餅入りすまし汁」で、これをお雑煮と認識するにはちょっと抵抗がありますね…。

イングリッシュ・ナショナル・バレエ:ロメオとジュリエット2011/01/09 23:59

2011.01.09 London Coliseum (London)
English National Ballet
Alex Ingram / The Orchestra of English National Ballet
Rudolf Nureyev (Choreography), Ezio Frigerio (Design)
Arionel Vargas (Romeo), Elena Glurdjidze (Juliet)
Juan Rodríguez (Mercutio), James Streeter (Tybalt)
Fabian Reimair (Benvolio), Zhanat Atymtayev (Paris)
Anaïs Chalendard (Rosaline), Laura Hussey (Nurse)
1. Prokofiev: Romeo and Juliet

日曜のマチネに家族で行ってきました。これまで見たROH、バーミンガムの「ロメオとジュリエット」はいずれもマクミラン版でしたが、このイングリッシュ・ナショナル・バレエはヌレエフ版を採用しています。一番最初に買ったこの曲のDVDがパリ・オペラ座バレエによるヌレエフ版で、舞台の奥行きが違うためセットは多少異なるものの、踊りと衣装は基本的にDVDほぼそのままでした。

イングリッシュ・ナショナル・バレエは昨年末の「くるみ割り人形」が今一つだったのでほとんど期待しなかったのですが、意外にも期待は良いほうに裏切られました。ロメオはキューバ人の若きプリンシパルですが、カルロス・アコスタほどアクの強い顔ではなかったので、イタリアの物語でも違和感はありませんでした。ジュリエットもシニア・プリンシパルということだったので老け具合を危惧しましたが、おばさん顔じゃなかったので一安心。ただし少女というよりも大人の女の雰囲気です。無垢な少女らしさを表現するのがちょっとわざとらしく見えてしまう箇所がありました。とにかく主役のこの二人が、ソロでの踊りは安定感があってたいへん上手い。他のダンサーから抜きん出ていました。一方で肝心のデュオではちょっと慎重になり過ぎでぎこちなさもありました。

準主役のマーキュシオとティボルトはどちらも若手のようですが、こちらも各々の役どころをしっかりと押さえたケチのつけようがないダンスでした。特にマーキュシオはコミカルな動きから亡霊の佇みまで幅広い芸風で、是非今後も出てきて欲しい有望株でした。

オケは「くるみ割り」とは打って変わって力強く説得力のある音で、金管に多少難があったのを除けばオケは大健闘と言ってよいかと。ROHまでには及ばないにしても、ここまでやってくれるとは驚きです。しかし、ヌレエフ版の特徴として全体的にテンポがスローであり、聴き手には時々忍耐を要求します。幕間の息抜きは絶対必要ですね。

演出は逐一説明的なビジュアルで、かゆいところに手が届くわかりやすさがある一方、半裸のスキンヘッド死神が出てきたり、ティボルトとマーキュシオの亡霊がジュリエットに各々ナイフと薬で自決させようとするところなど、解釈に苦しむ奇抜なアイデアもふんだんで、なかなか奥が深い演出と思います。ただ、下品な悪ふざけが多く、クラシックバレエにしては男同士のからみがある(しかも多い)のは、やはりヌレエフだからなのかな…。

ロンドンフィル/ヴィルトナー/カヴァコス(vn):マーラー6番とシマノフスキ2011/01/14 23:59

2011.01.14 Royal Festival Hall (London)
Johannes Wildner / London Philharmonic Orchestra
Leonidas Kavakos (Vn-1)
1. Szymanowski: Violin Concerto No. 2
2. Mahler: Symphony No. 6

昨年の生誕150年に続き、今年は没後100年のマーラーイヤー第二弾。年初からさっそくマーラーです。今日は元々ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが指揮者のはずがドタキャン、急きょ代役としてヨハネス・ヴィルトナーが招集されました。ズヴェーデンも初めて聴くはずだったのですが、ヴィルトナーは名前からして初めて聴きます。配布されていた小チラシで経歴を見ると、オーストリア出身、ウィーンフィルでヴァイオリンを弾いていて、指揮者に転向後はずっとオペラ畑中心に地道に活動してきた人のようです。偶然でしょうが、コンセルトヘボウのコンマスだったズヴェーデンと経歴が似ていますね。

さて、登場したヴィルトナーは恰幅のよい巨漢で終始にこやか、ズヴェーデンのコワモテ(生で見ていないので私の勝手な印象ですが)からはほど遠く、明るいキャラクターのようです。1曲目はシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第2番、CDはありましたが、正直、馴染みのない曲です。カヴァコスを聴くのはこれで5回目、この人は本当にどんな難曲でも易々と弾くし、ヴァイオリンの音がでかい。Webで調べると、最近前のストラディヴァリを売って、別のストラディヴァリを買ったようですね。今度の楽器もたいへんよく鳴っています。この人のヴァイオリンは技術的にはもの凄いものだと思いますが、低弦のほうの音が終始濁っていたのがひっかかりました。ポーランド民謡を取り入れた民族派に属する曲という解釈だったのかもしれませんが、協奏曲ながらまるでソナタのように音響がすっきりと作られている曲なので、あえてワイルドさを演出する必要もないのでは。それと、この人のスタイルはけっこう朴訥というか、表情、表現というものが演奏にほとんど現れて来ないので、けっこうあっさり系です。最近聴いた中では、テツラフの役者ぶりや五嶋みどりの情念のほうが後を引き、気になってます。しかし何にせよ、カヴァコスをかぶりつきで聴けるというその体験自体、贅沢な至福の時間であることに間違いはありません。なお、オケ伴奏は手堅すぎて印象に残っていませんが、途中もうちょっとバックで盛り上げてダイナミックレンジを広く取ればいいのにと思った箇所はありました。

さてメインのマーラー。前述のチラシには、「ヴィルトナーは、交響曲第6番の楽章配置はプログラムの記載通り演奏しますが、終楽章のハンマーは2回というオプションを選択しました」というようなことがわざわざ書いてありました。プログラムを買ってないのでこれはどういうことかと推測するに、ズヴェーデンは元々ハンマーをおそらく3回(以上)叩かせる練習をしていたということになり、すると中間楽章の順は昔ながらのスケルツォ→アンダンテに違いあるまい(昨今はすっかり正統派の地位を築いたアンダンテ→スケルツォの順で演奏する人が、ハンマーを2回を超えて叩かせるのは理論上考えにくい)と結論付けましたが、果たして実際に、演奏はスケルツォ→アンダンテの順でした。

「ハンマー2回」を選択した、とあえて強調するということは、楽章の順はプログラムとの齟齬に配慮して(不本意ながら?)ズヴェーデンに従ったものの、本来は最新の研究結果を尊重する理知的スタイルの指揮者なんだろうか、と思って聴き始めたら、のっけから予測は大外れ。ポルタメントを効かせたベタベタに甘い表現とテンポの揺らし方はまるでバーンスタインのようです。こういう耽溺スタイルのマーラーは21世紀になってすっかり廃れてしまったように思いますが、私はけっこう好きです。代役ということもあるのでしょう、大きめの身振りで型通りに拍子を振って、明確すぎるくらい明確に指示を出していきます。オケも管楽器はずらりと人数を揃え、スタミナが切れることなく果敢に攻めてきます。LPOはあまり聴かないのですが、いつも以上にがんばりが見えました。第1楽章はコーダの畳み掛けもぴったし決まって出色の出来、スケルツォでも集中力は切れず、アンダンテで少しほっと力を抜いて(カウベルはちょっとやかまし過ぎましたが)、複雑な終楽章は耽美派らしく、ヘタに組み立てなど考えず、来る球来る球を全力で打ちに行くのみです。オケは最後まで破綻せず、終始よく鳴っていました。ラストの衝撃的なフォルティシモは、インテンポで意外とあっさり流してしまったので、どうせなら最後まで耽溺系でねっとりと締めくくって欲しかったです。

もちろん今日は急きょ代役で指揮台に立ち、崩壊させずにここまでLPOを鳴らし切るべくリードできたのですから、十二分に成功でしょう。終演後は汗が滴り落ち、顔は真っ赤に紅潮して、相当血圧が上がっていた感じです。高揚して何度もコンマスや奏者に握手を求め、「また呼んでくれよな」とセールスするかのよう。フェアな評価として、非常に立派な好演だったと思います。しかし今日の演奏、どこまでズヴェーデンの解釈の名残があって、どこまでがヴィルトナーのオリジナルなのか、興味深いところです。ズヴェーデンの硬質(であろう)演奏も、またどこかで聴いてみたいものです。

ブダペスト祝祭管/フィッシャー/ハフ(p):ビジュアル系「田園」2011/01/16 23:59

2011.01.16 Royal Festival Hall (London)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
Stephen Hough (P-2)
1. Haydn: Symphony No. 92 'Oxford'
2. Liszt: Piano Concerto No. 1 in E-flat
3. Beethoven: Symphony No. 6 'Pastoral'

一昨年のPROMSで聴いて以来のブダペスト祝祭管(BFZ)です。私が住んでいたころ、このオケの地元での人気は非常に高く、シーズン券で席はだいたいなくなってしまう上に、そのシーズン券も一般発売の初日には完売してしまうというプラチナチケットなのでした。そこまでシビアとは知らなかった最初の年は、発売開始時刻ちょっと前にBFZ事務所(近所だったのです)までのこのこ買いに行ったらすでに長蛇の列、3時間後に順番が回ってきたときには目当てのシーズン券はとっくに完売、垂涎の演奏会がたくさんあったのに、たいへん悔しい思いをしました。次の年、オンライン販売が本格的に始まったので、私は有給休暇を取って自宅のPC前で待機、念のため妻はBFZの事務所に整理券を取りに行って、万全の体制で臨みましたが、ちょっと危惧はしていましたがオンラインのほうは発売開始時間を待たずに回線がパンクし、にっちもさっちも繋がらない状態に。妻の整理券のほうも順番は相当後ろで、こりゃー今年もダメかなあと諦めかけていたところ、お昼過ぎにサーバが復活。どうも本格的にクラッシュしていたらしく、セールスがほとんど進んでいない様子でチケットがまだたくさん残っていて、PC前に張り付いて随時状況をうかがっていたかいあって、早いタイミングですかさず希望通りの席をゲットすることができました。翌年はBFZ事務所が移転したこともあってオンライン一本に絞ることにし、発売前夜の寝る前にちょっとサイトの様子を、と思って見てみたところ、日付が変わったとたんに何とチケットセールスがオープンになっている!担当者が前年のクラッシュに懲りたのか、発売開始予定時刻を待たずに夜中のうちにセールスを開けてしまったようでした。これ幸いとすかさず前年と同じ席のシーズン券をゲット、バカ正直に朝まで待たないで本当に良かったです。

長い思い出話の前フリはともかく、本日のロイヤル・フェスティヴァル・ホールは当時を思い出す大盛況ぶり。リターンチケット待ちには長い列ができ、普段演奏会場で聞くことはほとんどないハンガリー語がそこかしこで飛び交って、かつてのバルトーク・コンサートホールの熱気が偲ばれて非常に懐かしい気分になりました。

イヴァーン・フィッシャーは何かと小細工の好きな人で、まず1曲目のハイドン「オックスフォード」交響曲では、トランペット、ホルン、ティンパニにバロック式の楽器を持たせていました。よく見えなかったのですが、木管ももしかしたらそうだったのかも。序奏からもう完璧な弦楽アンサンブルで、精巧に仕上げられた彫刻のように隅々まできっちりと指揮者の手が入っています。その上に、あえて音程の危ういバロック楽器を乗せてくることで、合奏がキツキツにならずふくらみのある音楽に仕上がっていたと思います。普段ハイドンは苦手分野なのであまり語れませんが、弦をノンビブラートにしていないことからも、単に古典だからバロック楽器、という安直な思考ではなく、指揮者なりの完成像に向けたこだわりがありますね。(下写真:手前のペダル式ティンパニの奥に、小さいバロック式が一組置いてあります。)


次のリストでは、トライアングルを指揮者の目の前に座らせていましたが、これは多分そう来るだろうと予測していました。フィーチャーする楽器を指揮者の周りに配置する、というのは以前からよくやっていましたし、リストのこの曲は打楽器奏者の間では「トライアングル協奏曲」と呼ばれている曲ですから。ただ、今回私はChoir席でしたので奏者がよく見えましたが、前方の客席からはピアノの陰になって逆に見えにくくなってしまったのではないでしょうか。そのトライアングルですが、音が汚くて私はあまり関心しませんでした。楽団がもっと小型で澄んだ音の楽器も持っているのは知っているので、これも音楽が固くなるのを和らげる役割だったのかな。しかし、ここのChoir席の最大の難点は、ピアノ協奏曲の時にピアノがよく聴こえないこと。仕方がないことですが、ホールで一回反響した音しかやってこないので、別室で弾くピアノを聴いているような感じで、細かいニュアンスはわかりにくいし、手元も見えないし、どうしても興醒めしてしまいました。


休憩後、ステージの真ん中に背の高い植木が持ち込まれていました。田園だから「木」?ストレートな小細工ですが、それを実際にやる人もあまりいません。奏者が席に着くと、楽器の配置にも細工がありました。弦楽器の数は1st Vn 14、2nd Vn 11、Va 10、Vc 8、Cb 6と傾斜的な配分になっていましたが、さらに、木管奏者が見当たらないなと思ったら、フルートは1st Vn、オーボエは2nd Vn、クラリネット・ホルンはヴィオラ、ファゴットはチェロの中に混ざって、2人バラバラに座っています。一方、後から出番が来るティンパニとトロンボーンはあえて他の奏者と距離を置いて舞台の右隅に窮屈そうに固められていました。青青とした牧草の茂る丘陵の真ん中に1本の木が立っており、そこかしこから鳥の声が聞こえてきて、そのうち遠くのほうから雷鳴が響いてくる、というヴィジュアルイメージをそのまま体現したような配置がコンセプトでしょうか。これもユニークで面白いです。演奏は、終楽章頭の1st Vnをソロにしてしまって嵐の後の清涼感を際立たせるなど細かい演出が散りばめられており、やはり隅々まで指揮者の思惑が浸透した、たいへん語り口の豊かな演奏でした。全ての要求にきちんと応えていくオケの力も凄いものです。聞けば、フランス・イギリス・アイルランド・ドイツ・アメリカへの16日間に渡るツアーとのことで、そんなアウェーの条件でもこれだけのクオリティを聴かせてくれて、BFZ贔屓の私としてはたいへん満足です。

思えば2009年のPROMSでは少しよそ行きの顔だったのか、今日ほど本拠地でのレベルを再現してくれたとは思えませんでした。名前で損をしている面もあるかもしれませんが、このオケは本当に技術レベルが高いです。難しいバルトークのスコアをきっちり演奏できるオケをハンガリーに、というコンセプトでフィッシャー、コチシュらによって1983年に設立された比較的新しい楽団ですので、元々ヴィルトゥオーソ・オーケストラの性格を持っています。また、メンバーの大半はハンガリー人か、ハンガリーで音楽教育を受けた外国人で構成されていますので、バックグラウンドに均質な一体感があり、ただの名手の集まりではなく全体で優れた一つの楽器であるかのように鍛え上げられているオケです。私もけっこういろんなオケを聴きましたが、BFZを「一流」とすれば、これはさすがにBFZの上を行く「超一流」かも、と思えたのはコンセルトヘボウとベルリンフィルくらいでした。

盛大な拍手喝采に応えてアンコールはハンガリー舞曲21番と、シュトラウスのBauern Polka、「田園」ポルカです。最後まで粋な演出を通しておりました。

フィンランドとドイツ2011/01/21 23:58

ちょっと長めの出張でした。意外なことにどちらもユーロ圏なので(北欧は通貨が違うというイメージでした)、通貨はユーロ一本でOK。


まずは初のヘルシンキ。自分が今まで訪れた都市の中で最北です。マイナス15℃の世界を覚悟していたのですが、気温が0℃くらいまで上がって、雪混じりの雨が降っていました。これで人通りのある場所の雪はけっこう流されてしまったのですが、少し冷えると地面はツルツルになり、非常に危なかったです。写真は朝ちょっとだけ街歩きした際に撮った、デパートSTOCKMANN前の「三人の鍛冶屋像」。しかし、フィンランドは500万人くらいしか人がいないのにデパートやショップはたいへん充実していそうな感じです。夏場には相当な人が集まってくるんでしょうか。

フィンランド語はハンガリー語と同じウラル語族に属し、アクセントが原則単語の頭にくるという共通点もあるためか、会話を音楽として聴いたとき、音の響きがハンガリー語に大変よく似ています。スペルを見ると全く違う言語なのですが。ホテルで朝食を取っているとき、隣りのテーブルの人の会話を、やっぱりハンガリー語と似てるよなあと思いながら漫然と聞いていたところ、よく聞くと本当のハンガリー語でした。ハンガリー人の客だったのでした。


さらに北に向かう同僚と別れ、私はドイツのドレスデンへ南下。ここは昔、車で通過したことがあるだけで滞在は始めて。夕食時に旧市街を歩きましたが、いかにも東独らしい雰囲気で、質素で落ち着いた町並でした。ただし完全なオフシーズンで、人通りが少なく、街灯も暗くて、何と淋しいことよ。ゼンパーオパーも公演がなく、火が消えたようにひっそりと佇んでいました。またいつか、ここでオペラかコンサートを聴きたいものです。

夜は10℃くらいで温かかったのに、朝は雪が降っていました。午前中さらに寒い山の中に出張に行ったあと、フライトでミュンヘンへ。南下しているのにどんどん寒くなって行きます。


さすがにミュンヘンはドレスデンとは打って変わり、明るくて人通りが絶えません。シンボルのフラウエン教会は片方の塔が工事中でした。


ホフブロイハウスも相変わらずの大賑わい。白ソーセージが売り切れだったのが残念でした。


ICEに乗りウルムへ。さらに寒くなり、雪が舞っていました。時間がなく今回も町は見れませんでした。


その後、デュッセルドルフへ。定番のシューマッハーでアルトビアをしこたま飲みました。


最後はドルトムント。ドイツ人同僚に何があるのか聞いたら、何もないよという話だったのですが、賑やかなショッピングストリートがあり、デパートがいくつもあり、大きな教会があり、音響の素晴らしいコンサートホールがあります。観光で訪れる場所ではありませんが、人々の普通の生活が感じられる、活力のある町でした。雪の舞う夜はそのコンサートホールで、先週聴いたばかりのブダペスト祝祭管を観賞。曲は念願のバルトーク「青ひげ公の城」、この上なく磨き上げられた最上質の演奏で、最後は満員の聴衆が総立ちの拍手で歌手・指揮者・奏者を讃え、たいへん幸せな気分で会場を後にしました。

毎晩ホテルを移動する慌ただしい旅でしたが、何とか乗り切りました。おかげで帰還後その足で見に行ったロイヤルバレエ「白鳥の湖」は、けっこう体力的につらかったです。

しかし、極寒のヘルシンキから始まって徐々に温かい方へ移動するはずが、日を追うごとにどんどん寒くなって行ったのは、いったいどういうことよ。

ブダペスト祝祭管/フィッシャー:バルトーク「青ひげ公の城」2011/01/21 23:59

2011.01.21 Konzerthaus (Dortmund)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
István Kovács (Bluebeard-2), Ildikó Komlósi (Judith-2)
1. Haydn: Symphony No. 102 in B-flat major
2. Bartók: Bluebeard's Castle

先週に続きBFZです。今週ドルトムントでハンガリー人演奏家が集うバルトーク・フェスティヴァルが開催されており、折よく近くまで来る出張があったので、2週続けてBFZを聴くという幸運を得ました。BFZは実は、ブダペストでバルトークをあまり演奏してくれなかったので(ツアーでいつも演奏するから奏者のマンネリを防ぐためでもあるんでしょう)、その意味でも念願がかないました。全く余談ですけど、チェコフィルも「新世界」はツアーの定番ですが、プラハで演奏することはまず、ないそうですね。

客席はほぼ満員。先週とは違って今日はハンガリー語を聞くことがなかったので、ほとんど地元のドイツ人ということでしょうか。ドイツの一地方都市でバルトークに対する関心がここまで高いとは、正直意外でした。

1曲目はハイドン102番。先週と同じくトランペット、ホルン、ティンパニは古楽器を使用していました。フルートとオーボエを定位置よりも前に出し、チェロとヴィオラで挟み込むように配置していたのが先週との違いです。出だしで少し乱れて「ん?」と思った箇所はありましたが、後は先週と同じく完璧な造型のハイドンでした。やはりノンビブラートにはせず大らかに弾かせています。このホール独特の長い残響は、最初こそ違和感があったものの、慣れるとそのふくよかな質感が何とも心地よい。

メインの「青ひげ公の城」はバルトークで最も好きな曲の一つですが、過去に実演を聴いた5回は全てオペラの舞台で、演奏会形式では初めてです。BFZがこの曲をやるときはポルガール・ラースローとコムローシ・イルディコのコンビが無二の定番でしたが(録音も残っています)、昨年9月にポルガールが亡くなったため、青ひげ公はステージごとに違う人が召集されているようです。今日はコヴァーチ・イシュトヴァーンという初めて聴く若い人でした。

冒頭の前口上は従来ならポルガールが渋い声で語っていたそうですが、彼の死後、指揮者自らが客席に振り向き、語りかけながら後ろ手に指揮棒を振り始めるというアラワザでしのいでいました(YouTubeにアップされている、10月にフィッシャーがコンセルトヘボウを振ったときの映像でも同様のワザが確認できます)。

青ひげ公は、バスにしては細身の身体で声質も軽めなから、若いにもかかわらずごまかしのないほぼ完璧な歌唱でした。この歌は素人目にもたいへん難しく、歌いこみの浅い人だとすぐに声が上ずったり、にちゃにちゃと気持ちの悪い歌になってしまったりもしますが、コヴァーチは実に丁寧に、威厳を失わずに声をぶつけていきます。もちろん、できればもっと腰の太い声と、感情を押し殺しながらも微妙な機微を表現し分ける巧妙さがもうちょうっとあればと思わないでもなかったですし、超ベテランだったポルガールにはかなうべくもないですが、誠実に全力を尽くしていたと思います。

一方のコムローシも絶好調。ユディットは数限りなく歌ってきた十八番ですので、全てを知り尽くし、完全に自分のものにしています。感情表現が演技過多のようにも取れ、ユディット像の役作りとしては多少の異論もあるかもしれませんが、つぶやきから狂乱を自在に行き来する歌唱力と、一貫して堂々とした立ち振る舞いは、数いるユディット歌いの中でも突出していると思います。

そして、この日は何よりオケが凄かった。非の打ち所がない素晴らしさで、それを伝えるに私の文章力では全く力及びません。丹念な語り口であせらず一歩一歩進み、繊細さと馬力を兼ね備えるこのオケの特質が存分に発揮されて最後はとんでもない広さのダイナミックレンジになっていましたが、ホールの音響のおかげで爆音も耳に障らず、音の洪水にただただ身を委ねるのみでした。この大音響は演奏会形式ならではのもので、歌劇場付きのオケだったら歌手に配慮してこんな大音量は絶対に出さないし、出せないでしょうね。ソロ楽器も今日は皆さん冴えに冴えていて個人プレーも完璧。終演後は満員の客席が誇張でなく総立ちの拍手喝采になり、指揮者も独唱者も、疲労困ぱいしながらも充実した笑顔で拍手に応えていました。

後で聞いたところでは、ロンドンも良かったけれど、オケのメンバーにとっても今日はまた特別に満足のいく演奏会だったということで、わざわざドルトムントまで聴きに来たかいは十分にありました。無いものねだりですが、もし今日が最初の発表通りポルガール・ラースローの青ひげ公だったら、もうどれだけ素晴らしかったことかと想像すると、まだ63歳の若さで急死されてしまったのは残念でなりません。

ロイヤルバレエ:白鳥の湖(ヤノウスキー、キシュ)2011/01/22 23:59

2011.01.22 Royal Opera House (London)
The Royal Ballet
Valeriy Ovsyanikov / Orchestra of the Royal Opera House
Marius Petipa / Lev Ivanov (Choreography), Anthony Dowell (Production)
Zenaida Yanowsky (Odette/Odile), Nehemiah Kish (Prince Siegfried)
Elizabeth McGorian (The Princess), WIlliam Tuckett (Evil Spirit)
Alastair Marriott (Tutor), Valeri Hristov (Benno)
Laura Morera, Yuhui Choe, Sergei Polunin (Pas De Trois)
1. Tchaikovsky: Swan Lake

ロイヤルバレエの「白鳥の湖」は初めて見ます。基本的にはプティパ=イワノフ版でモダンな演出は一切ありませんが、舞台装置が豪華絢爛なのがロイヤルらしいです。

今日の主役は初めて見る2人です。というか、妻の趣味によりマクレー様の日を見ることが多かったので、あまりいろんなダンサーを実は見ていません。本日のオデットのヤノウスキーはフランス出身のベテランプリンシパル、王子様のキシュはアメリカ人で、昨年デンマークロイヤルバレエからプリンシパルとして移籍してきたそうです。キシュは写真で見たイメージとは異なり、意外と小柄で朴訥な印象です。年齢はよくわかりませんが、元気ハツラツオロナミンCというよりも無駄なく老練な踊りで、けっこう年季が入っている気がします。

それよりもヤノウスキーの白鳥が登場したときのインパクトがいろんな意味で凄かったです。キシュと並ぶとかなりの長身で、ポワントなしでも余裕で頭一つ出ています。贅肉の一切ない細い身体に筋肉だけが付いており、腕はさすがに細いものの、キシュとタメを張る足の筋肉には野性味すら感じました。正直なところとても女性には思えず、ニューハーフのダンサーだったのか!と勝手に意表を突かれておりました。しかし妻も全く同じように思ったそうで、私の目だけがおかしいわけでもないのです。踊り自体は素人目には完璧で、回転はしっかりした下半身に裏打ちされて全くブレないし、よく見ると手の動きもたいへん細やかで優雅です。しかし、出張の疲労が溜まっていて頭に柔軟性が消えていたせいか、最初の印象があまりに強過ぎて、最後まで「異形の白鳥」としか見ることができませんでした。従ってオディールを踊っている場面のほうがよくハマっていました。また、あの体格と筋肉質であれば相当重いと思われますが、キシュのリフトは一切グラつかず、こちらも立派でした。はじけるような踊りの2人ではありませんでしたが、質実な大人のパフォーマンスを堪能させていただきました。

帰宅後に調べると、ヤノウスキーはROHの人気バリトン歌手サイモン・キーンリーサイドの奥さんで、子供が2人もいるんですね。勝手にオカマさんと思い込んでしまって、ごめんなさい。

話は前後しますが、第1幕のパ・ド・トロワに福岡出身韓国人のチェさんが出ていました。この人は一昨年の「くるみ割り人形」で見て以来ですが、本当に舞台映えする美人ですね。プロポーションもいいですし、全身がお人形さんのようにかわいらしい。ここの踊りは短いながらも重要な役どころで、他の2人はすでにプリンシパルなので、チェさんも昇格近し、なのでしょうか。

フィルハーモニア管/サロネン:バルトーク「地獄のダンス」開幕はちょっと突貫工事?2011/01/27 23:59

2011.01.27 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Yefim Bronfman (P-2), Philharmonia Voices (Chorus-3)
1. Bartók: Kossuth
2. Bartók: Piano Concerto No. 1
3. Bartók: The Miraculous Mandarin, complete

今年、フィルハーモニア管がシーズンをまたいで敢行する「Infernal Dance - Inside World of Béla Bartók」(地獄のダンス、とはまた大仰なタイトルですが)という、バルトークの主要管弦楽作品と弦楽四重奏曲全曲を一挙に演奏する企画のオープニングです。2011年はバルトーク生誕130年というちょいと半端な記念イヤーで、バルトークをライフワークのように好んで取り上げてきたサロネンらしいプロジェクトです。そういえば5年前の生誕125年では、折よくモーツァルトが生誕250年だったので「125」という中途半端な数字も意味を持ち、抱き合わせで多くの企画演奏会がブダペストで開かれていました。

1曲目は最初期の作品、交響詩「コシュート」。1848年革命を主導した政治家コシュート・ラヨシュを題材にしたバルトーク版「英雄の生涯」です。ただし本家のR.シュトラウスとは違い、ここの英雄を最後に待っているのは挫折ですが。ハンガリー民謡調の旋律は出てくるものの、作風が確立するはるか以前の後期ロマン主義色が強い作品です。若書きとは言っても曲の完成度はハイレベルなので、もっと演奏・録音されてもよい曲だと思います。サロネンは特に小細工を使ってくることなく、必要以上に劇的な盛り上げをするわけでもなく、普通にロマン派の交響詩として流していたように感じました。出だしからどうも弦などに迷いながら弾いている感じが見られ、アンサンブルの乱れも少し気になりましたが、まあここはジャブということで次に期待。

2曲目、ピアノ協奏曲第1番は昨年LSO(独奏コチシュ)で聴いて以来。私は何故か、バルトークのピアノ協奏曲というとこの第1番ばかり実演で聴く巡り合わせになっています。一般的には第3番が一番人気がありそうなのに、何ででしょうね。ブロンフマンは昨年のNYフィル公演で始めて聴き、切れ味の鋭いピアノに圧倒されました。バルトークはサロネンとのコンビで録音もあり(オケはロスフィル)、こういう尖った曲は絶対得意なはず。果たして期待通り、ブロンフマンは重戦車がガシガシと進行するようなピアノでした。一音一音インパクトが太く、全体重で切り込むような叩き方は、ピアノを完全に打楽器の一種のように扱っているこの曲にはまさに打ってつけのピアニスト。即物的に楽譜の音を紡いで行くと、かえって曲に内在する民謡の息づきが躍動感となって浮かび上がってくる、バルトークの演奏様式としては一つの理想かと感じました。ただ、キレキレのピアノに比べてオケのキレがなく、着いて行くのがせいいっぱいの感があったのは少し不満でした。

メインの「マンダリン」は当初「Semi-staged Performance」と発表されていましたが、直前になってただの「演奏会形式」に変更しますとの連絡がありました。どんな演出のステージになるのか楽しみにしていたので、ちょっと肩すかしです。代わりにパントマイムのプロットが字幕で投影されていましたが、タイミングがギクシャクしていてその場しのぎの感がありました。演奏の方は、この曲はさすがにオープニングの目玉ですからリハーサルを入念に積み重ねたのか、大都会の裏通りの喧噪を表す冒頭のクロマチックフレーズから、さっきまでとは打って変わって線の太い弦が鋭く駆け上がる木管と怪しくからみ合います。その後の客引きをするクラリネットのフレーズもいかがわしさがよく出ていました。金管はちょっと馬力不足ではありましたが、マンダリンが暴れ出す箇所の難しいトランペットはがんばって耐え凌ぎました。パントマイムよりも一つの管弦楽作品としての性格が強い演奏で、最初早めのテンポでぐいぐい押すのかと思ったら、後半はぐっとテンポを落として不安定感を煽り、多分バレエだと非常に踊りにくい演奏だったのでは。「演奏会形式」にしたのは正解だったか、あるいは、この演奏に乗せるパフォーマンスのアイデアが結局出て来なかったのかも。最後はやけにあっさりと終って、早すぎるブラボーで余韻を反芻する間もなく現実に引き戻されました。

サロネンということで期待は非常に高かったのですが、オケがもう一つ慣れてない印象で、突貫工事のにおいが少ししました。せっかくの企画なので、じっくりと時間を割いてもう一段上の完成度を目指して欲しいです。

ロサンゼルスフィル:意外と謙虚だったドゥダメル2011/01/28 23:59

2011.01.28 Barbican Hall (London)
Gustavo Dudamel / Los Angeles Philharmonic
1. Mahler: Symphony No. 9

私の中の「まだ見ぬ(聴かぬ)強豪3大オケ」は現在、ロスフィル、フィラデルフィア管、ドレスデン・シュターツカペレでしたので、念願のチャンス到来です。ただ一番の問題は日程。このLAPロンドン公演が発売になってすぐ、最初は27日のほうのチケットを買っていましたが、後でフィルハーモニア管のシーズンが発表となって27日は何とバルトークのシリーズとバッティングすることが判明、やむなくLAPは27日のチケットを28日と交換しました。しかしその時点で29日はロンドンフィルにケレメン・バルナバーシュが来るためこれも絶対「買い」であることが確定しており、3連チャンがやむを得ない状況に。ロンドンでは演奏会は基本的に一回勝負なためこういうことは起こりますし、実は初めてでもないですが、平日の連チャンは体力的にキツくなる可能性も高く、結果的には恐れていた通り体力温存に失敗し、なかなか辛い三日間になってしまいました。

さて、そういうことなので今日のお目当ては9割がたロスフィルです。しかし初生ドゥダメルも、もちろん楽しみでありました。ドゥダメルというと、強力なエージェントがバックにつき、スターダムへの坂道を最高速で駆け上がろうとしている、注目度ナンバーワンの若手指揮者であろうことは疑いないでしょう。シモン・ボリバルとの掟破りなバーンスタイン「マンボ」とか(2007年PROMSの映像を初めて見たときは不覚にもジーンときましたが)、いつも髪を逆立てて吠えているプレス用写真とかから受けていた印象は「派手好きなイチビリニーチャン」だったのですが、今日は曲がマーラーの9番のみというプログラムだったこともあるんでしょうか、決して「俺が俺が」の人ではなく、オケを立てながら誠実に音楽を作って行くタイプの指揮に聴こえました。第1楽章はバーンスタインのごとくアーティキュレーションの拡大解釈をするでもなく、粘らずにさらさらと流れて行くので予想と違いました。ユダヤの血とか、迫り来る死とか、そういうしがらみや背景を注意深く取り去ったような純音楽的な演奏でした。私はこの曲は第1楽章が特に素晴らしく、バーンスタインの演奏などを聴いていると、これだけでお腹いっぱいなくらい濃密な一つの閉じた世界を感じてしまいますが、ドゥダメルの演奏は長大な交響曲のあくまでプロローグとして、正しいプロポーションで表現することに腐心していたと思います。かと思えば、息抜きのような第2楽章ではおおげさなアゴーギクをつけて田舎ダンス風の野暮ったさで一息つかせる芸も持っています。その後は疲れから途中何度か朦朧としてしまったので細かいところで見落としているかもしれませんが、第3楽章の怒濤の攻めも、終楽章の祈るようなフレージングも、変に尾ひれを付けずにスコアの凹凸を素直に投影したような演奏でした。これは普通のようでいて、決して普通ではありません。

ロスフィルは掛け値なしに音色が凄く良いオケでした。アメリカのオケらしい明るい響きで、技量が高く、馬力も十分ですが、きれいに角が取れているのが素敵です。CDだけのイメージでは、音だけでこんなに引き込まれるオケとは正直思っていませんでした。コンマスもめちゃめちゃ上手い、というか、華のある全くソリストの音です。機会があったら何度でも聴きに行きたいオケがまた一つ見つかりました。

最後の弦のpppが静かに消え去った後も指揮者はなかなか手を下ろさず、聴衆も息を飲んだまま余韻の行く先を見守ります。これほど長い沈黙は日本以外では初めてです。ようやく手を下した指揮者は、ブラボーの声を背に、客席を振り向くことなく退場しました。その後何度もコールで出てきて奏者を立てていましたが、自身は二度と指揮台の上に登ることなく、それどころか奏者の前に立つことも控えている様子でした。この日を見る限り、アイドル化されつつあってもドゥダメル本人は意外と素朴で謙虚な人なのかも、と感じました。良い演奏だったにもかかわらず、指揮者はご満悦という表情ではなく、オケのメンバーも笑顔があまりありません。けっこう規律の厳しいオケなのかもしれません。あるいは本当に、もっとハイレベルの演奏もできたのに、という芸術家の良心の現れだったとしたら、真の実力は底知れぬものがあります。ホームでの普段の演奏を是非聴いてみたいものだと切に思いました。